ウィキリークスからNSAまで:なぜガーディアン紙は世界的に注目されているのか?

2B1B2460-3B2B-492D-A4A1-87B02CE7A3C2_mw1024_n_s

現在、世界で最も影響のある「新聞」はどこだろうか?「ニューヨーク・タイムズ」紙(NYT)?「ワシントン・ポスト」紙(WP)?いいや、おそらく「ガーディアン」紙だろう。

驚くべきことに、彼らの発行部数は18万9千部の弱小新聞だ。1これは、日本で言うと「福島民友」2や「岐阜新聞」3の20万部を少し下回る数字だ。もっとも日本の新聞社が世界の販売部数ランキング上位を独占していることを考えれば、それが本当に検討に値する数字なのかは疑問の残るところだが、いずれにしても同紙が決して大規模所帯ではないことは想像できるだろう。

世界的スクープを連発

本誌で先日お伝えした、「日本の若者はなぜセックスをしなくなったのか?」という少しばかり疑問の残る記事なども当然あるが、彼らが第一級のスクープを連発していることも事実だ。最近の注目すべきスクープは、ニューズ・コーポレーションの子会社であるニューズ・インターナショナルによってセレブや政治家、英国王室までもが盗聴されており、複数の従業員が新たなニュースを求めて盗聴の他にも、警察の買収や不適切な影響力の行使などをおこなっていたスキャンダルを暴露した2011年の事件だ。

しかし、その名が世界で広く認知されたのは、ジュリアン・アサンジによるウィキリークス事件において、「ニューヨーク・タイムズ」やフランスの「ル・モンド」紙、独「デア・シュピーゲル」誌と並んで、メディア・パートナーとして報道を行ったことだろう。2010年に極秘文書を含む25万点の膨大な外交公電が公開された事件は、世界に大きな衝撃を与え、日本でもガーディアン紙の存在は広く認知されることとなった。

そして、記憶も新しい今年6月のスクープによって、グローバル戦略に力を入れる同紙の報道が、世界的な影響力を持ち始めていることが明らかとなった。それに、アメリカ国家安全保障局(NSA)が携帯電話事業者のベライゾン・ワイヤレス社に対して、数百万人分の通話履歴の4月末から3か月分を、毎日まとめて提出するように命じていたことの暴露だ。この情報の提供者として、エドワード・スノーデンの名前が上がり、彼が情報提供先としてニューヨーク・タイムズなどではなく、イギリスの新聞を選択したことに大きな驚きが広がった。

なぜガーディアンが“選ばれた”のか?

なぜスノーデンは、情報提供先として「ガーディアン」を選択したのだろうか?これについて彼は、同紙のグレン・グリーンウォルドと、ドキュメンタリー映画監督であるローラ・ポイトラスを情報提供先として“選択した”理由を「ニューヨーク・タイムズ・マガジン」(ニューヨーク・タイムズの日曜版)のインタビューで正確に答えている。4

ピーター・マス5なぜあなたは(NYT、WP、WSJなど)の主要なアメリカの報道機関ではなく、ローラとグレンを探し当てたのですか?特に、なぜドキュメンタリー映画監督であるローラを?

エドワード・スノーデン:9.11の後、多くのアメリカの最も重要な報道機関が、ナショナリズムが高まっている時に非国民として見られることや市場で処罰されることを恐れ、権力の監視という彼らの役割―政府の行き過ぎに挑むジャーナリズムとしての責任―を放棄したからだ。(中略)ローラとグレンは、その間にも容赦のない個人攻撃を浴びながら、物議を醸すようなトピックについて大胆に報道した数少ない者たちだった。その結果として、ローラ自身が、最近暴露された(監視)プログラムの標的になったのだ。

すでに彼がeBey創業者とともに新たなメディアを立ち上げる際に、グリーンウォルドについては本誌で述べているが、現在、世界で最も注目されるジャーナリストの1人だろう。スノーデンが、彼とローラ・ポイトラスを優れたジャーナリストとして認識していたならば、新たな問いかけはこうなるだろう。

「なぜ、グリーンウォルドは活躍の場をガーディアンに選んだのだろうか?」

なぜグリーンウォルドは、ガーディアンを選んだのか?

