Sam Altman(CC BY 2.0, Village Global) , Illustration by The HEADLINE

サム・アルトマンとは誰か?AI の王様、終末の預言者の矛盾に満ちた素顔

公開日 2024年10月11日 19:38,

更新日 2024年10月18日 12:49,

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この記事のまとめ
💡サム・アルトマン、いま世界で最も注目を集める起業家の素顔とは

⏩ 幼少期からの天才、保育園で市外局番の仕組みを理解
⏩ 失敗に終わった最初の企業、OpenAI 設立の背景は?
⏩ SF 小説を体現する矛盾に満ちたビジネスと私生活

2024年10月2日(現地時間)、ChatGPT の開発元である OpenAI は、66億ドル(約9,600億円)の資金調達を発表した。企業価値は1,570億ドル(約23兆円)となり、未上場企業としては、TikTok の運営元である中国の ByteDance(2,250億ドル)、宇宙開発を手がける SpaceX(2,000億ドル)に次ぐ世界3位の規模だ。

すでによく知られている通り、OpenAI のCEO であるサム・アルトマンをめぐっては毀誉褒貶が渦巻いている(太字は筆者による、以下同様)

「AI の父」と呼ばれ、2024年10月8日にノーベル物理学賞を受賞したジェフリー・ヒントンは、アルトマンに批判的な人物の1人だ。ヒントンは受賞後に開かれた所属先(トロント大学)の記者会見で、「私の教え子の1人が、サム・アルトマンをクビにしたことを誇りに思う」と語った

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「教え子」とは、アルトマンらとともに OpenAI を立ち上げ、2023年11月の追放劇に加わったイリヤ・サツケヴァーのことだ。後にアルトマンはCEO に復帰したが、サツケヴァーは2024年5月に同社を去り、安全な AI の開発を目指して同年6月に Safe Superintelligence を共同創業している。

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一方、2023年、アルトマンは TIME 誌から「今年のCEO」(CEO of the Year)に選ばれた。著名投資家のキース・ラボイス氏は、彼の復帰がなければ、OpenAI は「文字通りゼロになっていただろう。OpenAI への投資の命題の1つは、『我々はサムに投資している』ということだ」と話している

アルトマンと彼の周辺が新しい動きを見せるたび、賛否を問わず世界の注目を集めてきた。とはいえ、それは最新の事情をめぐる内容であり、サム・アルトマンという人間が一体どのような人物なのか、これまで包括的に報じられて来なかった(*1)。本誌も以前、彼の投資にまつわる思想やポートフォリオを概観する記事を出したが、パーソナルな側面にまで迫っていたわけではない。

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本記事では、彼がどのような家庭に生まれ育ち、青年期を過ごし、世界で最も注目される起業家・投資家になったのか、その足跡を追う(*2)。サム・アルトマンとは、一体何者なのだろうか。

(*1)日本語で読めるものとして、小林雅一『イーロン・マスクを超える男 サム・アルトマン』(朝日新聞出版、2024年)があるが、AI の技術動向や覇権争い、アルトマン追放劇に関する記述がほとんどで、彼自身のパーソナルな側面はわずかに扱われているだけだ。
(*2)おそらくこれから、より詳細にまで迫った伝記が出版されるはずだ。本記事は、その入り口として捉えることができるだろう。

1985年4月22日

1985年4月22日、サム・アルトマン(本名サミュエル・ハリス・アルトマン)はアメリカ中部・イリノイ州シカゴのユダヤ人家庭に生まれた。後述するように、4月22日は「原爆の父」として知られる物理学者ロバート・オッペンハイマー(1904年4月22日 - 1967年2月18日)の誕生日と同じであり、アルトマンは自らのアイデンティティの一部をそこに見出している。

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当時のシカゴはスポーツが盛んで、伝説的なバスケットボーラー、マイケル・ジョーダンなどの活躍に湧いていた。ただ、米国随一の産業だった製鉄業が落ち目を迎えており、特に貧しい南部は打撃を受けた。

サムは、4人きょうだいの長男で、2人の弟(マックスとジャック、それぞれ2歳差)と1人の妹(アニー、サムの9歳下)がいる。弟たちもサムと同様テック業界に身を置いており、3兄弟で投資をおこなうなど、現在でも活発な交流を続けている。一方、妹のアニーはテック業界から距離を置いている他、(あまり報道されていない)兄たちのきな臭い噂を口にしている人物だ(詳細は後述)。

父親のジェリー・アルトマンは不動産ブローカー、母親のコニー・ギブスタインは皮膚科医だった。きょうだいを総合すると、父のジェリーは2018年、心臓発作により67歳で逝去している。

2024年2月、アニー・アルトマンは一家で撮った写真を X に投稿した。左からジャック、父親のジェリー、祖母(2022年逝去)、アニー、サム、母親のコニー、マックス

