コロナ禍において、芸能人の極端な選択(*1)が報じられている。さまざまなニュースサイトや、Twitter など SNS 上のトップページやトレンド欄には、関連する報道が掲載されており、中には具体的な記述がされているものもある。
こうした報道をめぐっては、後述する WHO が定めたガイドラインの遵守が求められており、各メディアによってその実践が積み重ねられている。ただし、報道のあり方が問われている一方で、そうした報道を目にする私たちがどのように行動すべきかについては、あまり触れられていないのも事実だ。またガイドラインを守ることで、メディアが直面している問題もある。
こうした情報を見ることが避けられない中で、その受け手である私たちはどのように行動するべきなのだろうか?またメディアは、ガイドラインとどのように向き合っているのだろうか?
(*1)本記事では、WHOが定める「自殺対策を推進するためにメディア関係者に知ってもらいたい基礎知識(2017年版)」の「自殺をセンセーショナルに表現する言葉、よくある普通のこととみなす言葉を使わないこと」に基づき、「自殺」という一般的な用語ではなく「極端な選択」という用語を用いる。ただし、必要に応じて前者の用語を用いる。
私たちはどうするべきなのか
まずは極端な選択に関する報道に接した際、私たちができることを見ていこう。
SNSで拡散をしない
ひとつ目はSNS上でそうした報道を拡散をしないことだ。
極端な選択に関する報道の問題点は後にも見るように、それが受け手に与える悪影響にある。そうした報道は、すでに生きづらさを感じている人を極端な選択へと背中を押す可能性や、残された家族や同様の手段で周りの人を失った人への二次被害へとつながる可能性がある。
たとえば方法や場所について具体的な記述がある報道は、極端な選択を考えている人に対して、その手段や方法を提供することになる。また繰り返される報道によって極端な選択が注目されることで、それが生きづらさの解放や復讐、一矢報いるための手段として捉えられる可能性もある。
従って、そうした報道に触れた際には、情報をそこで止め、二次的な発信者になるのを避ける必要がある。
拡散する場合には情報を確認する
二次的な発信者になるのが避けられないならば、拡散する情報を確認する必要がある。
具体的にはメディアが報道に関するガイドラインを守っているか否かが重要だ。たとえば、方法や場所について具体的な記述をしていないことや、相談窓口などを掲載して、受け手への悪影響を緩和する策を講じていることを確認する必要がある。
ただし、そうしたガイドラインが守られていても、極端な選択に関する報道であることは、掲載されている情報や社会状況から示唆される。もし可能であるならば、拡散を避けることが賢明だろう。
不要な詮索や推測はしない
また報道に際して、不要な詮索や推測もするべきではない。
もちろんこれは、極端な選択や人が亡くなったことについて話すことをタブーとみなしているわけではない。亡くなった人について誰かと語り合うことや感情を打ち明けたいと思うことは、一種の自然な反応だ。
しかし、それが他者に誤った情報を与えたり、亡くなった方の周囲の人々を不用意に刺激する可能性がある。具体的な方法や場所、その原因に関する不要な詮索や推測はするべきではなく、ましてやSNSといった不特定多数の人々が閲覧できる場では、そうした情報の拡散と共有は避けるべきだ。
また語り合いの場を設ける場合、以下のことにも注意が必要だ。
- 極端な選択を美化するような言葉を用いないこと
- 複雑な背景を単純化したり矮小化する言葉を用いないこと
- 極端な選択を望ましい選択とみなさないこと
- 助けや相談できる場所を示すこと
- 極端な選択を防げる可能性があると明確にすること
情報から距離を置く
次に、もし心がざわついたり、辛さを感じる時には、情報から距離を置いたり、誰かに相談することも大切だ。
メディアによる報道や受け手による拡散は、こちらの意図とは無関係に私たちの視界に入ってくる。そうした際には自ら情報との距離を取ることが重要だ。