「ワシントン・ポスト」も、なぜ「ガーディアン」がスノーデンに選ばれたか?という質問を「ガーディアン」の現・編集長アラン・ラスブリッジャーに投げかけている。6ラスブリッジャーは、それに対して「我々は、ただジャーナリズムを実践しているだけだ」とした上で、「ワシントン・ポストや我々が情報提供者によってもたらされたドキュメントに、世界の他のジャーナリストたちが興味を持たなかったのだろう」と答えている。

同時にこの記事は、「ガーディアン」が2008年からアメリカ市場に展開するため腐心してきたこと、その結果としてグリーンウォルドのような有能な記者を獲得したことにも注目している。そして、その中でグリーンウォルドは、「ガーディアン」が近年優れた記事を出しており、同紙のために働くことを決意させたのだとして、以下のように述べている。

彼ら(ガーディアン紙)は、アメリカのほとんどの報道機関が無視、あるいは軽視するような同国の外交政策、市民の自由、プライバシー、内部告発などの分野における重要な物語を広くカバーしていた。

ここまで見てきたように、近年の「ガーディアン」を理解するには、「信頼出来るジャーナリズム」というイメージと共に、その信頼がイギリスばかりではなくアメリカ市場においても拡大していることがポイントとなるだろう。では、このことを考えるために、まず彼らがアメリカ市場へと打って出てきた理由について見てみよう。

経済的な苦境

アメリカは、経済ばかりではなく政治においても未だに世界の中心地となっている。「ガーディアン」が彼の地へ進出したのは、野心的な試みというよりも“必要に迫られた”ためだった。

前述した通り、彼らは発行部数20万部にも満たない弱小新聞社であり、彼らの経済状態も、多くの新聞社がそうであるように決して良好ではない。2006年よりイギリス国内での発行部数は急落しており、2012年における売上は2億5440万ポンドで、7560万ポンドの損失だった。  ((http://www.gmgplc.co.uk/press-releases/2012/guardian-media-group-plc-gmg-announces-full-year-results-for-201112/))昨年度初めて、デジタル分野における収益が、印刷の下落分を相殺したとしているが、 「エコノミスト」誌の姉妹誌である「インテリジェント・ライフ」誌のように、「ガーディアン」の存続を疑問する声もある。

その存続についてはさておき、彼らがどれほどスクープを連発しても、良質なジャーナリズムを追求しても、新聞・雑誌業界が直面している凋落への道を変化させることが不可能であることは確かだ。彼らが、なんとかやっていけているのは、とある自動車の販売サイトのおかげだ。

スコット・トラスト・リミテッドの傘下には、「ガーディアン」と姉妹紙である「オブザーバー」(日用紙)の他に、オート・トレーダーという企業がある。この会社が、「ガーディアン」などを傘下に収めるガーディアン・メディア・グループと、エーパックス・パートナーズというプライベート·エクイティ・ファンドによって設立されたトレーダー・メディア・グループというジョイント・ベンチャーによって所有されている、自動車専門の販売サイトなのだ。

エーパックスは、1969年に設立された歴史ある企業で、国際的なネットワークを持っている。アップルやAOLに早い段階から投資をした投資家が創設者として名を連ねていることでも知られる。この企業とガーディアン・メディア・グループによってつくられたジョイント・ベンチャーが、 オート・トレーダーが生み出す利益を「ガーディアン」の赤字へと補填しているために、世界でも有数のジャーナリズムを提供する企業がなんとかやっていけている、というわけだ。

ところが、いくら赤字を補填する企業があるとはいえ、「ガーディアン」がいつまでも新たな収益源を見つけられないままで良いわけではない。だからこそ、彼らは2つのキーワードを掲げた。「デジタル」と「グローバル」だ。

デジタル戦略の強化

後者のグローバル戦略こそが、彼らがアメリカ市場を強化し始めた経緯となるのだが、まずは「デジタル」から見ていこう。

すでに、彼らのデジタル戦略には別の記事で触れたことがあるが、改めて確認をすると、同紙は「デジタル・ファースト」戦略を掲げ、ウェブ版などデジタルにおける収益を2016年までに1億ポンドへとほぼ倍増させることを目指している。この旗振り役こそが、前述した現・編集長アラン・ラスブリッジャーだ。

「ガーディアン」は、2011年にデジタル領域への投資を5年間かけて、2500万ポンドつぎ込むことを発表している。その成否はまだ明らかではないが、少なくとも彼らの挑戦は一定の評価を上げていると見られている。今年7月に「guardian.co.uk」から移行した彼らのウェブサイト「theguardian.com」は、イギリスのニュースサイトとしては、デイリー・メール紙のサイト「Mail Online」に次ぐ人気を誇っている。

