⏩ 週刊文春による元ジャニーズJr. への取材で告発
⏩ ジャニーズ事務所、名誉毀損で提訴するも裁判で「真実性」が認定
⏩ ジャニー氏自身、少年らの証言を認めるような発言も
(注)本記事には、性暴力に関する具体的な記述などが含まれています。また、引用として「ホモ・セクハラ」など不適切な表現が含まれていますが、当時の状況を反映させるため原文まま記載しています。
英・公共放送BBCが放送したドキュメンタリー番組や、元ジャニーズJr. の岡本カウアン氏(現在はカウアン・オカモト氏)の告発により、ジャニーズ事務所の創業者である故・ジャニー喜多川氏(以下、文脈に合わせて「ジャニー氏」とも表記)による、所属タレントであった少年らへの性加害が再び話題となっている。
日本を代表する大手芸能事務所であるジャニーズ事務所の創業者による性加害そのものだけでなく、現在でも十分に説明責任を果たしているとは言い難い同事務所の体質や業界のあり方、そして一連の問題を頑なに報じていないテレビや新聞など大手報道機関の責任(*1)などが、取り沙汰されている。
ジャニー氏の性加害は、単なる噂や誹謗中傷の類ではなく、裁判においても真実性が認定されている事柄だ。週刊文春が99年10月から展開した連載記事を受けて、ジャニーズ事務所が名誉毀損による損害賠償を求めて文藝春秋社を提訴したが、2004年に決着した判決においてジャニー氏の性加害(判決文では「セクハラ行為」)の真実性が認められたのだ。
それでは、裁判所はどのような根拠に基づき、ジャニー氏のどのような行為の真実性を認定したのだろうか?この記事では、ジャニーズ事務所と文藝春秋による民事訴訟の裁判記録(*2)を基に、その内容を紹介・解説していく。
[続報]
(*1)岡本カウアン氏の会見が行われた12日、会見から約10時間が経過した21時30分時点で、NHKや民放キー局、読売新聞・朝日新聞・毎日新聞などの五大紙は、いずれも会見内容を報じておらず、共同通信や東京新聞など一部メディアに限られている。
(*2)本誌では、2023年4月10日に東京地方裁判所において本事件記録の閲覧を申請し、4月10日から11日に渡って閲覧した。引用は、いずれも当該資料に基づく。
事件の概要
ジャニーズ事務所と文藝春秋による民事訴訟裁判は、当時、週刊文春が連載した記事の内容について、ジャニーズ事務所が名誉毀損を理由として、同誌の発行元である文藝春秋を提訴した事件だ。
ジャニーズ事務所は文藝春秋に、計約1億700万円の損害賠償と誌面上および新聞広告での謝罪を求めた。
提訴内容
裁判記録に残っている、実際の提訴内容は次のとおりだ(*3)。
- 被告ら(*4)は、株式会社ジャニーズ事務所に対し、連帯して5350万円(略)を支払え。
- 被告らは、喜多川擴(*5)に対し、連帯して5350万円(略)を支払え。
- 株式会社文藝春秋は、週刊文春の誌面ならびに、日本経済新聞、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞の全国版社会面広告欄に、謝罪広告を1回掲載せよ。
この訴訟は1999年11月にジャニーズ事務所によって提起され、2004年2月に判決が確定した。訴訟の経緯および判決内容は後ほど詳述していくが、以下のようになっている。
ジャニーズ事務所の裁判をめぐる経緯と事務所の主な出来事(筆者作成)
なお当時のジャニーズ事務所では、90年代にかけて SMAP、TOKIO、V6、KinKi Kids という人気グループが続々とCDデビューを果たしていた。訴訟が提訴された99年11月は、後に国民的グループとなる嵐がデビューした月でもあり、判決が確定する2004年までには、タッキー&翼、NEWS、関ジャニ∞ といったグループが順にデビューを果たしている。
(*3)太字、注釈、改行、省略は引用者による。引用部については、以下同様。
(*4)株式会社文藝春秋ならびに、当時の社長であった白石勝氏らを指す。
(*5)ジャニー喜多川氏を指す。
裁判で問題となった記事
