今月10日、岸田文雄首相は金融所得課税の見直しについて「当面は触るということは考えていない。そこばかり注目されてすぐやるんじゃないかという誤解が広がっている」と発言した。
同首相は「成長の果実の分配や国民の一体感を取り戻す」ために、自民党総裁選から課税の見直しを掲げてきた。しかし、これに対して株価下落や新経済連盟の三木谷浩史代表理事による批判など経済界からの反発が広がり、就任直後での方針転換に迫られた形だ。
そもそも金融所得課税とは何であり、なぜ見直し論が広がってきたのだろうか?また、それに対する批判にはどのようなものがあり、富裕層への課税強化はどのように正当化されているのだろうか?
金融所得課税とは何か
金融所得課税とは、利子や配当金、株式の譲渡益などの金融取引による所得への課税のことを指し、その税率は一律20%(所得税15%、住民税5%)となっている。所得や資産にかかわらず一律の税率が掛かってくる他、給与などの所得とは合算されないため、例えば年収1,000万円の人が金融所得1,000万円を得た場合でも、年収200万円の人が同額の金融所得を得た場合でも、課税額は等しくなる。
他方で、勤務先から受け取った給料や賞与(ボーナス)、事業で得た所得に対して課される税が所得税だ。一律の税率がかかる金融所得税に対して、所得税は累進課税となっている。課税所得195万円未満ならば税率5%だが、課税所得4000万円以上ならば最高税率である55%(うち10%が住民税)となる。
累進性と逆進性
累進課税は、高所得者に対して高い税率を課して、低所得者については低い税率を課すため、富の再分配をおこなう上での、もっとも基本的な仕組みとして知られる。
逆に、高所得者であっても低所得者であっても一律の税率が課される金融所得税や消費税については、累進課税(累進性)の対義語である「逆進性」があると言われる。たとえば日経新聞による「年収に占める消費税負担割合」によれば、消費税10%(予測ベース)の場合、年収200万円未満の負担割合は8.9%にのぼるのに対して、年収1,500万円の負担割合は2.0%にとどまる。つまり高所得者層の税負担は、相対的に低い状況となり、これが「逆進性」だ。(*1)
つまり所得税のような「累進性」がある課税スキームに対して、現在の「逆進性」がある金融所得税について「金持ち優遇税」だという批判が出ている状況なのだ。
(*1)ただし大阪大学の大竹文雄教授が指摘するように、消費税の「逆進性」については、ある時点の所得のみを念頭に置くことで、引退して勤労所得がなくなった納税者についての評価が難しくなるという問題がある。この視点から大竹らは「驚くべきことに、消費階層別に生涯所得階級を定義すると、消費税負担は『累進的』である」と結論づけている。
1億円の壁
この金融所得税と所得税の課税スキームの違いから生まれるのが、いわゆる「1億円の壁」だ。これは、累進課税である所得税によって所得階級1億円までは税の負担割合が段階的に増えていくものの、その階級を超えると負担割合が実質的に下がっていく現象を指す。
国税庁の「申告所得税標本調査」(2019年)によれば、所得税及び復興特別所得税の負担割合は、所得階級別で以下のようになっている。
所得階級 | 負担割合 |
100万円以下 | 1.3% |
500万円以上・1000万円以下 | 8.3% |
5000万円以上・1億円以下 | 27.9% |
1億円以上 | 23.2% |
加えて、所得階級が50億円超100億円以下の超富裕層に限ってみると、負担割合が16.1%となっており、完全に「逆進性」が生まれている状況だ。
1億円の壁が生まれる理由は、富裕層になると給与所得よりも金融所得が多くなる傾向が強いことにある。たとえば東京財団政策研究所の岡直樹研究員がおこなった2010年のデータの分析によれば、超高額所得者(所得階級5000万円超)について、所得が上がるほど給与所得の割合が減って、株式等譲渡所得の割合が増えていく。
所得階級 | 給与所得 | 株式等譲渡所得 |
6000万円以下 | 47.87% | 4.85% |
1億円以下 | 36.51% | 8.26% |
5億円以下 | 22.10% | 24.74% |
10億円超 | 7.07% | 67.53% |
この結果、累進的に負担割合が増えていく所得税よりも、一律20%である金融所得課税にもとづく税負担の割合が増えていき、結果として「逆進性」が生じるという仕組みだ。
なぜ「金持ち優遇」でも一律20%?
ではなぜ「金持ち優遇」という批判があるにもかかわらず、金融所得課税は一律20%となっているのだろうか?大きく、3つの理由がある。
貯蓄から投資へ
今回の批判でもしばしば言及されていたが、そもそも金融所得課税のあり方は、政府による「貯蓄から投資へ」という政策から生まれてきた経緯がある。
「貯蓄から投資へ」は、1996年の橋本政権で提唱され、2000年の小泉政権から20年以上に渡って日本の政策的スローガンとなってきた。これは「銀行預金、郵便貯金をやめて株式、債券、投資信託を買おう」という提唱であり、貯蓄に回っている家計資産を株式や債券、投資信託などに回して、国内産業を活性化させるとともに、国民がキャピタルゲイン(金融取引による利益)を得ることを狙った考え方だ。
長きに渡って提唱されてきた「貯蓄から投資へ」だが、実態としてその掛け声は難しい状況にある。家計の金融資産は1990年の1,000兆円から倍増したものの、そのうち株式や投資信託などの「投資」比率は、1980年代末の33%から低下が続き、昨年末は16%に留まり、反対に「現預金」比率は44%から54%に高まっているからだ。
加えて、投資が求められる環境もますます切迫化している。2019年、金融庁の金融審議会における市場ワーキング・グループによる報告書「高齢社会における資産形成・管理」で、老後資金が2,000万円不足する試算が示され、大きな話題となった。この報告書は、政府が後押しする「つみたてNISA」などによる計画的な資産形成を促すことが狙いだったが、投資などによって老後に備えることの重要性が改めて強調された形だ。
一律20%という金融所得課税のあり方は、こうした「貯蓄から投資へ」という政策的な要請から生まれてきた。逆に言えば、金融所得課税の見直しをおこなった場合、20年かけても実現できなかった「貯蓄から投資へ」に、再び冷や水を浴びせる可能性がある。
足の速い金融所得
また金融所得が「足の速い所得」であることも、大きな背景だ。勤労所得や不動産所得に比べて、金融所得はどこの国や都市で稼ぐこともできる。そのため税率が高い国から逃避したり、投資を忌避して手控えてしまう傾向が強い。