彼らは、「ウォール・ストリート・ジャーナル」紙や「ファイナンシャル・タイムズ」誌のように従量課金制を取らず、すべての記事を無料で読めるようにしており、誰もがコメントを書き込めることは、彼らが当初から標ぼうしてきた「オープン・ジャーナリズム」の精神を体現している。そして、ガーディアン紙が「データ・ジャーナリズム」の先駆者であることは、彼らのデジタル戦略をより強化している。

データ・ジャーナリズムの実践

「データ・ジャーナリズム」、あるいは「データ・ドリブン・ジャーナリズム」と呼ばれる手法は、デジタル時代と高い相性を誇る。「ガーディアン」が、その力を駆使したよく知られる例は、ジュリアン・アサンジによるウィキリークス事件だ。膨大な外交公電を暴露することは、同時にそれを「いかに分かりやすく」、「的確にまとめるか」という難題をもたらした。

そこで「ガーディアン」は、従来のジャーナリズムが得意とする、伝えたいメッセージやコンセプトを、それを想起させる印象的な体験談やエピソードなどの「物語」駆使しながら発信する手法「ストーリーテリング」だけではなく、外交公電が示すデータや情報を分かりやすいインタラクティブ・マップやカラフルなグラフィックを用いた図やグラフへと整理することに注力したのだd。

インタラクティブ・マップという言葉が示すように、ユーザーが実際に触ながら、自分の興味合わせてデータを様々な角度から見れる技術は、デジタル時代にぴったりの手法であり、ガーディアン紙は「データ・ブログ」を開設して、政府や自治体によって公表されたデータや、企業の情報などをもとに、データに新たな意味付けを与えて、これまで気付かれなかった様な問題を炙りだしている。

「データ・ブログ」を開設し、「ガーディアンのデータジャーナリズム:何をどうやっているのか」7と題された記事を書いているサイモン・ロジャーズは、元々ツイッター社のデータ・エディターとして活躍していた。彼は、国会議員の不透明な経費をスクープした経験やウィキリークス事件を上げながら、データジャーナリズムの必要性を説いているが、これらのスクープが、ガーディアン紙の顔になりつつあることを考えると、データ・ジャーナリズムも同紙の顔だと言えるだろう。

グローバル戦略、失敗

そして、「guardian.co.uk」が「theguardian.com」へと変更されたように、デジタルの強化はグローバル戦略と不可分だ。彼らが、ウェブサイト「ガーディアン・アメリカ」をリリースしたのは2007年のことだった。それは、デジタル戦略について本格的に宣言される以前の話であったが、紙媒体のみでは経営が立ち行かなくなることは明白であり、その活路を新たな市場へと見出し、その方法としてウェブを選択するのはごく自然なことでもあった。

彼らがアメリカ市場へと打って出たのは、新たな収益源を見つけるための2つのキーワード「デジタル」と「グローバル」に依拠するものであったことは既に述べたが、両者が別々の戦略ではなく、相互補完的なものであるのは想像に難くないものの、単に紙媒体をウェブに置き換えれば、グローバル戦略が完成するというものでもない。「ガーディアン」は、ここから長い道程を経て、グローバル・ブランドを確立することになる。

「アメリカン・プロスペクト」誌などで活躍するリベラル系コラムニストのマイケル・トマスキーらを迎えてオープンしたウェブサイトは、それほど上手くいかなかった。アメリカのニュースや中東報道などを中心に構成されたサイトだったが、トマスキーは2009年に中心的な役割から降り、同年10月にはコンテンツがイギリスのサイトへと誘導され、「ガーディアン・アメリカ」は閉鎖された。レポーターやウェブ・エディターなど6名のスタッフは解雇され、「ガーディアン・アメリカの戦略は放棄された」と書かれるなど、8 多くの人々は同紙のアメリカ進出は失敗に終わったと理解した。

なぜ当初のアメリカ進出が失敗したのかは明らかではないが、「オブザーバー」のインタビューで「ガーディアン・アメリカ」の元スタッフは、以下のように語っている。9

我々は、ガーディアンのために賢明に働き、ワシントンのイギリス人の同僚や、ロンドンの海外デスクからもおおくのサポートをもらった。しかし、最終的にガーディアン紙は誰がターゲットなのかが分からず、どのように「ガーディアン」ブランドを使えばよいのかも分からなかった。 我々が期待したように読者は現れなかったし、プロジェクトはそれを続けるほど十分な収益を生み出さなかった。

