Just Stop Oil(Just Stop Oil, CC BY 4.0) , Illustration by The HEADLINE

絵画作品にトマトスープをぶちまけることは非難されるべきか?

公開日 2023年07月03日 17:01,

更新日 2023年11月09日 13:33,

有料記事 / 脱炭素 / 環境 / 事件・事故

この記事のまとめ
⚡️絵画へトマトスープをぶちまける環境活動、非難されるべき?

⏩ 昨年から相次ぐ名画への "過激な" 攻撃
⏩ 抗議者は、気候変動への危機意識・戦術的革新・市民的不服従にもとづき行動
⏩ 「選挙で合法的に変えていくべき」や「共感を失う」との批判に、どう応答?

2023年6月14日(現地時間)、スウェーデンの国立美術館で、環境活動家2名(*1)がモネの絵画《ジヴェルニーの芸術家の庭》に手で赤い塗料をつけ、その手を絵(の保護ガラス)にはりつけた。

こうした事件が起きるのは、今回が初めてではない。2022年10月14日、英国のナショナル・ギャラリーで、環境団体 Just Stop Oil 所属の活動家が、ゴッホの代表作《ひまわり》にトマトスープをぶちまけて、気候変動への抗議をおこなった。この一件は各種メディアでも大きく取り上げられ、動画を目にした人々も多くいただろう。

昨年来、主に絵画にスープをかけたり、手や頭などをくっつけたりする環境活動家が後を絶たない(本記事末尾に絵画が狙われた事件の一覧を掲載する)

ほかにも蝋人形にケーキを投げつけたり、ベントレーやフェラーリなど高級自動車の販売店にペンキが吹きかけられる事件も起こっている。さらに活動家たちは、サッカー・プレミアリーグの試合中、ゴールポストに自らを縛りつける行為や、プロテニスの試合中にコート内へ侵入し、自らの腕に火をつけるなどの行為をおこなってきた。

こうした "過激な"(*2)抗議活動に対しては、批判も多い。具体的には、抗議活動を主導する環境団体 Just Stop Oil(JSO)が主張する「芸術と命、どちらが重要か?」を念頭に、両者は比較するものではないという反論や、抗議手法が「環境保護を目的にした活動への評価を下げることにもなりかねない」という批判だ。

環境保護を訴えるため、絵画作品にトマトスープをぶちまけることは多くの人の直観に反している。それが環境保護とはかけ離れた、非道徳的で、馬鹿げた、社会を苛つかせる行為だと思う人は、少なくないだろう。しかし同時に、こうした抗議活動が大衆の注目を集めていることも事実であり、彼らの目的は一定程度達成されている。

果たして、環境保護のために絵画作品へトマトスープをぶちまけることは、擁護されるのだろうか?

(*1)2人はスウェーデンの環境団体 Återställ Våtmarkers(スウェーデン語で「湿地復元」の意味)に所属している。
(*2)本記事では便宜上、彼らの運動を "過激" と称することがある。しかし Financial Times 誌が述べるように、「彼らはいかなる芸術作品も損傷していない」し、「一斉に店の窓を割り、電話線や電信線を切断し、郵便ポストに火を放った女性参政権に比べたら、見劣りする」ほどの "過激さ" であることも事実だ。

抗議者の論理

まずは、抗議活動を主催する人々の論理(*3)を概観しておこう。一連の事件は、主に環境保護を訴える団体 JSO によって実行された。ほかにも複数の団体が事件を起こしているが、多くが JSO の事件からインスピレーションを受けたものであり、その論理は似通っている。

その上で、彼らが名画などを攻撃する理由は、大きく3つから説明でき、具体的には 1. 気候変動への危機意識、2. 戦術的革新、3. 市民的不服従だ。

(*3)JSO をはじめとする抗議者は、一枚岩ではない。そのため、彼らが抗議活動に参加する動機や熱意は様々であり、それらをまとめて語ることはできないだろう。しかしながら本記事では問題を簡略化するために、総体的な「抗議者」として扱う。

1. 気候変動への危機意識

まず大前提となるのは、気候変動に対する強い危機意識だ。前述したように、抗議者は「芸術と命、どちらが重要か?」というテーゼを掲げている。

すでに多くの国がカーボンニュートラルを掲げて、脱炭素を実現するために、再生可能エネルギーなどへの移行を進めている。にもかかわらず、ロシアによるウクライナ侵攻でロシア産エネルギーが禁輸されるなど、短期的には各国の化石燃料への依存度は高まると懸念され、今世紀末までに気温上昇を約1.5度まで抑える目標が困難であることも指摘されている。

