⏩ デモに意味がないと考えている人は多い
⏩ デモは歴史的に政治手段としての6つの役割を担う
⏩ デモは結果を変えなくても正当化される?
⏩ 現在の学生デモの要求はむしろ逆効果という見方も
元乃木坂46のタレント・山崎怜奈氏が読売テレビの情報番組・ウェークアップに出演した際のコメントが議論を呼んでいる。
2024年5月4日、イスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃に対し、アメリカの大学を中心に広がる抗議デモについて、山崎氏は次のように述べた(太字は引用者による、以下同様)。
学生たちと年齢が近い私からすると、せっかく入った難関大学を退学処分になるかもしれないという可能性もはらんでいる中で、デモの有効性ってどこまであるんだろう。
そのうえで、「若者たちが起こしているデモがアメリカの政府とはいかなくても、国を動かすっていうことがどのくらい可能なのか」と続けた。
こうした発言については、批判的な声が向けられている。たとえば、デモが効果を発揮した例は歴史的に報告されており、現在人々が当然だと思っている権利はそうして勝ち取られてきた、というものだ。
ただし、デモが効果を発揮したという例だけで、それを正当化することにも限界はある。
後述するように今回のデモについて、イスラエル経済に打撃を与えるという意味での有効性には疑義が呈されている。その場合、山崎氏が疑問を示したように、デモをし続ける理由はないようにも見える(学生たちは主に、イスラエル経済に打撃を与えるというよりは、各大学にイスラエル関連企業との関係を断ち切るよう求めているため、やや議論がすれ違っている側面はあるだろう)。
したがって、「国を動かす」などの視点から議論する限り、デモの正当化が難しい場合もある。デモの意味を考えるためには、デモが社会に変化を生み出す可能性がゼロだとしても、それを正当化し続ける理由はあるのか、という問いも考える必要があるだろう。
果たして、デモには意味がないのだろうか。
多くの人々はデモに意味がないと思っている
前提として、山崎氏が示した見方は決して珍しいものではなく、デモの有効性に対する疑問は人々の間で広く見られる。
たとえば、日本財団が6カ国(日本・アメリカ・イギリス・中国・韓国・インド)で実施した18歳意識調査(2024年2月実施)によれば、日本は「自分の行動で、国や社会を変えられると思う」と答えた人の割合が 45.8% で最低だった。
そして、こうした感覚は若者の間にだけ見られるものではない。NHK の「日本人の意識」調査によれば、政治に対する国民の行動(「デモなど」)が有効だと感じている人は、1973年(47%)から2018年(21%)にかけて長期的に減少傾向にあり、世代を問わずにデモの有効性は疑問視されていると言える(*1)。
(*1)立命館大学の富永京子准教授は、若年層になるほどデモに対して否定的な態度をとることを示している。同准教授はその理由について、社会運動が不可視化されていること、社会経済的条件の変容、個人化・流動化の影響などを示唆する。詳細は、富永京子『みんなの「わがまま」入門』(左右社、2019年)に詳しい。
デモは無意味なのか?
そのうえで、デモに意味があるかという問いを考えるにあたっては、デモを正当化するアプローチに注目することが役立つ。具体的には、デモは(1)自らの誠実さを示す手段(2)政治的に有効な手段として擁護されてきた。
1. 自らの誠実さを示す手段
1つ目のポイントは、デモが参加者自らの誠実さを示す手段として正当化されるという点だ。この視点については、ウォーリック大学のクリストファー・ミルズ准教授とユニバーシティ・カレッジ・ロンドンのプリンス・サプライ教授の研究が参考になる。
ミルズ准教授らは、商業的ボイコット(不買や取引中止など)について、たとえ結果が変わらない(効果がない)としても正当化されるべきだと主張している(*2)。
彼らによれば、重要なことはボイコットによって参加者各人の道徳面での誠実さ(自分の価値観と行動の一貫性)が保たれることだという(*3)。自分の価値観と相反する政策に、自分が関与しているかを気にする人は少なくない。たとえば、労働者を搾取している企業の商品を買っていないか、自分がふだん買い物をするブランドが環境にやさしいのか、などを気にかけるといった具合だ。
この時、そうした価値観と一致した行動を取る(たとえば、強制労働を通じて生産された服を買わない)ことで各人の道徳的な誠実さが維持される。ミルズ准教授らによれば、そのような行動によって参加者たちは自尊心を保つことができる。あるいは、自分の価値観と相反する行動を取ったり、価値観を体現した行動をしない時に生まれる葛藤や不調和を避けることができる。