戦略の再考

ところで本稿は、ガーディアンのアメリカ進出を語る前に、先に彼らのデジタル戦略について見てきたが、その完成度の高い戦略が本格化したのは2010年になってからだったことを思い出してほしい。つまり、彼らが本格的なデジタル戦略へと手を付ける前におこなった国際化戦略は、それほど上手くいっていなかったのだ。

元スタッフの言葉を見る限り、彼らは全力を尽くしたようであり、単に市場環境が十分に整っていなかったと結論付けることも可能だが、それでもデジタル戦略の本格化とともに、彼らのグローバルブランドが確立していった過程は興味深い。つまり、彼らはわざわざアメリカにオフィスを設けて、スタッフを雇うよりも、自国のサイトを国際的に通用する(アメリカからわざわざユーザーがやってくる)ほどに洗練させ、高品質なコンテンツを提供し、紙からデジタルへと徹底的な変貌を遂げることで、国際的な名声を勝ち得たのだ。

いずれにしても、彼らはその失敗の後に諦めることなく、2011年に再び「ガーディアンUS」を立ち上げた。2度目の挑戦は、全ての役者が揃った状態でおこなわれた。前年にウィキリークスがアメリカ外交公電を大量に暴露した際のメディアパートナーとして、すでに同紙の名前は世界の広まっていたし、数年かけてアメリカでも指折りのジャーナリストたちを揃えていたのだ。

ジョージ・W・ブッシュ元大統領のスピーチライターを努めたジョシュア・トレヴィノや、GQなどにも寄稿しているアナ・マリー・コックス、そしてキュレーションサイト「Newser」をつくったマイケル・ウルフなどが、ガーディアン紙のために働いていた。そして、「インディペンデント」紙でもキャリアを積んだジャニー・ギブソンが編集長となった。

世界的なブランド

こうして、満を持してふたたびアメリカへの進出をはかった「ガーディアン」は、成功をおさめることが出来つつある。ウィキリークス事件での報道や、スノーデンによって明らかになったNSAの諜報活動など世界的に注目を集めるニュースの中心に位置する同紙は、「イギリスの良質なジャーナリズム」というイメージをアメリカにおいても定着させようとしている。

ここまで彼らが経済的事情からより大きなマーケットへ打って出ざるを得なかった事情を見てきたが、一方で世界に出たとしても、「良質なジャーナリズム」という根本部分が欠落していたならば、その成功は難しかっただろう。そこで、後半部分では彼らがどのような歴史をたどり、優れたジャーナリズム精神を維持してきたのかという部分を見ていく。

スノーデンやグリーンウォルドらが信頼を置くジャーナリストとしての義務は、決して一朝一夕に成し遂げられたものではない。19世紀から脈々と続く同紙の歩みの中で、彼らのアイデンティティは形成されたのである。彼らの歩みを見ていくことで、同紙がいかにして「良質なジャーナリズム」というブランドをつくり得たのかを概観してみよう。

 17~18世紀:コーヒーハウスの時代

ここではまず、時代をさかのぼって18世紀のロンドンに触れることにしよう。「ガーディアン」の歴史を考える上で、新聞の形成に大きな役割を果たしたイギリスの歴史を無視する訳にはいかないからだ。

1642年にイングランドでは清教徒革命がおこったものの、革命の指導者らは混乱を鎮めることができないまま議会は行き詰まりを見せて、1660年にステュアート朝が復活する。この激動の政治体制の変化に際して、ロンドンの人々はコーヒーハウスへと集まり、政治談義から情報交換、はたまた他愛のないウワサ話まで話を咲かせたと言われている。また、そこには政治ばかりではなく経済や商業の情報も集まってきていた。当時の金融センターだったロンドンには、多くの商人が集まり、金融のニュース以外にも、大陸の情報や貿易状況などを交換した。

現在でも広く知られているのは、1688年頃にエドワード・ロイドによって開かれたコーヒーハウスが源流の「ロイド・コーヒー・ハウス」だろう。ここでは、独自に「ロイド・ニュース」という船舶情報を載せるニュースを発行しており、たむろしていた保険業者たちが取引の場として利用するうちに、現在の国際的に名が知られる「ロイズ保険組合」が誕生したのだ。