つまり抗議者たちは、政府や企業の気候変動に対する取り組みが不十分だと認識しており、それは "過激な" 抗議活動をしなければ、是正されないと考えている。

2. 戦術的革新

そこでポイントとなるのが、2つ目の「戦術的革新」という概念だ。これは、デモや座り込みなど従来の抗議活動がメディアなどに取り上げられなくなり、抗議への注目を集めるため、戦略の革新を迫られていることを意味する。

実際、多くの人は JSO の「誤った抗議方法」を批判するが、同時期に行われた5,000人規模のデモという「正しい抗議方法」は、メディアにほとんど取り上げられておらず、戦術的革新の合理性を示しているという指摘もある。2022年10月、長期間おこなわれてきた沖縄県・名護市辺野古での座り込みが、ひろゆき氏によるツイートによって再度注目されたことも、座り込みそのものだけでは社会的注目が十分に集まらないことを示唆している。

なぜ辺野古で座り込みをする人がいるのか?ひろゆき氏のツイートで話題
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不十分な取り組みを是正するためには、戦術的革新によって衆目を集める "過激な" 抗議が必要、というわけだ。

3. 市民的不服従

最後に、市民的不服従という考え方だ。これは抗議活動をおこなう理由であると同時に、それが正当化される論理でもある。

抗議者は、トマトスープをぶちまけることが人々の反感を買うことも理解しており、そのことは彼らのサイトなどでも明示されている。にもかかわらず、彼らは自らの抗議活動が正当だと考えており、その背景として市民的不服従の重要性を強調している。

この考え方については、後述していく。

なぜ "名画" を攻撃するのか?

こうした3つの理由は、なぜ抗議者が "過激な" 抗議活動に出るのかを説明しているが、その標的が主に名画であることの説明にはなっていない。彼らが名画をターゲットにする理由は、3つの方向性から説明できる。

理由1

1つは、芸術作品を攻撃する手法は、歴史的に見ても決して目新しくないことだ。

たとえば最も著名な反戦芸術作品の1つであるパブロ・ピカソの《ゲルニカ》は、ベトナム戦争中に非武装の民間人を虐殺した米国軍人ウィリアム・カリー中尉が保釈されたことへの抗議として、スプレーをかけられている。戦術的革新の前から、人々の注目を集める対象として芸術作品は選ばれ続けてきたのだ。

また環境保護の文脈ではなくとも、歴史的に、美術館は抗議活動の舞台となってきた。たとえば植民地主義の時代にアフリカやアジアなどから略奪された美術品の返還や、米国の麻薬性鎮痛薬オピオイドによって財を成した大富豪・サックラー家が美術館の寄付者であることへの抗議から、市民は美術館に集まってきたのだ。

事実、今回の抗議者たちは、サフラジェットから大きなインスピレーションを受けていると語る。サフラジェットとは、20世紀初頭のイギリスで女性参政権を求めて闘った女性たちのことだ。1914年、英国のナショナル・ギャラリーにおいて、メアリー・リチャードソンは、ベラスケスの《鏡のヴィーナス》を肉切り包丁で切りつけ、仲間のサフラジェットが逮捕されたことへの報復の意思を示した。

すなわち、アートは常に政治的・社会的なものであり、美術館もまた俗世から切り離された、富裕層のための鑑賞空間であったわけではない。その意味で、ある抗議者による次の指摘は示唆的だ。

あるアートを美術館に閉じ込めておき、Instagram に投稿する有料の顧客に見せるだけなら、アートは Starbuck で飲むコーヒーのようなものになってしまう。 アートは、未だ我々にとって利用可能であり、我々はアートを利用する必要がある。

理由2

2つ目は、美術館が化石燃料から利益を得ているような企業と密接な関係を持っていることだ。たとえば2022年2月、英国のナショナル・ポートレイト・ギャラリーは抗議の声を受けて石油大手・BP との関係を清算した。抗議者は、大手石油企業らが芸術作品やアーティストを支援することで、気候変動への大胆な取り組みの遅れの免罪符としていることを批判している。

また、高騰するアート作品が富裕層のためのものとなっている一方、気候変動による被害や影響が、低所得者層や途上国に偏重することを問題視する見方もある。

理由3

3つ目は、絵画について、誰しもが「価値あるもの」と合意している点だ。彼らのレトリックは、絵画と地球を、そして絵画を汚す抗議者と地球で暮らす私たちを並置させる。

すなわち、石油化学物質を用いて髪の毛を染め、Tシャツを着た抗議者が、価値ある絵画に対して食べ物をぶちまける姿は、同じく石油化学物質を用いて髪の毛を染め、Tシャツを着た世界の人々が、価値ある地球に対して食べ物を捨てている(*4)光景へと置き換えられる。