その方法としては、テレビやSNSの利用を控えることや、ある特定の言葉をタイムライン上に表示させないようにするミュート機能を利用することなどが挙げられる。
「誰かを頼って」にも注意
極端な選択についての報道では、生きづらさを抱えている人に対して、「誰かを頼ろう」「困ったらすぐに相談を」という言葉が散見される。こうした言葉が善意に基づいていることは間違いないが、その使用については一定の注意が必要だ。
というのも、「誰かを頼って」や「相談して」という言葉は、生きづらい状態にある人は自ら行動して助けを求めるべき、という責任を暗に想定しているからだ。極端な選択をした人々の9割は、うつ病などの精神疾患を抱えていたことが分かっており、そうした状況では自ら行動するのが困難になる場合も多いとされる。
生きづらさを抱えた人々へ、自ら行動を促すことは、逆にその人を追い込むことになる可能性があり、安易にその言葉をかけるのではなく、「私を頼って」や「困っていることはない?」などと具体的な意図を持った問いかけが重要になる。
メディアはどうするべきなのか
他方で、メディアについては前述したように、WHO が報道のあり方のガイドラインを定めている。厚生労働省や「いのちを支える自殺対策推進室センター」も、このガイドラインに基づいた報道を徹底するよう注意喚起している。
こうしたガイドラインの策定には、
- メディアが受け手に強い影響を与えること
- その影響が3日〜2週間あること
- 報道がさらなる極端な選択を誘発しかねないこと
といった背景(*2)が存在する。こうした影響は実証研究でも示されており、またコロナ禍において動向が変化していることも指摘されている。ゆえにメディアは、極端な選択に関して責任ある報道が求められている。
同ガイドラインは、「するべきではないこと」と「するべきこと」をそれぞれ6つ挙げている。以下順に見ていこう。
(*2)こうした影響は「ウェルテル効果」と呼ばれる。ゲーテが1774年に出版した『若きウェルテルの悩み』の中で、主人公のウェルテルが極端な選択をするが、そのことでヨーロッパにおいて極端な選択が流行したことに由来する。ウェルテル効果に関する最近の実証研究については、Jan Domaradzki(2021)や T.Niederkrotenthaler(2020)、Robert A.Faheyら(2018)などがある。
メディアがするべきではないこと
まずメディアが控えるべき報道のあり方は、以下の通りだ。
- 極端な選択の報道記事を目立つように配置しないこと。また報道を過度に繰り返さないこと。
- 極端な選択をセンセーショナルに表現する言葉、よくある普通のこととみなされる言葉を使わないこと。極端な選択を前向きな問題解決策の一つであるかのように紹介しないこと。
- 極端な選択に用いた手段について明確に表現しないこと。
- 極端な選択が発生した現場や場所の詳細を伝えないこと。
- センセーショナルな見出しを使わないこと。
- 写真、ビデオ映像、デジタルメディアへのリンクなどは用いないこと。
こうした報道を避けるべきなのは、それが新たな新たな極端な選択の原因になるというよりも、それが新たな極端な選択を導くトリガーになる可能性があるからだ。
というのも極端な選択の要因は、学校問題や家庭問題といった6つの問題に分類されることが多く、それらの問題を抱えた状態は「いつ命の選択をしてもおかしくない状態」とされる。そこにメディアによる不適切な報道が加わることで、極端な選択へと背中を押してしまう可能性があるのだ。
たとえば、極端な選択で用いられた手段について、「何を」「どのように」「どれくらい」「何と一緒に」「入手経路」などと詳細に記したり、場所について「場所の所在地」「場所の名前」「侵入方法」「その場所で発生した数」を伝えることは、そのような状態にある人々に対して、具体的な手段や方法を伝えてしまうことが懸念される。
実際、特定の手段や方法を冠した報道が SNS 上で繰り返し拡散されたのちに、極端な選択への願望などを告白する投稿が相次ぎ、極端な選択をした者の数も統計的に増加したことも確認されている。
では、こうした影響を避けて、責任ある報道のためにメディアはどのようなことをするべきなのか?