こうした興隆するコーヒーハウスで、18世紀にかけて新聞が読まれ始めた。そこでは様々な新聞が読み放題で、ブルジョワジーたちに人気を博していった。コーヒーハウスは18世紀後半にかけて衰退していくが、一方で1785年には「タイムズ」紙が創刊しており、ここから現在まで続く高級紙の歴史が始まることとなる。

19世紀:ガーディアンの誕生

イギリスの新聞には「高級紙」と「大衆紙」という分類がある。大衆紙はそのサイズから「タブロイド」と呼ばれたり、「デイリー・メール」紙が「中級紙」と分類されることもあるが、大枠としては「デイリー・テレグラフ」や「タイムズ」、「インディペンデント」などが高級紙に分類し、「ガーディアン」もここに入る。一方で、大衆紙には「サン」や「デイリー・ミラー 」が分類され、センセーショナルな見出しに露出の多い女性の写真が特徴だ。

そして、「ガーディアン」も高級紙が勃興した19世紀に「マンチェスター・ガーディアン」という名前で誕生した。

その名前からも分かるように、同紙は1821年にマンチェスターのジョン·エドワード·テイラーによって創刊された。テイラーは、政治・社会改革を議論する「リトル・サークル」という集団に加入しており、「マンチェスター・オブザーバー」紙が閉鎖された後に、新たな新聞の発行を決意した。当時のマンチェスターは、広場で選挙法改正を求めて集会を開いていた群衆が騎兵隊によって殺害された「ピータールーの虐殺」などで知られるように、記録的な失業率や飢餓による経済的困窮が拡大しており、人々は政治改革を求めていた。

「マンチェスター・ガーディアン」も、こうした時代背景の中で誕生し、すぐに著名なジャーナリストであったエレミヤ・ガネットが参加した。現在ではリベラル・左派の代表格として知られる同紙も、当初は一般的に労働者に対して敵対的だった。

20世紀前半:有力紙へ

「マンチェスター・ガーディアン」の最も有名な編集長チャールズ・プレスウィッチ・スコットは、1872年から57年間も同紙を率いたが、1907年には創設者テイラーの息子から同紙を買い取り所有者となった。スコットの下で、1899年からはじまった第二次ボーア戦争で世論に真っ向から反対して反戦を唱え、グラッドストン率いる自由党を支持するなど、現在につながるアイデンティティを生み出していく。

スコットの影響は大きく、彼とハイム・ヴァイツマンの友情が「バルフォア宣言」を生み出したとも言われ、編集長の力がどこまで紙面に影響を及ぼしていたのかは未だに議論が分かれるものの、彼の編集長としての手腕や功績は現在でも大きな評価を得ている。彼の「コメントは自由だが、事実は神聖なのものである」という言葉は、現在でも広く知られている。

そして、同紙が最も(左派からの)評価を確立したのが、スペイン内戦だった。後の独裁者として知られるフランシスコ・フランコに反対する論陣を張り、自由党(自由民主党)と関係の深い伝統を生み出した。

この時代、すなわちチャールズ・スコットの時代こそが、マンチェスターの地方新聞に過ぎなかった「マンチェスター・ガーディアン」が、イギリスの「ガーディアン」へと変貌を遂げた時期だった。現在のスコット・トラスト・リミテッドによる所有という形態も、元を辿ればこの時期までさかのぼり、現在のガーディアンのDNAはここから生まれたと言うことができるだろう。

20世紀後半:戦争とメディア

しかし、ガーディアン紙が常に権力に迎合しないジャーナリズム精神を持ってきたと無批判に称賛することは、公平な態度とは言えないだろう。もちろん、これまで見てきた同紙の歴史の中にも決して賛同できないような論調や、その評価をより留保すべき問題もあっただろうが、少なくとも現代アイルランド史、そしてイギリス史において大きな問題となっている北アイルランド問題における同紙の態度に触れる必要はある。

1972年、公民権運動デモに行進中の市民27名がイギリス陸軍落下傘連隊第1大隊に銃撃され、14名が死亡した。2010年にデービッド・キャメロン首相がイギリス政府として初の謝罪をおこなったが、非武装の市民が背後から銃撃された事件直後の調査では、イギリス側の非は認められていなかった。そして、「ガーディアン」は、デモ参加者を非難し、イギリス軍の無罪を主張したウィッジェリ報告についても、「一方的なものではない」と宣言した。