本裁判で問題となった記事は、主に次の8本だ。週刊文春は、キャンペーン報道としてジャニーズ事務所の疑惑を追求する記事の連載を展開した(*6)(*7)。
- 元フォーリーブス青山孝 衝撃の告発 芸能界のモンスター「ジャニーズ事務所」の非道 TVも新聞も絶対報じない(1999年10月28日号)
- 「芸能界のモンスター」追及第2弾 ジャニーズの少年たちが耐える「おぞましい」環境 元メンバーが告発(1999年11月4日号)
- 「芸能界のモンスター」追及第3弾 ジャニーズの少年たちが「悪魔の館」合宿所で強いられる〝行為〟(1999年11月11日号)
- 追及キャンペーン4 マスコミはなぜ恐れるのか テレビ局が封印したジャニーズの少年たち 集団万引き事件(1999年11月18日号)
- 芸能界のモンスター 追及第5弾 ジャニー喜多川は関西の少年たちを「ホテル」に呼び出す(1999年11月25日号)
- 芸能界のモンスター 追及第6弾 ジャニーズOBが決起 ホモセクハラの「犠牲者」たち(1999年12月2日号)
- 芸能界のモンスター 追及第7弾 ジャニー喜多川「絶体絶命」 小誌だけが知っている(1999年12月9日号)
- 芸能界のモンスター 追及第8弾 ジャニーズ人気スターの「恋人」が脅された!(1999年12月16日号)
(*6)週刊文春は現在、3本目、5本目、7本目の記事についてアーカイブを公開している。
(*7)実際には、週刊文春は本連載を14回連続で掲載している(連載終了は2000年2月17日号)。また、同誌はその後も2000年3月、4月に関連記事を掲載した。上記8本が訴訟の対象になっているのは、ジャニーズ事務所が8本目の1999年12月16日号が発売された後のタイミングで提訴したためである。
「わいせつ行為」記事の内容
これらの記事のうち、ジャニー氏による「わいせつ行為」に関する記述があるのは、上記の2, 3, 5, 6, 7に当たる記事だ。記事内容は、複数の元ジャニーズJr. の少年らへの取材に基づく告発となっており、少年らへのインタビュー時間の総計は、20時間を超えるという。
記事中ではインタビューを受けた少年らが、主にジャニー氏の自宅である「合宿所」で、夜中にベッドで寝ている際に「わいせつ行為」や「ホモ・セクハラ行為」を受けていたことをそれぞれ証言している。また、ジャニー氏は京都や大阪に出張した際にはホテルに宿泊するが、そこにも関西ジャニーズJr. の少年らを泊まらせて、同様の行為をおこなっていたという。一連の記事では、10名以上の少年および事務所 OB が1960年代から90年代にかけての出来事として、取材に応じている。
その上で同誌は、「少年たちが我慢しているのは、『ジャニーさんに逆らえば、現実にステージの立ち位置が悪くなってしまう』から」だとして、少年たちの思いを利用して自らの欲望を満たすジャニー氏の行動を非難するとともに、こうした行為が東京都や大阪府の青少年健全育成条例(*8)に抵触するおそれがあると指摘している。
なお週刊文春は、ジャニーズ事務所にも取材を敢行したものの「こういったことはまったくありえない。一方的に掲載されるのであれば、今後法的手段に訴えざるを得ない」として、ノーコメントを貫かれたとも報じている。
(*8)2017年7月施行の改正刑法で強制性交等罪が新設されるまで、性暴力被害者として認められる対象は女性に限られていた。そのため同記事内では、18歳未満であれば男性も被害者に該当する青少年健全育成条例に違反する可能性を指摘するかたちとなっている。
主要な争点
裁判所は、週刊文春による連載記事について検討し、内容をまとめる形で以下9点を主要な争点として提示している。裁判記録から引用した争点は、以下の通りだ。
(1)ジャニー喜多川氏が、少年らが逆らえばステージの立ち位置が悪くなったりをデビューできなくなるという抗拒不能な状況にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述(本件記事2, 3, 5, 6, 7(*9))
(2)ジャニーズ事務所が、少年らに対し、合宿所(*10)等で日常的に飲酒、喫煙をさせているとの記述(本件記事2)