今回の学生デモも、大学側に対し、イスラエル関連企業に対する投資の撤回(ダイベストメント)を求めている。デモに参加する学生たちは自らの所属する大学に対し、イスラエルを支援するような方針の撤回を要求することで、各人の道徳的な誠実さを保とうとしている可能性は否定できない。
言い換えれば、イスラエルによるパレスチナ人殺害を許容できない学生にとって、自分の大学がイスラエルを支援し続けている状況を無視したままでは、自尊心を保つことができないとも言える。この時、自らの一貫性を示す手段としてデモが位置付けられており、その意味でデモには意義があると言えるだろう。
この議論で重要なポイントは、何らかの変化を生み出すことがデモをおこなう唯一の価値ではないことを示唆している点だ。とはいえ、現実的にはデモの有効性を無視することは難しいだろう。そこで、次に見る有効性という視点が重要になる。
(*2)この研究は示唆的だが、商業的ボイコットに焦点を当てている点には注意が必要だろう。すなわち、同研究の議論をデモにまで応用できるかは定かでない。特に、商業的ボイコットは、ほとんど企業の意思決定に影響を与えないとする前提を置いているが、デモの場合、(誰かを傷つけるなどの)深刻な負の影響をもたらす懸念が十分成立しうる。そのため、結果にかかわらずデモが正当化されると主張することは論争的だ。
(*3)ミルズ准教授らは、これを道徳的純一性(moral integrity)と呼んでいる。
2. 政治的に有効な手段
2つ目は、政治的に有効な手段としてデモが位置付けられてきたということだ。
前提として、デモや社会運動、政権への抵抗運動などの「成功/失敗」については、多くの基準がある。また、今回の抗議デモにも言えるが、各運動が単一の目標を掲げているとは限らず、部分的に成功を収めたというケースも少なくない。
ハーバード・ケネディ・スクールのエリカ・チェノウェス教授が指摘するように、「成功」の基準を明確に設定すること自体難しいケースもある。というのも、家父長制や気候変動、資本主義といった社会変革を求めるデモについては、何をもって運動の成功とするか議論の余地があるからだ。
山崎氏の「デモの有効性」や「国を動かす(ことの可能性)」といった発言についても、そのニュアンスは定かでない(*4)。たとえば、大学側にイスラエル企業との関係を検討させる有効性もあれば、関係の断絶、その先にイスラエル経済へ打撃を与えたり、停戦をさせる有効性なども想定される。
そのうえで、デモや社会運動は、大きく6つの視点から政治的に有効な手段と理解されてきた。具体的には、
- 政治リーダーの打倒、体制転換
- 政策・方針の転換
- 世論や市民の変化
- 議論の喚起
- 連帯感の形成
- 政治参加の手段確保
だ。
(*4)テレビ番組における発言のニュアンスについて、限られた時間内で正確に視聴者に伝えることは時に難しい場合があるだろう。ここで重要な点は、発言のニュアンスが上手く伝わっているかということよりも、デモの有効性や成功の基準について曖昧なまま議論が進むケースが少なくないということだ。
2-1. 政治リーダーの打倒、体制転換
第1に、政治リーダーの打倒あるいは政治体制の転換があげられる。
前述したチェノウェス教授は、歴史上の抵抗運動(戦闘、大衆のデモ、大規模なストライキなど)について、3.5% ルールという仮説を提示する。これは、
運動の観察可能な出来事の絶頂期に全人口の3.5%が積極的に参加している場合、革命運動は失敗しないという仮説
を意味している。たとえば、2003年にジョージアで起きたバラ革命は、同国の人口の 4.7% に相当する18万人以上の抗議者が議会の外に集まり、エドゥアルド・シェワルナゼ大統領(当時)を追放した。
首都・トビリシの議事堂前に集まった市民(2003年)(Zaraza, CC BY-SA 3.0 DEED)
そのうえでチェノウェス教授は、1900年から2019年の間、非暴力革命は 50% 以上が成功した一方で、暴力革命の成功率は 26% にとどまると指摘する。この意味で、暴力を伴わないデモには意味がないどころか、暴力的な革命よりも有効な可能性がある(*5)。
(*5)チェノウェス教授が自認するように、暴力と非暴力の線引きは難しい。
2-2. 政策・方針の転換
第2に、デモの抗議相手(国や地方政府、企業、大学など)に対して、個別の政策・方針を転換させるケースがあげられる。これは国や企業のリーダーを変えずとも要求できる点で、前述のケースとは異なる。