また、第一次湾岸戦争では当初反戦の態度を示していた同紙は、最終的にその大義を支持した。湾岸戦争には、「ナイラ証言」で知られるように、イラクによる暴虐という誤った(あるいは誇張された)エピソードを拡大したキャンペーンがつきまとっていた。「ガーディアン」に限った話ではないが、この時期から戦争を支持する政府と、メディアとの関係が盛んに議論され始めたことは注目に値する。

2000年以降:アフガニスタンとイラク

「ガーディアン」の歩んできた歴史を必ずしもジャーナリズム精神が十分に体現された歴史だと美化することは好ましくない。しかしながら、ここまでの歴史で着実にその名を広めてきたガーディアンは、2000年代以降、一気に国際的な名声を高めることになった。それは、アフガニスタンとイラクにおける反戦キャンペーンである。

9.11直後のアフガニスタン侵攻において、アメリカの多くのメディアが主戦論に傾く中、ガーディアンは批判的な論調を維持した。この時に他のメディアから受けた非難を彼らは以下のように振り返っている。10

現在、保守党政権の閣僚をしているマイケル・ゴヴは、「ガーディアン」が「売国奴(fifth columnists)」集団(Prada-Meinhof gang)になったと「タイムズ」誌へ寄稿した。当時ブレア首相と親密だった小説家のロバート・ハリスは、現在の世界がヒトラーに対する戦いを再開していることを理解していない「馬鹿どものたわ言」を集めていると我々を非難した。

「テレグラフ」紙は、「ガーディアン」をターゲットにした「役立つ愚者(useful idiots)」という定期コラムを載せ、アンドリュー・ニールはガーディアンが「日刊テロリスト」と改名すべきだと述べ、「サン」紙のリチャード・リトルジョンは、「ファシスト左翼新聞の反米プロパガンダ」連中だと非難した。

しかし、ガーディアンの稀有な姿勢は反戦論者から大きな支持を集め、イラク戦争にかけて戦争を批判する動きが世界的に広まるにつれて大きくなっていった。少なくとも、この頃から一部の左派にとっては「良質なジャーナリズム」という評価が生まれ始めていた。

メディア王との戦い

彼らがメディア王ルパート・マードック氏に戦いを挑みはじめたのは、2009年のことだった。彼が所有する「ニュース・オブ・ザ・ワールド」紙が、政治家やセレブ、そして英国王室に至るまで数千人の電話を盗聴していたという疑惑を報じ、同紙がスクープのために不正な手段を行使し、警察の贈収賄にまで及んでいたことが明らかになった。

盗聴の被害者には、殺人事件の被害者やアフガニスタン戦争の戦死者遺族、ロンドン連続テロ事件の被害者遺族、そしてウィリアム王子までもが含まれており、事件によって同紙は打ち切り、デーヴィッド・キャメロン首相の元主任報道官であったアンディ・コールソンが盗聴・汚職容疑で逮捕されることとなり、イギリス社会に衝撃を与えた。

そして現在へ

こうして同紙の歴史は、最近のウィキリークス事件やスノーデンによるNSA諜報活動の暴露などにつながっていく。以上に見てきたように、ガーディアンの歴史は大きく2つに分けられるかもしれない。1つは、チャールズ・スコットによって全国的なブランドを築いた20世紀前半。そして、世界的なブランドを目指していく20世紀後半だ。

最初に述べたように、近年の「ガーディアン」を理解するには、「信頼出来るジャーナリズム」というイメージがアメリカ市場まで拡大してきた点がポイントだ。彼らが20世紀後半に至るまで少しずつそのブランドを構築してきたことは一見当たり前のことのように思えるが、アフガニスタンやイラク戦争に際して、多くの英米メディアが政府の姿勢に追随した中で、彼らが独自の姿勢を貫いたことは、そのブランドにとって大きなエポックメイキングとなった。

スノーデンが「ガーディアン」を選んだというよりも、21世紀後半に少しずつイギリスを代表するブランドとして成長してきた同紙が、ジャーナリズムのアイデンティティが再び問われることとなった9.11後の世界で、試行錯誤の末にアメリカ市場を開拓し、その結果としてスノーデンらが一目置くグリーンウォルドら敏腕ジャーナリストを引きつけることとなったということが出来るだろう。

「良質なジャーナリズム」?