(3)ジャニーズジュニア4人が万引事件を起こしたにもかかわらず、テレビ局もジャニーズ事務所もこれを封印したとの記述(本件記事4)
(4)ジャニーズ事務所が、フォーリーブス(*11)のメンバーに対して非道なことをしているとの記述(本件記事1)
(5)かねてより、ジャニーズ事務所に所属するタレントは冷遇されていたとの記述(本件記事6)
(6)ジャニーズ事務所が、少年らに対し、学校に行けないスケジュールを課しているとの記述(本件記事2)
(7)関ジャニ(*12)は、ジャニーズ事務所から、給与等の面で冷遇されているとの記述(本件記事5)
(8)ジャニーズ事務所所属タレントのファンクラブについて、ファンを無視した運営をしているとの記述(本件記事8)
(9)マスメディアは、ジャニーズ事務所を恐れ、追従しているとの記述(本件記事4)
そして裁判所は、それぞれの事案について、①ジャニーズ事務所及びその代表者らの社会的評価を低下させるものであるか、②記事内容が公益性、真実性、相当性(*13)を持っているかどうかについて検討し、判断を示すこととした。
(*9)こちらの記事番号は、「裁判で問題となった記事」パラグラフで紹介した記事に付与した通し番号と対応している。
(*10)ジャニー氏の自宅を指す。同氏の自宅は東京都港区六本木のアークヒルズという高層マンションにあり、時折少年らも宿泊することから「合宿所」と呼ばれていた。いわゆるメゾネットタイプのマンションで2つの階にまたがっており、そこには複数のベッドが置かれていた。なお、ジャニー氏がこのマンションに転居する前は、原宿にも「合宿所」があった。
(*11)かつてジャニーズ事務所に所属していた4人組の男性アイドルグループ。1968年にデビューし、1978年に解散した。ジャニーズ事務所においては、ジャニーズ(初代ジャニーズ)についで2番目にデビューしたグループである。
(*12)関西ジャニーズJr.(主に関西地方を拠点に活動するジャニーズ所属の若手アイドルら)のことを指す。週刊文春の記事内において、「関西ジャニーズJr、いわゆる『関ジャニ』は、関西出身のジュニアの少年たち。」といった表現が用いられているため、裁判所もそれを踏襲してこのように表記したものと考えられる。いずれにしても、現在「関ジャニ」という略称で認識されているアイドルグループ関ジャニ∞ を指しているわけではない。
(*13)文春側に、同社が取材した内容を信ずるにおいて相当の理由があったと言えるかどうか。「公益性」「真実性」と合わせて、名誉毀損が免責されるための要件のうちのひとつ。
判決内容
本事件は、2004年2月に、最高裁が上告を棄却するかたちで判決が確定した。判決が確定するまでの経緯はやや複雑だ。
まず、第一審である2002年3月の東京地方裁判所による判決では、文藝春秋に計880万円の支払いが命じられた。9つの主要な争点のうち、(6)~(9)までは真実性・相当性が認められたものの、ジャニー氏によるジャニーズJr. への性加害報道を含む(1)~(5)の内容については真実性・相当性が認められず、ジャニー氏らの名誉を毀損したものとして不法行為責任を負うべき記述であると認定されている(*14)。
ところが、双方が不服として控訴して迎えた2003年7月の東京高等裁判所による判決は、一転して(1)の性加害についての真実性を認めた。裁判記録における該当部分の記述は、次のとおりだ。
当裁判所は、後述する通り、本件各記事のうち、上記(1)の記述、すなわち、一審原告喜多川(*15)が、少年らが逆らえばステージの立ち位置が悪くなったりデビューできなくなるという抗拒不能な状況にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものであるほか、公益を図る目的でその掲載頒布がされたものであって、一審原告らに対する不法行為を構成するものとはいえないと判断する
また、(2)から(5)までは一審に続いて真実性・相当性が認められなかったものの、賠償額は120万円に減額された。(6)~(9)までも一審からの変更はなく、真実性・相当性が認められたままとなった。