このレトリックを踏まえると、彼ら抗議者へ投げかけられる「トマトスープがもったいない」や「その髪の毛やTシャツの塗料の素材が何からできているかよく見てみろ」といった言葉は、そのまま批判者たちのもとへ返ってくる構図になっている。

絵画が汚されることに対して憤りを表明するならば、なぜ絵画と同じく価値あるはずの地球が汚されることに対して憤りを表明しないのか、というのが彼らの論理だ。オランダでフェルメール《真珠の耳飾りの少女》を使って抗議した男性は、次のように述べている

美しくて貴重なものが目の前で明らかに破壊されているのを見たとき、どう思いますか? 憤りを感じていますか?良いでしょう。地球が破壊されていくのを見たときのあの感情はどこへ行ったのでしょうか?

ただ、こうした論理があったとしても、多くの人々は抗議者の主張には賛同しないだろう。では、彼らを擁護すること、あるいは批判することは可能なのだろうか?

(*4)世界食糧計画(WFP)によれば、人間の消費用に生産された食料の約3分の1が、世界中で失われるか破棄されている。これは年間約13億トンに相当し、20億人(世界で栄養不足に陥っている人々の約2倍の数)を養うのに十分な量だという。日本では、本来食べられるにもかかわらず捨てられている食べ物、いわゆる「食品ロス」の量が523万トン(2021年度)になっている。これは、日本の人口1人あたり毎日おにぎり1個(約114グラム)を捨てている計算になるという

正当化する論理

冒頭で述べたように、芸術作品にトマトスープをぶちまけることは、一般的には非道徳的で馬鹿げた、社会を苛つかせる行為と思われているだろう。そのため、この行為を正面から称賛する人は少ないだろう。

しかし一方で、多くの社会運動が非難や嫌悪感、嘲笑を浴びることも事実だ。なぜなら、その社会運動が目指す社会制度や社会のあり方、あるいは社会的規範が自明のものであれば、わざわざ運動をして変化を求める必要はないからだ。言い換えれば、目指す社会のあり方や制度、そのメッセージが現状の社会と離れていればいるほど、社会運動は反発を呼び起こすものだと言える

その意味で、抗議者が目指している社会のあり方について、正面から考えていくことは無意味ではないだろう。

市民的不服従

前述したように、抗議者が自らを正当化するのは、それが市民的不服従の一形態であると考えているからだ。また世界的な人権団体アムネスティも、JSO の活動を市民的不服従の観点から評価する。

市民的不服従とは、何らかの目的のために意図的に法や命令を破ることだ。その法や命令が倫理的・道徳的に間違っているという、自身の正当性に対する確信(良心)から非暴力的手段が行使されることを指す。また、その結果としての逮捕や処罰を辞さないため、その行動が公然とおこなわれることも特徴だ。

市民的不服従が、重要な概念であることには多くの人が同意する。

たとえばインドの独立運動を指導したマハトマ・ガンディーや公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、ナチス政権下でユダヤ人を救ったオスカー・シンドラーは、市民的不服従の実践者とされる。また、アパルトヘイトや女性の参政権、近年の Black Lives Matter(BLM)などの社会運動でも、市民的不服従のような行動が重要な位置を占めている。

しかし、そのことは必ずしも市民的不服従が広く受け入れられていることを意味しない。なぜなら、意図的に法や命令を破る全ての行動が称賛されるならば、法や民主主義の価値は低減してしまうからだ。 ここには

1-a. 何を市民的不服従と呼ぶか?
2-a. それが民主主義社会で受け入れ可能か?

という2つの問題がある。今回の事件で言えば、それぞれ

1-b. トマトスープをぶちまけることは、市民的不服従と呼べるのか?
2-b. もしそうであるならば、それは民主主義社会で受け入れ可能か?

という問題に対応している。

1-a. 何を市民的不服従と呼ぶか?