たとえば日本では、1970年代から80年代にかけて、原子力発電所の計画が浮上した後に、住民の反対運動(*6)によって計画が頓挫したケースが複数ある。新潟県巻町(*7)では、1970年頃に東北電力が原発の設置を計画したが、地元住民の反対運動の結果、約30年後の2003年に同計画は撤回されている。
足元のイスラエルに関連するケースについては2024年2月、大手商社・伊藤忠商事がイスラエルの軍事産業大手、エルビット・システムズとの協力を同月末までに打ち切ると発表した。伊藤忠の担当者は、国際司法裁判所(ICJ)がイスラエルにジェノサイドを防ぐためのあらゆる措置を命じ、外務省がこの命令の「誠実」な履行を求めたことを踏まえ、打ち切りの決定を下したと語った。
同社に対しては、ガザでの戦争開始以来、市民団体からの署名を含むデモや、子会社のファミリーマートに対する不買運動がマレーシアで起きていた。伊藤忠の広報は、抗議があったことは認識しているが、それを判断材料に意思決定したわけではないと説明している(*8)。
一方、デモが政策変更につながらないケースもある。2019年に盛んになった香港の民主化運動は五大要求を掲げていたが、1つの要求(条例改正案の撤回)を除いて達成されていない。今もデモは続いているため、失敗したと結論づけることはできないが、現時点では成功に至っていない。
今回の学生デモの要求についても、その成否が議論されているが、詳細については後述する。
(*6)これには、デモ以外にも住民訴訟などが含まれる。
(*7)2005年の合併により、現在は新潟市。
(*8)そのためこのケースでは、デモや抗議活動がどのくらい有効だったかは現時点で分からない。
2-3. 世論や市民の変化
第3に、世論や市民の変化という視点があげられる。デモの前後で世論のデータを入手できるとは限らないため、デモと世論の関係についての研究が十分に蓄積されているとは言えない。とはいえ、デモや社会運動による世論や投票行動への変化を示唆する研究もある。
たとえば、ハーバード大学のソウミャジット・マズムデル研究員によれば、アメリカで1960年代に盛んにおこなわれた公民権運動は、その後、市民の政治的・社会的態度に変化をもたらした。具体的には、歴史的に公民権運動を経験した郡の白人は、自らを民主党員であると認識し、アファーマティブ・アクションを支持する傾向が高く、黒人に対して人種的憤りを抱く可能性が低いという。
同様の現象は、近年の運動でも確認されている。ストックホルム大学のアンドレアス・マデスタム准教授らによれば、2009年頃にアメリカで盛んになった保守派の抗議活動・ティーパーティー運動は、2010年の中間選挙で共和党票の増加につながった。
今回の学生デモによる影響についても、11月の大統領選挙においてバイデン大統領が若年層の支持を失い、再選の可能性が損なわれるとも指摘されている。5月6日、グラミー賞を受賞したこともあるラッパー、マックルモアがリリースした新曲・HIND’S HALL(*9)には、「バイデン、お前の手は血まみれだ、秋にはお前に投票しない」という歌詞が登場する。
一連のデモが世論にどのような影響を与え、変化をもたらすのかについては今後の研究を待たなければならない。少なくとも、デモが引き続いている現段階で、世論に与える効果がない、と結論づけることはできないだろう。
(*9)コロンビア大学の一部のデモ参加者は、同大学のハミルトン・ホールを占拠した際に HIND’S HALL という幕を掲げた。HIND とは、2024年1月にパレスチナで死亡した少女、ヒンド・ラジャブに由来する。
2-4. 議論の喚起
第4に、議論の喚起があげられる。デモや社会運動は、社会で当然視されている規範や市民の関係性に疑問を呈することで、「(当たり前とされてきた社会の)均衡状態を不安定」にする。たとえば、20世紀初頭に広がった女性参政権を求める運動は、男性にのみ参政権が認められるという当時の規範を揺るがした。
女性参政権を求めて行進する活動家(1908年)(Unknown author, Public domain)
ノースカロライナ大学ウィルミントン校のサラ・ギャビー氏と同大学チャペルヒル校のニール・カレン氏によれば、2011年にアメリカで始まった「ウォール街を占拠せよ」(Occupy Wall Street)運動によって、不平等の問題に関する議論がメディアの注目を集めた。同運動の前後で報道内容にも変化が見られ、中産階級や最低賃金などの問題がより扱われるようになったとしている。