ジャニーズ側は上告したものの、最高裁は2004年2月に上告を棄却したため、東京高裁判決が確定した。
最終的な裁判所の判断
改めて、週刊文春による報道内容と、最終的に裁判所が真実性・相当性を認定した項目、対応する記事の関係性をまとめると、次の表のとおりになる。
記事内容 |
真実性・相当性 |
該当記事 |
(1)性加害行為 |
認める |
2, 3, 5, 6, 7 |
(2)ジュニアの飲酒喫煙 |
認めない |
2 |
(3)万引行為の封印 |
認めない |
4 |
(4)フォーリーブスへの冷遇 |
認めない |
1 |
(5)所属タレントの冷遇 |
認めない |
6 |
(6)学校に行けないスケジュール |
認める |
2 |
(7)関ジャニの給与面などにおける冷遇 |
認める |
5 |
(8)ファンを無視したファンクラブ運営 |
認める |
8 |
(9)マスメディアによる追従 |
認める |
4 |
(*14)ちなみに、ジャニーズ事務所による週刊文春への謝罪広告掲載の要求は認められなかった。
(*15)ジャニー喜多川氏を指す。
性加害として認定された論拠
紙幅の都合上、(6)~(9)の検討は別の機会に譲るとして、(1)について詳細を確認していく。高裁判決ではどのような証拠を基に、ジャニー氏の性加害についての真実性が認められたのだろうか。
引用部分が長くなるが、高裁がその真実性について検討している箇所を、できるだけ判決の原文を参照できるかたちで確認していこう。
被害を受けた少年らの供述
まず裁判所が検討するのは、被害を受けた少年らの供述についてだ。裁判所は、少年らの供述の信用性を評価しており、逆にジャニー氏の反論が曖昧であると指摘している。
上記のとおり、取材班の取材に応じた複数の少年らは、一審原告喜多川からセクハラ行為を受けたと供述するところ、これらの少年らの一審原告喜多川のセクハラ行為の態様及びその時の状況に関する供述内容はおおむね一致するものであり、かつ具体的である。
また、上記の少年らは、そのほかの点についても率直かつ詳細な供述をしているものと認められ(略)、少年らが一審原告喜多川からセクハラ行為を受けた時期については明確に記載されていないものの(略)、前記の通り、証人A(*16)は一審原告喜多川から初めてセクハラ行為を受けたのは、中学3年生の冬ころ合宿所においてであったと供述するなど一審原告喜多川からセクハラ行為を受けた時期を明らかにしており(略)、証人Bも、中学2年生秋ころからジャニーズ・ジュニア事務所のレッスンを受けるようになったが、元光GENJIの山本淳一のCDジャケットに載せる写真に自分も一人として撮影されることになってこれに参加した後、一審原告喜多川の事務所兼自宅であるアークヒルズに行くようになり、その後10回程同所を訪問している間に何回か一審原告喜多川からセクハラ行為を受けたと供述しているのであって、ある程度一審原告喜多川からセクハラ行為を受けた時期を特定しうる事情を供述しているものというべきである(略)。
したがって、少なくとも、証人A、同Bが供述する一審原告喜多川のセクハラ行為については、一審原告らが防御権を行使することができない性質のものであるとはいえないところ、一審原告喜多川は、少年らの供述するセクハラ行為について、「そういうのは一切ございません。」と述べるだけであって、ある行為をしていないという事実を直接立証することは不可能であるとしても、少年らが供述する一審原告喜多川からセクハラ行為を受けた時の状況やその他セクハラ行為に関連する事実関係について、一審原告らは具体的な反論、反証を行なっていない。
また裁判所は、証拠の一部として参照された、性加害行為を告発した元ジュニアの著作についても言及している。
