Emperor Naruhito and Empress Masako(Ministry of Foreign Affairs of Japan, CC BY 4.0) , Illustration by The HEADLINE

なぜ天皇は政治的行為を禁止されているのか?

公開日 2021年07月05日 18:00,

更新日 2023年09月19日 16:29,

有料記事 / 政治

先月24日、宮内庁長官の西村泰彦は定例会見において「オリンピックをめぐる情勢につきまして、天皇陛下は現下の新型コロナウイルス感染症の感染状況を、大変ご心配されておられます」と発言した。

その上で「国民の間で不安の声があるなかで、ご自身が名誉総裁をおつとめになるオリンピック・パラリンピックの開催が感染拡大につながらないかご懸念されている、ご心配であると拝察をいたします」と述べた

西村長官は天皇による直接的な発言ではなく「私が肌感覚として受け止めているということ」とし「直接そういうお言葉を聞いたことはない」と強調して、あくまで自身が意図を推し量った「拝察」だと強調した。

しかしながら、この発言をめぐり、天皇の政治的行為を禁じる憲法に違反していないかと「波紋」が広がっている。五輪開催という世論が分かれる問題について、開催を危惧するような発言を行なったためだ。

では、なぜそもそも天皇は政治的行為が禁じられているのだろうか?また、五輪をめぐる感染状況への懸念は「政治的行為」なのだろうか?

天皇の政治的行為、なぜ禁止?

天皇の政治的行為の禁止については、憲法第3条および4条で以下のように定められている。

第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。

具体的には、第7条において憲法改正や法律などの公布や国会の召集、衆議院の解散などが天皇が"おこなえる"国事行為として定められているが、それ以外の政治的行為は禁止されている。

しかしながら、何が政治的行為であり、何がそうではないのかについての線引きは曖昧だ。この曖昧さは昨日今日にはじまった話ではなく、戦後日本が常に抱え続けてきた課題でもあった。

苦悩する昭和天皇

初代・宮内庁長官である田島道治が、終戦後に昭和天皇とのやり取りを記録した「拝謁記」から分かるように、その問題は終戦後すぐに持ち上がった。

この記録には、昭和天皇が「政治への関与を憲法で厳しく制限されたにもかかわらず、時に踏み込んだ政治発言をして、田島長官がそれをなだめたり、いさめたりする様子」が記されている。

今でこそ、天皇は日本国と日本国民統合の「象徴」であるという意識は当たり前に広がっているが、昭和天皇は戦時下においては「君主」であり、終戦後の1947年に施行された日本国憲法で、突如として「象徴」となった。

戦後40年続いた昭和天皇の様子を見て、憲法や象徴天皇のあり方を参考にできた平成天皇とは異なり、昭和天皇は「君主としての意識を払拭できずに、時に政治的な発言をしていさめられる」様子が、史料にありありと残っている。専門家によれば、「拝謁記」には「日本国憲法の中で天皇をどう位置づけるか憲法の範囲でどこまで許されるのかということについての天皇と田島の模索のあとがうかがえる」という

このように、何が政治的行為であり、何がそうではないのかについては、憲法や法律によってわかりやすく明示されているわけではなく、歴代の天皇や宮内庁、そして政府が慎重に模索してきた結果なのだ。

天皇と太平洋戦争

では、なぜ天皇は「君主」から突然「象徴」としての役割を求められるようになったのだろうか。

前述したように、制度的に言えば1947年に制定された日本国憲法が理由だが、問題はなぜ憲法でそのように規定されたか?ということだ。その背景を理解するため、太平洋戦争から戦後にかけての天皇と政治の関係を見ていこう。

太平洋戦争において、天皇がどこまで戦争や政治に関与していたかは、研究者の間でも統一した見解を得ていない


1943年、御前会議での昭和天皇(『アサヒグラフ増刊 天皇皇后ヨーロッパご訪問の旅』(朝日新聞社、1971年)93頁, Public Domain

昭和天皇は開戦前、米国との戦争については「国力上無謀」であるため、出来る限り避けたいと考えていたが、戦争が始まってからは「緒戦の日本軍の快進撃ぶりにつかの間の喜びを味わった」という。最近の研究では、昭和天皇が作戦に対して積極的な支持や要求をおこなっていたと明らかになっているが、これは「戦争を始めた以上、勝利に全力をあげるべきであると考えていた」からだとされる

しかしこうした歴史的事実をもって、昭和天皇が「戦争に肯定的だった」あるいは「否定的だった」と評するのは難しい。近現代史研究者の辻田真佐憲が述べるように「平和主義者か、軍国主義者か。そんな単純な二者択一から卒業しなければ、その実態に迫ることはできない」のだ。

そして、天皇が「戦争に積極的だったから責任がある」とか「開戦に否定的だったから責任がない」という問題設定も十分ではない。(*1) なぜなら本人の心情がどうであれ、日本人だけで310万人もの犠牲者を生んだ太平洋戦争において、天皇が統治の最終責任者だったことは疑いない事実だからだ。

実際、天皇自身は「戦争の道義上の責任を強く意識していた」ことがわかっている。しかし最終的に、GHQから天皇の戦争責任が問われたり、退位や処罰を加えられることもなかった。

(*1)天皇の戦争責任については、その責任を強調する立場として山田朗の著書、責任に否定的な立場として伊藤之雄の著書などがある。

GHQによる政治的権限の剥奪

むしろGHQは「昭和天皇を占領統治に利用するために戦争責任を問わず、天皇から政治権力をすべて剥奪することで、天皇制存続への国際社会の理解を求めた」のだった。その結果、「国事行為を除き『象徴』の職務が何であるのかは、その後の天皇の行動や政治家の思惑の中で定まっていくことになった」。


GHQ最高司令官マッカーサーと昭和天皇(United States Army photograph, Public Domain

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✍🏻 著者
編集長 / 早稲田大学招聘講師
1989年東京都生まれ。2015年、起業した会社を東証一部上場企業に売却後、2020年に本誌立ち上げ。早稲田大学政治学研究科 修士課程修了(政治学)。日テレ系『DayDay.』火曜日コメンテーターの他、『スッキリ』(月曜日)、Abema TV『ABEMAヒルズ』、現代ビジネス、TBS系『サンデー・ジャポン』などでもニュース解説。関心領域は、メディアや政治思想、近代東アジアなど。
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