市民的不服従の定義は、自明ではない。全ての意図的かつ非暴力な手段を用いた法律違反を市民的不服従と呼ぶことはできないし、「良心」の有無という線引きは、第三者から証明できない程度には曖昧だ。

たとえば、特定の信仰にもとづいて法を破ることは、市民的不服従と呼べるだろうか。

多様な文化的・宗教的価値観が尊重される社会(多元主義)は望ましいかもしれないが、様々な価値観に基づいて法律が意図的に破られるようになれば、その社会は民主主義的とは言えないだろう。 インディアナ大学ブルーミンティン校のウィリアム・E・ショイアマン教授は、市民的不服従という概念を整理するため

  1. 宗教的-霊的モデル
  2. 自由主義モデル
  3. 民主主義モデル
  4. アナキズム・モデル

という4つの類型を提示した。たとえばガンディーやキングがおこなった市民的不服従は称賛される事が多いもの、ショイアマン教授は「宗教的-霊的モデル」に分類した上で、その根拠がカリスマ的な指導者が提示する教えや宗教的思想に依拠していることから、正当性に限界があることを指摘する。

そのため、宗教的確信に必ずしも依拠せず、公共的言論として市民的不服従を位置付けようとする「自由主義モデル」が登場した。この理解によると、市民的不服従は、行き過ぎた多数派によって基本的な諸権利が脅かされることをチェックする機能を担っている。

しかし、自由主義的な代表制民主主義は、もはや満足のいく形で人々の不満に応答していないとする考えが普及し始めると、自由主義モデルは力を失っていく。たとえば、ベトナム戦争時代の活動家が抗議したのは、適切な民主的根拠を欠いた戦争、つまり「合衆国議会によって一度も正式に布告されず、公衆の目から隠された多くの重大な政治的決定を伴っていた」戦争だった

そこで出現したのが「民主主義モデル」だ。これは、多数決(投票)と民主主義が決して同じではないことを念頭に置いている。同モデルからすれば、投票によって選ばれた政治エリートたちは、有意義な公共の議論を回避あるいは阻止することに積極的であり、議論や異議申し立てのチャネルを遮断する。この場合に市民的不服従が正当化され、「民主主義をより広範に保護し、また潜在的には強化する」役割を期待されるのだ。

後述するように、ショイアマン教授は、これら3つのモデルに「法と合法性(リーガリティ)に対する深い尊重」を見出す。そのため同教授は、法や国家の正統性を一律に否定する「アナキズム・モデル」に手厳しい評価を下している。

2-a. それが民主主義社会で受け入れ可能か?

ショイアマン教授は、4つの類型のうち民主主義モデルを支持する。というよりも、BLM の参加者らは労働者階級の黒人やマイノリティ・コミュニティを踏みにじる「われわれの民主主義の危機」への適切な反応として市民的不服従を正当化しており、そのことに同意する。

しかし同時に、宗教的-霊的モデル・自由主義モデル・民主主義モデルの3つは、いずれも「法と合法性(リーガリティ)に対する深い尊重」という共通点を持っている。つまり市民的不服従とは

道徳的ないし政治的に動機づけられた法律違反ばかりでなく、法に対する誠実さ―あるいは尊重―を証明するような法律違反をも意味している

ものであり、かつ「民主主義をより広範に保護し、また潜在的には強化する」ものなのだ。

1-b. トマトスープをぶちまけることは市民的不服従か?

つまりトマトスープをぶちまけることが、この理念に適っているかを考えることが重要なポイントとなる。

市民的不服従は、あるトピックが民主主義社会において「重大な争点であるのに通常の(議論や異議申し立ての)チャネルが遮断されているとき」に正当化されるが、まさに気候変動は、人類の未来を左右する重大な争点でありながらも、国家を超えた議論と対策が十分になされていない(と活動家たちは考えている)領域なのだ。

特に気候変動は地球規模の問題であるため、民主主義的な手続きが届きやすい国内問題に比べて、相対的に、市民からの直接的な異議申し立てチャネルは少ないと言える。こうした状況においてこそ、気候変動に関する市民的不服従は正当化されると考えられている。

少なくとも JSO のメンバーは、こうした文脈において自らの行為を市民的不服従の一環だと認識している。

2-b. それは民主主義社会で受け入れ可能か?