(*3)例えば、韓国でも自殺は「極端な選択」と表現される他、英語圏でも“committing suicide“ という表現では、“commit“ が「罪などを犯す」という意味合いを持つため、“die by suicide“ や “take one’s life”という言葉が用いられる。
メディアがするべきこと
責任ある報道のため、メディアは以下のことを守るべきとされる。
- どこに支援を求めるかについて正しい情報を提供すること。
- 極端な選択とその対策についての正しい情報を、迷信を拡散しないようにしながら、人々への啓発を行うこと。
- 日常生活のストレス要因または極端な選択をする念慮への対処法や支援を受ける方法について報道すること。
- 有名人の極端な選択を報道する際には、特に注意すること。事実の公表に際しては、保健専門家と密接に連携すること。
- 極端な選択により遺された家族や友人にインタビューをする時は、慎重を期すること。
- メディア関係者自身が、極端な選択による影響を受ける可能性があることを認識すること。
前述した「メディアのするべきでないこと」はメディアが与える悪影響が背景にあったが、この「メディアがするべきこと」は、メディアが与える良い影響が背景にある。つまりメディアの報道のあり方によっては、極端な選択の要因となる6つの問題を解決したり、極端な選択を回避する方向へ導く(*4)ことができる。
最近では、こうした報道の実践が積み重ねられている。例えば、Yahoo!ニュースでは相談窓口情報の掲載や「報道を見てつらいと思っている人へ」といったバナーの表示をするといった措置が取られている。また LINE NEWS でも、通常は AI によるユーザーに合わせたニュースを配信するものの、特定の単語を含む場合には、自動的な配信ではなく、人のチェックが入り、相談窓口などのバナーやリンクが表示された上で掲載される。
また TikTok では、ハッシュタグを用いた取り組みがなされている。例えば昨年には「#あなたと生きるを考える」というハッシュタグとともに、動画を通じて、過去に極端な選択をする念慮を克服して今を生きている人々から、生きづらさを感じている人々へのメッセージを発信した。
(*4) こうした影響は、「パパゲーノ効果」と呼ばれる。モーツァルト作曲の『魔笛』において、パパゲーノが極端な選択をするのをやめたことに由来する
ガイドラインと現状の問題
こうした極端な選択の報道に関するガイドラインの遵守が求められ、その変化が見られている一方、それに伴う問題もいくつか指摘されている。
たとえば「自殺」といった特定の単語を使わない報道でも、それ自体が極端な選択を示唆する報道であることに変わりなく、結果としてSNS上での「死にたい」といった希死念慮を示す言葉の使用頻度が増加していることだ。
またガイドラインはあくまで遵守の対象であり、特に罰則や規制があるわけでないために、極端な報道もいまだに散見されることだ。特に週刊誌やスポーツ新聞といった媒体では、極端な選択に関する具体的な記述や推測が長期間にわたって行われる。SNS上でも、そうした記事の拡散が常に発生している状況がある。
他にも、相談窓口などのバナーは形式的に掲載しているものの、それが免罪符のような形となり、上記ガイドラインを無視するような報道も散見される。相談窓口によって全ての問題が解決するわけではなく、報道のあり方そのものが大きな責任を追っていることは言うまでもない。
ガイドラインの意義
しかし、これらによってガイドライン自体が無意味になるわけではない。それは、交通事故を防ぐことを1つの目的とする道路交通法が、交通事故が絶えないからといって無意味なものではないのと同じ理由だ。こうしたガイドラインや法は、私たちをより正しい方向に導く指針であり、方向づけだ。それらの存在によって、それに反する行動を抑えることができ、またそれに反する行動が見られる場合には、批判の目が向けられることだろう。
そして、煽り運転を厳罰化する新たな規定が道路交通法に加わったように、これらのガイドラインは現状に照らして修正や改善にも常に開かれている。報道やSNS上での規制は、報道や表現の自由といった規範との対立を免れない。だが、こうした対立を調停しつつ、現実社会の問題を解決するために工夫していくことが、より正しいガイドラインに繋がっていく。