今回起きている学生デモについても、大統領選挙への影響が論点に浮上している。また、これまでアメリカで困難だったイスラエル批判が公になされているという意味では、社会の規範を揺るがすものとして理解できるだろう。
2-5. 政治参加の手段確保
第5に、政治参加の手段の確保や維持があげられる。具体的には、デモを通じて、政治参加の方法は多様であり、選挙だけではないことを示すという意味だ。
政治学者のキャロル・ペイトマンなどは、デモクラシーの根幹は民衆が自分たちで自分たちに関わる事柄を決める自己決定にあると指摘し、職場や地域社会における直接参加の意義を強調した。ここで人々は、単に選挙の時だけでなく日常の中で政治に関心を持ち、多様な経路で声をあげる(べき)存在として描かれている。
このように、異なる考えや世界の見方、問題意識に出会い、自らの考えを相対化する役割がデモクラシーに期待される側面があり、その手段の1つとしてデモが位置付けられる。
今回、学生デモがおこなわれているキャンパスにおいて、一部の大学が警察を呼んで排除に乗り出したことには疑義が呈された。そうした疑問の背景にあるのは、大学キャンパスでのデモを通じて政治参加を試みる経路が閉ざされる、という考えだ。
2-6. 連帯感の形成
第6に、連帯感の形成があげられる(*10)。
特に1990年代以降、デモや種々の抗議活動を通じて、国境の内外を問わずに社会的な価値を媒介とした連帯が形成されてきた。対人地雷全面禁止条約の成立(1997年)や国際刑事裁判所(ICC)の設置(2002年)には、国際 NGO が重要な役割を果たしたとも言われる。
こうした連帯感は、互いの運動や抗議手法にインスピレーションを与え合う点にも現れている。たとえば、2022年から運動を活発化させている環境保護団体・Just Stop Oil は、絵画にトマトスープをぶちまけるという手法を編み出したが、これは世界の他の団体にもインスピレーションを与えた。
現在、アメリカを中心に展開されている学生デモは、オーストラリア、カナダ、メキシコ、イギリス、フランス、ドイツ、日本などでも見られており、公の問題に関する自発的な連携や連帯を生み出そうとしている。イギリスのリーズ大学でデモに賛同する学生の1人は、世界中の大学にテントが設置されている光景を見て「本当に刺激を受けた」と話す。
このように、デモや社会運動は、歴史的に多様な角度からその有効性について理解されてきた。
(*10)ただ、政治的な連帯感には包括的な尺度がないとも指摘されている。
現在の学生デモは有効なのか?
これらを踏まえたうえで、現在おこなわれている、親パレスチナの学生デモは有効なのだろうか。
前提として、以前の記事で報じた通り、学生デモの要求は主に、大学に対してイスラエルやその関連企業との関係を断つよう求めている。具体的には、イスラエル関連企業からの投資を撤回(ダイベストメント)することなどがあげられる。
長期的には、パレスチナを自由にするという目標を掲げる団体が多いが、足元の具体的な目標は決して荒唐無稽なものではない。以下で見るように、いくつかの大学では合意が成立しており、現実的なラインで目標設定がなされ、それは有効だったことを示唆している。
「ささやかな」成功事例
緊張が高まっている大学もある一方で、いくつかの大学では、すでに「ささやかな」成功事例も報告されている。ここで言う成功とは、大学にイスラエルに対する方針転換やその検討を迫っているという意味だ。
たとえば、ノースウェスタン大学は4月29日、投資の諮問委員会を設置するなどの条件と引き換えに、学生団体にテントを撤去してもらうことで合意に至った。
ブラウン大学では4月30日、デモ参加者たちがキャンパスに展開していたテントを撤去することで合意に達した。大学側は、ガザでのイスラエルによる軍事作戦に関連する企業からの資金引き揚げについて協議し、その後採決をおこなうと述べた。抗議活動に参加したある学生は、「これは、学生団体の動員によって、大学に耳を貸させることを示したものです」と語っている。
5月3日、カリフォルニア大学リバーサイド校(UCR)も、学生抗議運動の参加者たちと合意に達した。大学の声明によれば、UCR の投資に関する詳細をウェブサイトに公表するという。さらに、武器の製造・配送に関わる企業への投資についても、「大学にとって財政的かつ倫理的に健全な方法で」(別の企業へ)再投資することも検討するとした(*11)。
UCR のモニュメントには、パレスチナの自由を求める文言の他、「シオニズムはレイシズム」と書かれた張り紙も見られる(Fluffy89502, CC BY 4.0 DEED)