サムは後に、自身が OpenAI を一時解雇されたことに匹敵する「信じられないほど辛い」経験があるとすれば、それは父を失ったことだと話している。ただ、サムは、父の死を単なる悲痛な経験として消化しているわけではない。これを1つのきっかけとして、寿命延長に挑むスタートアップ・Retro Biosciences へ、2022年に1億8,000万ドル(約270億円)の投資をおこなっている


Retro Biosciences(同社サイトより

ミズーリ州セントルイス

サムはシカゴで生まれたが、育ったのはシカゴから車で約4時間半の距離にある隣州・ミズーリ州セントルイスの郊外だった。彼はここで、幼少期からティーンの時期までを過ごす。


ミズーリ州セントルイス(Google Map

ちなみにセントルイスは、Twitter(現 X)の共同創業者ジャック・ドーシーや、ドーシーと共にモバイル決済企業・Square(現 Block)を創業したジム・マッケルビーらの出身地でもある。

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当時のセントルイスは、1970年代の大きな衰退によって、失業、貧困、犯罪の温床だった。1984年の The New York Times 紙の記事には、「人口約250万人のこの大都市圏には、推定1万人のホームレスがいる」という当局者の発言がある。

それでもサムは、セントルイスで過ごした日々は楽しかったと回想する。父親が運転する車の中でセントルイス公共ラジオを聞いたり、フォレストパークという公園で自転車に乗っていたという。彼は、「目を閉じていても、あの自転車道の曲がり角を全て思い出せると思います」と語っている


フォレストパークの入口(City of St. Louis

アルトマン家

アルトマン家では、毎晩一緒に夕食をとりながら平方根当てゲーム(誰かが大きな数字を言って、子どもたちがその平方根を当てるゲーム)や推理ゲームがおこなわれた

弟のジャックは、「サプライズデザートを当てる20の質問は毎晩、何年も続きましたが、なぜか飽きることはありませんでした」と回顧している。他にも、サムは、アニーが寝る前に物語を読んであげたりもしたという。

彼は早熟な子どもで、保育園に通っていた時に市外局番の仕組みを理解しており、3歳で家のビデオデッキを修理していた。3年生になる頃には、地元の公立小学校で、教師がコンピューターの問題をトラブルシューティングするのを手伝っていたという。サムは、後に自身の頭の良さを次のように表現している

私は自分を、アッパーミドルクラス(上位中産階級)で、かなり頭が良く、決して超天才ではないと表現すると思います。実際、私より頭の良い人にはたくさん会ったことがありますが、明らかに私より好奇心が強い人にはほんの一握りしか会ったことがありません。純粋な IQ が私の最大の強みだとは思いません。はっきり言ってかなり良いのですが、私が物理学でノーベル賞を受賞する可能性は低いです。

相当な自信が伺える発言だが、それは両親から与えられた影響を考慮すれば不思議ではないかもしれない。

サムの両親は、子どもたちに常に自信を与えていた。ジャックは、「両親が私にしてくれた最高のことの一つは、絶え間なく(1日に何度も?)愛と、私は何でもできるという信念を肯定してくれたことだ」と語っている。その結果得られる自信は、「幻想的で麻薬のような、兵器級のもの」だったという。

サム本人も、後に「ほぼ過剰なほどの自信を持つこと」が「成功する方法」の1つだとして、「私が知る最も成功した人たちは、ほとんど妄想に陥るほどに自分自身を信じています」と述べている

8歳の誕生日プレゼント

両親がサムに与えた大きな影響がもう1つある。サムが8歳の誕生日を迎えた1993年、両親はコンピュータの Mac LC II(当時の価値で2,200ドル)を買い与えた

彼は、これが人生の分かれ目だったとしており、2015年に Twitter で「約22年前、両親がこれを私に買ってくれて、すべてが変わりました。お母さん、お父さん、愛しています!」と投稿している。

サムは Mac を使って色々なことをしたと話す。たとえば、Mac を分解してその構造を学んだり、CD-ROM で百科事典を読み、独学でプログラミングも習得した。

サムには、印象的な思い出がある。寝室で夜更かしして、Mac で遊んでいたとき、突然「いつか、コンピューターは自分で考えるようになる」と気付いたいう。本人は自覚していなかったかもしれないが、AI の可能性について思いを馳せていたエピソードだ。

彼は「素数を全部プリントアウトしたり、ちょっとしたインタラクティブなテキストゲームを作った」が、一番大事だった経験は「何でも作れるという興奮」を味わったことだったという。今でも、自分が作ったものを誰かが使っている様子を見ることは「信じられないほど興奮するもの」だと話しており、その原体験はコンピュータによって形成された。