しかし問題は、それが民主主義で受け入れ可能であるか、という点だ。

まず、次のような反論があるかもしれない。すなわち、英国などの民主主義社会において異議申し立てのチャネルは何ら塞がれているものではなく、間違っている制度があると思うなら、選挙などを通じて合法的に変えるべきである、という主張だ。

2022年12月、JSO の活動家がコンスタブル《乾草の車》の額縁に手をはりつけた件に関する裁判で、検察官は同様の主張を展開し、JSO の行為と、前述した20世紀初頭のサフラジェットの行為には違いがあると述べた

(サフラジェットたちには)自分たちの大義を推進するための民主的な手段がありませんでした。私たちには確立された民主主義があります。

緊急性

ただ、この種の反論は、民主主義社会において市民的不服従を否定する決定的な理由にはなりえない

というのも、制度や法などを合法的に変えようとしている間に、問題が取り返しのつかないところまで悪化してしまう可能性があるからだ。「正しい抗議」をしても制度や法が変わった頃には、すでに自然が失われ地球温暖化が閾値を超えてしまっては元も子もない。さらに、抗議者たちが当初は合法的な手段で活動をしていたが、それでは何の変化も見られないため「他に方法はありません」と認識するようになった、という事情もある。

英・Guardian 紙のアンディ・ベケットは、活動家に焦点を当てることによって、市民が本当に怒るべきこと、すなわち我々の時代における「最も緊急な問題への取り組みに失敗すること」を懸念する。

また LSE のジョナサン・ホワイト教授は「市民的不服従の呼びかけは、下からの緊急政治の一形態である」と述べて、気候変動が緊急性の高い問題であることから、法の支配や既存の選挙手続きから逸脱した「例外的な時代における、例外的な措置」が生まれ始めていると指摘する。

緊急性の問題は JSO も強調しており、2022年にパキスタンで3,300万人が被害に遭った、洪水による大惨事などに言及している。

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ここで重要になるのが、気候正義というアイデアだ。

気候正義

気候正義とは、概して言えば、気候変動問題に取り組む際に、最も被害を受けてきた、あるいはこれから受ける人たちに適切な賠償や補償をおこないつつ、彼らがさらなる不利益を被らないように対策する考え方を指す(*5)

最も被害を受ける人々とは、現在の排出に責任がないにもかかわらず、実際に深刻な被害を受けるグローバル・サウスの人々や、将来世代の人々を指す。前述したパキスタンでの洪水は、グローバル・サウスの人々への深刻な被害の1つだ。

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気候変動による将来世代への影響については、世代間正義の観点から、現在世代への責任が問われている。将来世代は、現在世代による環境破壊の影響を一方的に被る立場にあるため、現在世代に気候変動への対処を要請する。ゴッホの《ひまわり》にトマトスープをぶちまけた活動家は、事件後のインタビューで、自らが活動に参加する理由について、将来への不安に触れつつ次のように述べる

私が Just Stop Oil に参加している理由は、自分の将来が怖いからです。年をとる権利を否定されるのが怖い、気候災害に常に怯えて暮らすことになるのが怖い、食べ物や清潔な水にアクセスできなくなるのが怖いのです。

すでに地球上で気候変動による深刻な被害は広がっており、その原因を富裕者たちが作っているにもかかわらず、犠牲になるのはグローバル・サウスのような貧困者や若者を含む将来世代なのだ、と彼らは主張する。

こうした気候正義の観点から、市民的不服従は正当化されると活動家たちは考えている。

(*5)気候変動の解決や補償の負担を誰が担うべきかについては、主に3つの原則を中心に議論が展開されている。具体的には、汚染者負担原則(Polluter Pays Principle)、受益者負担原則(Beneficiary Pays Principle)、応能者負担原則(Ability-to-Pay Principle)だ。

批判する声

ここまで、トマトスープをぶちまけることを市民的不服従の観点から擁護する立場を見てきた。もちろん、前述したように抗議者の行動を市民的不服従と見なさないことから生じる批判もあるが、それとは別に2つの方向からの批判がある。

1つは彼らの主張そのもの(目的)への批判であり、もう1つが抗議のやり方(方法)に関する批判だ。

1. 目的への批判

そもそも、気候変動への取り組みが必要であることに反対する人は少ない。もちろん一部には地球温暖化の懐疑論者なども存在するが、カーボンニュートラルをはじめとする政策的な動きが主流となっている中、取り組みが必要であることには、多くの人が同意している。

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✍🏻 著者
編集長 / 早稲田大学招聘講師
1989年東京都生まれ。2015年、起業した会社を東証一部上場企業に売却後、2020年に本誌立ち上げ。早稲田大学政治学研究科 修士課程修了(政治学)。日テレ系『DayDay.』火曜日コメンテーターの他、『スッキリ』(月曜日)、Abema TV『ABEMAヒルズ』、現代ビジネス、TBS系『サンデー・ジャポン』などでもニュース解説。関心領域は、メディアや政治思想、近代東アジアなど。
シニアリサーチャー
早稲田大学政治学研究科修士課程修了。関心領域は、政治哲学・西洋政治思想史・倫理学など。
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