イギリスのロンドン大学ゴールドスミス校でも、5月3日に抗議デモの成功が伝えられている。学生たちは大学にイスラエルへの投資を撤回する要求をしていたが、大学側が新たに倫理的な投資方針を表明することで合意に達した。その他、パレスチナ出身学生への奨学金設置、講義室の1つに戦争で死亡したパレスチナ人ジャーナリストの名前を冠する決定も示された。
このように、いくつかの大学では学生抗議デモの要求を大学側が検討したり、場合によっては要求を受け入れたケースもある。学生たちの掲げた要求が通ったという意味で、こうした抗議デモに意味がないと結論づけることは誤っているだろう。
ただ、学生たちは満足しているわけではない。UCR でデモを展開していた学生団体は、「私たち全員にとっての勝利」としたうえで、「仕事はまだ終わっていない」と投稿している。ゴールドスミスの学生団体も「パレスチナが自由になるまで戦いは終わらない」とした。
(*11)この他、ビジネススクールもイスラエルを含む複数のグローバルプログラムを中止した。さらに、ペプシコとイスラエルの食品メーカー、ストラウス・グループが所有するフムスブランド・Sabra Hummus について、キャンパス内での販売を大学が禁止する旨の要求についても、検討するとしている。
効果はないとする見方
一方で、現在のデモには効果がないとする見方も寄せられている。テンプル大学のラルフ・ヤング教授は、一部の大学にとって、学生デモとの合意は「抗議活動を鎮めるための単なる先延ばし戦術かもしれない」と指摘する。
また、仮に学生たちの要求通り、大学がイスラエル関連企業への投資を撤回しても、財務的なインパクトには乏しいとする見解もある。
Brookings Institute(ブルッキングス研究所)のダニー・バハール氏などによれば、アメリカや EU などイスラエルの主要な経済パートナーによる制裁以外、ボイコット・ダイベストメント・制裁(Boycott, Divestment, Sanction の頭文字から BDS と呼ばれる)運動が、イスラエルにとって経済的な脅威となる可能性は低い。
イスラエルは、テクノロジー、医療機器、製薬などの産業で主要なプレイヤーであり、その輸出品は高品質で代替困難なものが少なくないからだ。
逆効果とする見方
さらに、大学の投資撤回には効果がないどころか、長期的には逆効果だとする見方さえある。
この考えは、大学が投資を継続することで、イスラエル企業の運営に対してより多くの発言権を持つことができる、という論理に支えられている。投資を打ち切ってしまえば、声を上げない投資家がかわりに参入し、企業運営の方向性を転換させるチャンスが失われるかもしれないという理屈だ。
とはいえ、この理屈はデモの戦略や要求に変更を促す根拠にはなりうるが、デモを中止させる決定的な根拠にはなっていない。なぜなら、この説明は大学が企業の運営方針に声を上げることを前提としていたが、そもそもそれが適切に行われているかは定かでなく、投資や企業との関係性について、透明性を担保するよう圧力をかける必要性は依然として否定できないからだ。
このように、一連のデモによって大学が投資を撤回すると仮定しても、それがイスラエル経済に打撃を与えるかという点からは有効性に疑義が呈されている。加えて、投資の撤回は長期的に企業に対する発言権を喪失させ、むしろ望まない結果をもたらす懸念さえある。
多岐にわたるデモの意味
学生たちのデモが直接的に戦争を停止させるかは分からない。停戦には、国家間の利益をめぐる交渉や駆け引きなどの外交努力も含まれるため、デモの影響度合いを測定することは簡単ではない。
ただ、前述してきた事例が示唆していることの1つは、デモや反対運動にはすぐに成果が得られないものも少なくないということだ。足元では意味がないように見えても、長期的には成果を示すケースもあり、その有効性について現時点で結論を下すことは難しい。
さらに、大学側に投資方針の転換を迫り、それが議論の俎上に載ったという意味ではデモは成功している。アメリカ社会で困難だとされてきたイスラエル批判が堂々となされていることも、当然視されてきた社会規範を揺るがすものであり、歴史的にデモが担ってきた役割を果たしているとも言える。
ここまで見てきたように、デモの意味や有効性をめぐる議論は非常に複雑で、論点も多岐にわたる。加えて、一連の学生デモに関する有効性についても、結論が見えていない問題は少なくない。
とはいえ、デモには有効性という視点だけでは片付けられない役割、すなわち参加者たちの誠実さの担保を示す役割も提起されている。デモを正当化したり、有効性に疑問を呈する際は、そうした視点も見落とすことができないだろう。