見知らぬ人たちとの交流

加えて、見知らぬ人と交流する体験も、子どもの時のサムにとって重要だった。彼はコンピュータに加えて、アマチュア無線にも熱中していたと話しており、後述する最初の起業は、通信テクノロジーに関連したものだった。

そして当時、オンライン上に AOL(America Online)というコミュニティサイトがあり、サムもそれを利用していた。

AOL のインターネット接続音とメール受信音

AOL での交流は、現在彼の投資ポートフォリオに根付いている可能性がある。それは、匿名コミュニティサイト・Reddit への投資だ。サムは、投資を発表した2014年10月のブログで、「(Reddit では)現実世界では必ずしも見つけられない、同じ考えを持つ人々を見つけることができます。多くの人にとって、reddit は現実世界のコミュニティと同じくらい重要です」と語っている(*3)

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サムが AOL や Reddit のようなオンライン上のコミュニティサイトを重視している背景には、彼のアイデンティティの影響があると考えられる。

(*3)この投資は、当時彼が社長を務めていた Y Combinator 経由ではなく、個人的におこなわれた。

カミングアウト

サムは小学校を卒業すると、1990年代末から2000年代初頭にかけて、地元の名門私立ジョン・バロウズ・スクールで過ごした(日本の中学から高校にあたる)。同校のサイトによれば、2024から2025年度の授業料は3万6,300ドル(約540万円)だ。


ジョン・バロウズ・スクール(Pcbd, Public domain

サムは、高校生の時に今は閉店した地元のコーヒーショップ・Coffee Cartel によく行っていたと話す

Coffee Cartel の CM

おそらく、サムの最も有名な高校時代のエピソードは、彼がゲイであることをカミングアウトした出来事だ。後に彼は、「2000年代に中西部でゲイとして育ったことは、最高に素晴らしいことではありませんでした」と語っている。だからこそ、前述した AOL のようなチャットルームが自分にとっては大切な空間だったと振り返る。

当時、学校のキリスト教団体が国際カミングアウト・デー(毎年10月11日に、性的マイノリティの人々を祝福し、一般認知の向上を図る記念日)での講演をボイコットするとした後、16歳のサムは自身の性的指向を公表し、学校に包括性を推進するよう訴えた。「オープンコミュニティに対して寛容であるか、そうでないかのどちらかであり、選択することはできないのです」とサムはスピーチを締めくくったという。 

カウンセラーだったマデリン・グレイは、「サムの行動で学校は変わった。まるで誰かが、さまざまな子どもたちが詰まった大きな箱を開けて、彼らを世界に解き放ったかのようでした」と回想している

2024年9月、サムは母校で学生に向けて講演した

結婚

現在、サムは自身がゲイであることが仕事にもたらす影響について、考えないようにしているという。彼は、「この分野で、ゲイの人々にとってガラスの天井があるかは分かりません。でも、仕事を始めた時、それについて考えることに時間を費やさないと決めたのは確かです」と話している

2018年には、同じ業界で同じ性的指向を持った著名人の結婚式に参列した。それは、PayPal マフィアの1人で、著名VC・Founders Fund の投資家だったキース・ラボイス(*4)と、同じく PayPal マフィアで、現在 Palantir のシニアアドバイザーなどを務めるジェイコブ・ヘルバーグの結婚式だ(彼らもゲイであることを公表している)。他の参加者には、PayPal の共同創業者で  Founders Fund を共同創業したピーター・ティール(彼もまたゲイであることを公表している)、同ファンドのデリアン・アスパルホフ、決済サービス・Stripe のパトリック・コリソンもいた。

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サム自身も、2024年1月に結婚式を挙げた。相手は、オーストラリア出身のソフトウェアエンジニアであるオリバー・ミュルヘリンという男性で、Meta に務めていたこともある

当初、結婚式の様子と見られる写真(上)がソーシャルメディアで出回った時、これは AI によって作成された偽物ではないかと疑われたが、NBC News がサム本人に確認したところ、本物だと返事があったという

2人の間にたくさんの子どもを持ちたいとサムは話しているが、それを実現させるための投資も怠っていない。

2018年に設立された Conception というスタートアップに対して、サムは他の投資家と2,000万ドル(約30億円)を投資している。同社は、人類の生殖方法に革命を起こすと謳い、精子や卵子の人工製造を手がける。これによって、卵子を自分で作り出せない女性を助ける他、(サムたちのような)LGBTQ のカップルも、両親の遺伝子を持つ子どもを出産できる可能性があるいう


Conception(同社サイトより

このように、高校時代のカミングアウトは、現在の交友関係や投資活動にまで根付いている。そして高校を卒業したサムは、ついにシリコンバレーがある西海岸へ向かう。

(*4)現在は、元々務めていた Khosla Ventures に復帰している。

スタンフォード大学

2003年、サムは西海岸・カリフォルニア州の名門・スタンフォード大学へ進学する。彼は、最高のコンピュータサイエンスを学びたいと考え、卒業後は Google(1998年創業)で働きたいと思っていた