また、昭和63年に元フォーリーブスのメンバーである北公次が著した「光GENJIへ 北小路の禁断の半生記」には16歳の時に日劇ウエスタンカーニバルを鑑賞している時に一審原告喜多川と知り合って、ジャニーズの付き人となり、一審原告喜多川の勧めで四谷のお茶漬け屋の2階に住むようになって二日目にセクハラ行為にあい、一審原告喜多川は、北公次の体を優しく何度もさすり、マッサージといえなくもなかったがそのうち下半身に及んできた旨が記述され、その時期を含めて一審原告喜多川から初めてセクハラ行為を受けた時の状況が具体的に記されており(略)、平成9年に豊川誕が著した「ひとりぼっちの旅立ち」の中にも、豊川誕が一審原告喜多川から初めてセクハラ行為を受けた時期等を特定しうる記述がされている(略)。
しかし、一審原告喜多川がこれらの著作について抗議したことがなかったことは前記のとおりであり(一審原告喜多川は、抗議をしなかった理由について、抗議するとまた書かれて、エスカレートするだけだからと供述するが、実際に抗議したことはなかったのであるから、実際にそのような経験をしたわけではない。)、また、本件訴訟において、一審原告喜多川は、これらの本は北公次や豊川誕が自分で書いたものではないとか、これらの本に書いてあることは事実ではないと述べるものの、これらの本に記載された一審原告喜多川のセクハラ行為に関する事実についても、一審原告らは積極的に反論、反証は行なっていない。
(*16)証人A,Bは、ジャニー氏から性加害を受けたとされる少年。裁判記録では「証人〇〇」というかたちで実名が公開されているが、本稿ではこのように表記する。
性的機能喪失という主張の証拠能力の低さ
次に判決が検討するのは、ジャニー氏による報道内容への反論についてだ。この点について判決は、その証拠能力の低さや曖昧さを再三指摘している。
まずジャニー氏は、自身の陳述書において過去の病気の手術のために性的機能を失っていたから性加害行為を行うことは不可能であったと主張していたため、裁判所はその内容について検討するが、医師の診断書には性的機能の喪失に関する記載が存在しないことを次のとおり確認する。
一審原告喜多川は(略)、昭和49年6月10日に直腸がんの治療のため東京医科歯科大学医学部附属病院に入院し、同月20日に直腸前方切除、、端々吻合、一時的人工肛門造設術を受け、同年7月16日には人工肛門閉鎖術を受けてこの疾患は治癒したが、上記手術により完全に性的機能及び能力を失ったほか、30年経った今でも大きな傷跡が残り、この傷跡は上半身にも及んでいると記述しているが、医師の診断書(略)には、一審原告喜多川が上記の手術を受けたことは記載されているものの、この手術の後遺症として一審原告喜多川が性的機能及び能力を失ったとは記載されておらず、また、この診断書の記載からこの手術による一審原告喜多川の傷跡の大きさ、形状等を理解することもできない。
そして、診断書以外にそれを証明する証拠も不十分であることを理由として、裁判所はジャニー氏の主張を退けた。
ほかにも、上記陳述書の手術による後遺症の存在や手術の際の傷跡に関する記述を裏付ける証拠は見当たらないから、この陳述書だけでは、上記の手術により一審原告喜多川が完全に性的機能及び能力を失ったと認めることができず、また、その手術による傷跡が具体的にどのようなものであって、例えば証人Aが一審原告喜多川からセクハラ行為を受けたという平成9年ころの状態がどのようなものであったかについてこれを認めるに足りる証拠もない(なお、証人Aの証言によると、証人Aは昭和57年3月生まれであり、一審原告喜多川から最初にセクハラ行為を受けたのは証人Aが中学校3年生であった15歳のときであるというのであるから、この証言によると、このセクハラ行為を受けた時期は平成9年ころになり、一審原告喜多川が上記の手術を受けたという時期から約23年が経過していることになる。)。
そうすると、一審原告喜多川が昭和49年6月10日の手術により性的機能及び能力を失ったことを前提にして一審原告喜多川の少年らに対するセクハラ行為の存在を否定することや、前掲(略)の各書証や証人A、同Bの証言中に、一審原告喜多川の手術による傷跡に触れるところがないことを理由にしてこれらの証拠の信用性を否定することはできないものといわなければならない。
ジャニー氏による曖昧な反論