非常に長い記事になってしまったが、最後に幾つかの留意をつける必要があるだろう。まず、本稿のテーマである「なぜガーディアン紙は世界的に注目されているのか」という問題について、より的確な回答を与えるには、当然のことながら未だに本稿は不十分だ。この問題をより広い視点から考えるならば、グリーンウォルドやスノーデンが述べているように、なぜアメリカの新聞に比べて、イギリスの新聞は権力に迎合しないジャーナリズムを可能にしたのだろうか?という問いを立てる必要がある。

最も重要な点は、彼らの現時点での成功もまた、永続的なものではないということである。既に述べたように、同紙の経営状態は決して良好ではなく、その良質なジャーナリズムが維持できるか否かは、今後数年の戦略にかかっている。彼らの展開しているデジタル戦略やグローバル戦略に評価を下すならば、今後数年の時を要すると言えるだろう。

また、「良質なジャーナリズム」というブランドも永続的ではない。彼らが本当に良質なジャーナリズムであるか(だったか)否かという議論はさておき、少なくとも現在このブランディングは成功している。しかし、それには優秀なジャーナリストをリクルーティングし続け、彼らが挑戦し続けることを守るという難しい条件がついてくる。グリーンウォルドの離脱は、彼らにとってはそれほど良いニュースではないのかも知れない。

現在、新興ネット企業ばかりではなく、アメリカ三大ネットワークの1つNBCによる「BreakingNews.com」というベンチャーがリニューアルを果たして勢いを見せるなど、これまでの大手メディアが新たなジャーナリズムを模索する時期となっている。「ガーディアン」の直面する競争環境はますます激しくなり、彼らは今後そのブランドを維持できなければ、資金の豊富な大手メディアに敗北を喫する可能性もあるのだ。

ジャーナリズムの未来

しかしながら、彼らが一程度の成果を上げていることは事実だ。このことは、優れたジャーナリズムが収益を生み出せるという希望を与えてくれるとともに、そのためにはこれまでにない試みを幾つもおこなわなくてはならないことも再認識させる。彼らの“これまでにない試み”は、決して経営的な話ばかりではない。弱小新聞の成功は、伝統的なジャーナリズムが重視してきたような良質な調査報道と、新たな時代のユーザーを引き止める優れたコンテンツの生産に裏打ちされており、現在その両立を成し遂げている企業が、あまり存在していないことは、未だにガーディアンの優位性を保証している。

ネット時代が生み出したウィキリークスやNSAのような事件は、皮肉なことに、ネット時代における情報の大量消費によってますますコンテンツとしての価値が下がっている。あっという間に情報が広まり、そして忘れられていく時代において、複雑でヘビーな政治問題が、それほど“ユーザーの好み”に合わないという事実は、ガーディアンをはじめとしたジャーナリズムをますます苦境へと追いやるだろう。

しかし、彼らはなんとかしてその流れに抗おうとしている。もし20万部にも満たない弱小新聞がその成功例になれるとすれば、未来は明るいはずだ。その意味でも、やはり「ガーディアン」には世界で最も注目を集めている新聞なのかもしれない。

  1. 2013年8月 []
  2. http://www.minyu-net.com/honsha-annai/web-koukoku/menu-img/baitai.pdf []
  3. http://www.gifu-np.co.jp/koukoku/baitaidata/baitaidata.html []
  4. http://www.nytimes.com/2013/08/18/magazine/snowden-maass-transcript.html []
  5. 記者。ウィール・ストリート・ジャーナルやニューヨーク・タイムズなどに寄稿している []
  6. http://www.washingtonpost.com/lifestyle/style/the-guardian-small-british-paper-makes-big-impact-with-nsa-stories/2013/07/01/1d7f29c8-e28c-11e2-a11e-c2ea876a8f30_story.html []
  7. http://www.theguardian.com/news/datablog/2011/jul/28/data-journalism []
  8. http://paidcontent.org/2009/10/20/419-gnm-axing-guardianamerica-com-shuffling-execs-in-restructure/ []
  9. http://observer.com/2011/06/the-guardian-in-america-is-going-to-be-british-this-time/ []
  10. http://www.theguardian.com/commentisfree/2011/sep/05/babble-idiots-history-guardian-comment []

AUTHOR

石田 健

石田 健

株式会社マイナースタジオ代表取締役CEO。同社を創業後、2015年に株式会社メンバーズ(東証一部)に企業売却。早稲田大学政治学研究科修士課程修了(政治学)。Twitter : @ishiken_bot