当時のテック業界は、ドットコムバブルの崩壊から立ち直り始め、次のインターネット・ブームが巻き起こっていた。Google の他、2003年にリード・ホフマンらが LinkedIn を、2004年にマーク・ザッカーバーグらが Facebook(現 Meta)を創業した頃だ。

サムはスタンフォードで、模型のヘリコプターを自動操縦できるようにするためのコードを書いたりしていた

ポーカー

ただ、大学生時代のサムを惹きつけたものは、講義ではなくポーカーだった。彼は、学生時代に「かなり真剣に」ポーカーをプレーしていたと語り、大学の生活費はポーカーで稼いでいたという。

そして彼は、「ビジネス、心理学、リスク、その他あらゆる世界について学ぶ方法として、(ポーカーを)強くお勧めしたい」と話す。

こうした反応は、同じくスタンフォード大学に通いながら、講義をつまらないと思っていたピーター・ティールを彷彿とさせる。2人の世代や好きなゲームは違う(ティールはチェスを好んだ)が、それらを人の心理や戦略を学ぶ方法と位置付けている点で似ている。後に、2人は実際にチェスで対戦したという

ポーカープレイヤーたちは一見冷静そうに見えるが、頭の中でカードを記憶し、賭け金のオッズを暗算し、他のプレイヤーにハッタリをかまし続けるなど、激しい読み合いを交わしている。

「上品な物腰の裏に秘めた激しさ」

そうしたゲームの性質は、サムの人柄を体現しているとも言えそうだ。伝記作家のウォルター・アイザックソンは著書『イーロン・マスク』(文藝春秋、2023年)の中で、サムについて次のように記している。

スポーツカーマニアであり、かつ、なにごとかあっても生き残れるよう準備をしておくサバイバリストでもある彼(引用者註:サムのこと)は、上品な物腰の裏にマスクと似た激しさも秘めている(『イーロン・マスク』349頁)

スポーツカーマニアとサバイバリストについては後述するが、こうしたサムの狡猾な側面は、実際にマスクとの人材獲得競争から垣間見ることができる。

サムとマスクは、他の9名と共に OpenAI を2015年に設立したが、やがて2人は経営方針をめぐって対立した。結果、マスクは OpenAI を去ったが、設立メンバーの1人でディープラーニングとコンピュータービジョンの専門家アンドレイ・カルパシーを Tesla に引き抜いた。

これについてサムは、「Tesla が OpenAI と人材を取り合う AI 会社になったわけです。腹を立てたメンバーもいますが、私は、どういうことなのかちゃんと理解していました」と述べつつ、2023年にマスクとの仕事に疲れたカルパシーを引き抜き返している(前掲書、353頁、テスラの表記は筆者が改めた)

結局、カルパシーは2024年2月に OpenAI を退社しているが、このエピソードはサムの「上品な物腰の裏に」秘められた「激しさ」を示唆している。

AI 研究所

話をサムの学生時代に戻そう。

2000年代といえば、テック業界が盛り上がりを見せていた時期だが、AI への注目度はそれほど高くなかった。というより、むしろ評判が悪かった。当時の AI は誇大宣伝と落胆のサイクルを繰り返しており、1990年から2000年頃にかけて「AI の冬」と呼ばれる AI の歴史の中でも最悪の低迷期を経験していた。

2005年、The New York Times 紙は、スタンフォード大学の研究所が AI の春について議論し始めていると報じた。サムは同研究所に学部研究生として所属しており、所長のセバスチャン・スランは後に、彼の「驚くべき好奇心」に感銘を受けたと語っている

しかし、AI は結局冬の時代のイメージから脱却できなかった。たとえば、2007年に The Economist 誌が音声認識のスタートアップを紹介する記事では、次のような場面が描かれている。

会社を設立する際、彼は自分のアイデアをベンチャーキャピタリストたちに提示した。彼らはこの技術に感銘を受けたが、「音声認識」という言葉に嫌悪感を抱いた。この言葉は、「人工知能」と同様、期待に応えられなかったことがあまりにも多いシステムに関連付けられているからだ。

サムも、当時は「(AI の)暗黒時代」だったと語っており、最初の起業は AI と関係のない領域でおこなう。

最初の起業

2005年の春、スタンフォード大学の2年生だった19歳のサムは、講義を終えて教室を出たところで閃いた。

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✍🏻 著者
シニアリサーチャー
早稲田大学政治学研究科修士課程修了。関心領域は、政治哲学・西洋政治思想史・倫理学など。
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