次に裁判所が検討するのは、ジャニー氏の法廷での尋問における回答だ。裁判所は、ジャニー氏が文藝春秋側の弁護士から「証言をした少年らが嘘をついているとするならばなぜか?」という趣旨の質問を受けた際の印象を、「必ずしも的確とは言えない返答をし」ているとまとめている。
上記の通り、一審原告喜多川は、少年らに対するセクハラ行為について、「そういうのは一切ございません。」と概括的に否定するものの、本件一審被告(*17)ら訴訟代理人から、一審原告喜多川の主張を前提にすると北公次や上記の少年らは一審原告喜多川の名誉を傷つけるようなホモセクシュアルな行為を一審原告喜多川から受けたと虚偽の供述をする理由は何かと質問された際、必ずしも的確とは言えない返答をし、本件一審被告ら訴訟代理人から、(略)「端的に言って、証人A君がうそをついたのはなぜなんでしょう。」、「申し訳ありませんが、端的に答えてください、証人A君が嘘をついた理由としてあなたが思っているのは、証人A君がさびしいからだと、こういうことですか。」、などと質問され、明確な答えをするよう促される場面も何度かあった。
さらにジャニー氏は、その後も尋問の場において、「わびしい」「寂しい」などの表現を使いながら意図が不明瞭な主張を繰り返し、裁判所から疑義を抱かれていく。その様子が確認できるのが、次の場面だ。
そして、一審原告喜多川は、これらの質問に対する答えとして、「要するに、証人Bも証人Aも、同じところで今お世話になっていると思いますけれども、これも憶測です。ただ、僕は、証人Bも証人Aもそれぞれ自分で集めた子です。その子たちは、今、仲間になっています。でも、僕はそういうわびしい存在にあるわけです。要するに、みんながファミリーだと言いながら、そういうふうに考える人もいるわけです。だから、やっぱり、昨日も申し上げたけど、血の繋がりのないというほどわびしいものはないと。という意味で、寂しかったからというのは、逆に、僕自身だったかも分かりません。」とか、「僕がさびしいからと、今、申し上げたんですけど。」などと必ずしも趣旨の明確ではない答えをした(後略)
また、ジャニー氏は、本人が身に覚えがないことで非難されていることに対して訴えを起こしている立場であるにもかかわらず、少年らの証言に対して怒りを見せるどころか、むしろ少年らを擁護するようなかたちで曖昧な回答を繰り返し、最終的には少年らが虚偽の証言をしたものではないと間接的に認める証言も残している。特に決め手となったのは、ジャニー氏による「彼たちはうその証言をしたということを、僕は明確には言い難いです」という発言だ。
ジャニー氏の答弁から始まる次の引用箇所では、裁判所がその発言を「極めて不自然」であるとまとめている。
(前略)「ということは、今、先生が指摘された阿部なにがし(*18)も、結局そこへ名前が出てきます。その時点でもう、いろんな少年が出てきているわけです。でも、それはやっぱり、何かの事情で、それはホモセクシュアルな事情じゃないと僕は思います。それは何らかの事情で自分たちが裏切り行為をしたとか、そういう気持ちの中で離れていっていると思うんです。だから、いわゆる印象づけると言ったらおかしいですけど、もう一度、僕が彼たちを全然恨んでも何でもいません。だけど、先生が、今、うそ、うそとおっしゃいますけど、彼たちはうその証言をしたということを、僕は明確には言い難いです。はっきり言って。彼たちは本当に誠心誠意、僕のことを考えて、いろいろ今まできていると思いますし、僕も彼たちのことをずっと考えてきてます。で、いきなり、ぱっとそのことがあって、お前はうそと信じるかと言われても、その・・じゃあ親子の関係じゃないかも、血の関係がないかもわからないけれども、ずっと彼たちは、そう、1日、2日の付き合いじゃないわけです。だから何年もこういうふうにきているわけです。それが突如としてこういうふうになるということは、本当にお互いにさびしいことだと思います。」と供述している。
これらの一審原告喜多川の供述内容は、少年からいわれのない誹謗中傷をされ、しかも、精神的・社会的に未成熟な少年らに対しホモセクシュアルな行為を行なったという道徳上も強く非難されるべき破廉恥な行為をしたとの虚構の事実を述べられたものであったとすれば到底考えられないものであり、また前記のとおり一審原告喜多川の陳述書(略)には、一審原告喜多川が昭和49年6月の手術により完全に性的機能及び能力を失ったとされているところ、その記載が本当であったとすれば、一審原告喜多川は、「だけど、先生が、今、うそ、うそとおっしゃいますけど、彼たちはうその証言をしたということを、僕は明確には言い難いです。」と供述しているのであって極めて不自然であり、かえって、この供述部分は甲30(*19)の記載内容の真実性についても重大な疑問を抱かせるものというべきである(略)。
(*17)文藝春秋社ならびに週刊文春取材班を指す。
(*18)ジャニーズ事務所の振付師である阿部雄三氏(通称:サンチェ)を指す。
(*19)ジャニー喜多川氏の陳述書を指す。
取材体制
3点目に裁判所が検討したのは、週刊文春の取材体制だ。この点について裁判所は、週刊文春の取材班が適切な取材方法を取っていることを認めている。
前述したように、少年らへのインタビュー時間は20時間以上にもおよび、重要な点について、複数の少年へ様々な角度から質問を投げかけて確認したことから、十分な裏取りがなされているものと判断された。
証拠(*20)(略)によれば、取材班は島田、矢内、金子かおり、及び中村竜太郎の4名であり、少年12名に取材し、そのうち10名以上がホモセクシュアルの被害を訴えたこと、取材班は、少年らに対し、大事な点については、角度を変えて何度か繰り返し質問し、矛盾がないか確認したこと、以上の事実が認められる。
そして、証人A、証人Bのほかの複数の少年が、一審原告喜多川は、まず少年らにマッサージを施し、次いでセクハラ行為に及んだと供述し(略)、前記のとおり北公次が著した「光GENJIへ 北公次の禁断の半生記」にも同旨の記載があるところ、一審原告喜多川が一審原告事務所に所属する少年らに対しマッサージを施したことがあることは、一審原告喜多川の自認するところである。
(*20)週刊文春取材班のメンバーである島田氏、矢内氏の証言を指す。
少年らの供述の信用性
最後に裁判所は、被害を受けたとされる少年らの供述の信用性について再検討している。
ポイントとなったのは、
① 少年らが虚偽の供述をする動機があるか
② 少年らが自ら捜査機関に申告しなかったことは不自然ではないか
③ 記事内容と少年の証言に食い違いが存在するが問題がないか
という3点だ。裁判所は各点について、いずれも供述の信用性を毀損するものではないと結論づけた。実際の検討の内容は次のとおりだ。
① 少年らが虚偽の供述をする動機があるか
①の点についてジャニー氏は、少年らが嘘をついているならばそれはなぜかと理由を聞かれて、「ジャニーズを途中で辞めて寂しい思いをしているところに文春の記者か誰かに騙されるかして、こんなことをしてしまったのかなとも思う」と回答している。
しかし、この主張は「事実の捏造までして一審原告喜多川が少年らにホモセクシュアル行為をするような人物であるとの汚名を着せる動機として十分であるとはいえない」として棄却された。この点について、判決文では次のように述べられている。
上記の通り、証人A、証人Bのほか上記の少年らは、一審原告喜多川のセクハラ行為について具体的に供述し、その内容はおおむね一致し、これらの少年が揃って虚偽の供述をする動機も認められないのであるから(なお、一審原告喜多川は、証人A、証人Bらが虚偽の供述をする理由を質問されて、証人Aらは自分の友達が世の中にどんどん出て来ているのを見て寂しい思いをしているのだと思うとも供述し、(略)陳述書にも、証人Aらは、ジャニーズを途中で辞めて寂しい思いをしているところに文春の記者か誰かに騙されるかして、こんなことをしてしまったのかなとも思うとの記述があるが、単に寂しかったというだけでは、少年らが一審原告喜多川に対し、事実の捏造までして一審原告喜多川が少年らにホモセクシュアル行為をするような人物であるとの汚名を着せる動機として十分であるとはいえない。)、これらの証言ないし供述記載は信用できるものというべきである。
② 少年らが自ら捜査機関に申告しなかったことは不自然ではないか
②について裁判所は、少年らの年齢、社会的地位、彼らが受けた精神的衝撃を鑑みて、少年らが保護者や警察に相談しなかったことも不自然ではないと結論づけた。
なお、一審原告喜多川のセクハラ行為に関し、少年らやその保護者から捜査機関に対する告訴等がされた形跡もなく、捜査機関による操作が開始された状況もうかがえないが(略)、被害者である少年らの年齢や社会的ないし精神的に未成熟であるといった事情、少年らと一審原告喜多川との社会的地位・能力等の相違、当該行為の性質及びこの行為が少年らに及ぼしたと考えられる精神的衝撃の程度等に照らせば、少年らが自ら捜査機関に申告することも、保護者に事実をうち明けることもしなかったとしても不自然であるとはいえず、また、少年らの立場に立てば、少年らが、一審原告喜多川のセクハラ行為を断れば、ステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなることを考えたということも十分首肯できるところであって、この点の(略)各証拠は信用できるものというべきである。
③ 記事内容と少年の証言に食い違いが存在するが問題がないか
③は、週刊文春の記事内容と、証人となった少年の証言の間で、初めて性加害を受けた場所に食い違いがあったというものだ。記事中ではその場所が全日空ホテルと記されており、証人Aが法定で証言した場所は合宿所(ジャニー氏の自宅であるアークヒルズ)だった。
しかしこちらも、「アークヒルズと全日空ホテルは隣り合わせの位置に」あることを理由に「証言の信用性を左右するものとはいえない」と結論付けられた。
また、証人Aが取材班に述べた内容が記載された乙20(*21)には、証人Aが一審原告喜多川から最初にセクハラ行為を受けた場所について、全日空ホテルであったと記載され、合宿所(前示のとおり東京都港区六本木の高層マンションの一室であり、(略)このマンションの名称は「アークヒルズ」であると認められる。)であるとするこの点の証人Aの証言とは食い違いがあるが、アークヒルズと全日空ホテルは隣り合わせの位置にあって、証人Aにはこの点の記憶に混同があったものと認められるから(略)、この点は証人Aの証言の信用性を左右するものとはいえない。(なお、この時の証人Aの体験が衝撃的なものであったからといって、証人Aが必ずしもその体験をした場所について鮮明に記憶している筈とは必ずしもいえない。)。
(*21)週刊文春による記事を指す。
結論
これらの検討を経て、高裁はジャニー氏の性加害報道について真実性を認めた。実際の判決文は次のとおりだ。
以上のとおりであるから、一審原告喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの(略)各証言はこれを信用することができ、これらの証拠により、一審原告喜多川が、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったりデビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの本件記事2, 3, 5ないし7の各記事は、その重要な部分について真実であることの証明があったというべきである。
また、仮に一審原告喜多川のセクハラ行為に関する上記各記事の内容に真実でない部分があったとしても、上記(略)の取材班による取材の方法・実態、上記(略)証拠の内容、上記(略)の一審原告喜多川の弁解の内容(有力な反証も提出されていない。)等に照らせば、一審被告らが、上記各記事の内容が真実であると信ずるにつき相当の理由があったものというべきである。
前述したように、この高裁判決に対してジャニーズ事務所側は上告した。しかし、2004年2月に最高裁がこれを棄却したため、高裁判決が確定することとなった。このようにして、ジャニー喜多川氏による少年らへの性加害も、真実性があるものとして認定されたのである。