⏩ 古くから「物語を語る者が世界を支配する」という格言が存在
⏩ 自分自身からの逃避、道徳主義への誘惑といった力を物語は持つ
⏩ 物語に没入する人ほどその価値観を現実世界に反映する傾向に
東京都知事選や兵庫県知事選などの政治的イベントをめぐって、物語(ナラティブ/ストーリー)の力に注目が集まっている。
たとえば斎藤知事について、権力にはめられたという陰謀論や理不尽と闘う被害者といった物語にもとづいて、同知事を「孤高のダークヒーロー」とみなす有権者がいたという指摘や、最近の選挙では物語を巧みに利用する候補者が SNS で支持を集めたという指摘などだ。これからの選挙では、物語性がなければ存在感を出すのは難しいという指摘もある。
物語(*1)がもつ力は、決して昨日今日に生まれたわけではない。しかし現在、動画をはじめとした SNS の拡がりによって、その力は政治や社会など多方面において最大化されつつある可能性は高い。なぜ人々は物語に魅了され、それが社会を動かしているように思えるのだろうか?
(*1)本記事では、複数の研究にしたがってストーリーとナラティブを特に区別せずに用いるが、両者を区別する研究もある。ストーリーは物語の作り手による説明であり、ナラティブは受け手側の解釈によって消費される物語だという区別については、シドニー大学のトム・ヴァン・ラエルらの研究に詳しい。
富と名声を手にするセレブは語り手だらけ
そもそも社会では、病気を治療する医師、食料を作る農家、人々の生活をサポートするケアワーカーなどではなく、物語を伝える人々の方がはるかに高い地位、多くの富と名声を享受している。
Foebes が公表した2024年版の世界長者番付において、ビリオネア(保有資産10億ドル以上)としてランクインした14人のセレブリティのうち、多くを占めるのは、ジョージ・ルーカスやスティーブン・スピルバーグなどの映画監督、リアーナやテイラー・スウィフトといったミュージシャンたちだ(他にはタイガー・ウッズなどのスポーツ選手が名を連ねている)。
なぜ彼らの仕事に、それだけの価値が見出されているのだろうか。一般的には「彼らは一般人が持っていないような才能と努力によって成功し、人々の大きな需要に対して何らかのタレント性を供給できる稀有な人々だから桁外れの資産を獲得した」という説明がされるかもしれない。
ただ、これは「彼らが莫大な富を得ている理由」の説明であり、人々が「それほど彼らを欲し、価値を見出している理由(なぜ、そうした大きな需要が生まれるか)」の説明にはなっていない。
直観的には、単純に「物語は(事実よりも)面白い」ことこそが、人々が物語に魅了される理由に思えるが、あらゆる物語が流行するわけでもなければ、価値があると見出されるわけでもない。たとえば「地球温暖化は不可逆的なラインを超えているかもしれず、人類は地球環境を保護する瀬戸際に立たされている」といった類の話は、X のトレンドにめったにランクインしない。
一方、政治・社会的な文脈で流行する物語と言えば、陰謀論だろう。あるいは、陰謀論まで行かなくても、「インターネットに真実があり、オールドメディアはそれを隠している」といった類の批判も、最近流行りの物語の1つに数えることができる。
なぜ、同じ物語であるにもかかわらず、気候変動は流行らず、陰謀論やオールドメディア批判の方が流行るのだろうか。そして、物語が単なる事実よりも強力に人々を魅了する理由は何なのだろうか。
「物語を語る者が世界を支配する」
前提として重要なことは、欧米や日本とは政治・経済・文化的な条件が異なる社会でも、物語の伝え手が高い地位を占めることがあるという点だ。
たとえば、フィリピンの狩猟採集民族・アグタ族では、優れた語り手がより多くの資源を獲得し、より多くの子どもを持つ(アグタ族では、子どもの多さと社会的地位の高さが結びついている)。食料生産や医療技術よりも、物語を伝える技術の方がはるかに重視されているのだ。
アメリカの先住民族であるホピ族には、「物語を語る者が世界を支配する」(The one who tells the story rules the world)ということわざさえある。逆に言えば、事実を語るだけの者に世界を支配することはできない、とも言える。後述する通り、単なる事実は人々の考え方や行動を変容させる力をほとんど持っていない。
なぜ、それほどまでに物語に価値が見出されてきたのだろうか。
なぜ、物語に価値が見出されるのか?
物語に価値が見出される理由については、以下で見るような多くの研究が蓄積されてきた。その理由は大きく5つの視点から理解でき、具体的には(1)物語への没入(2)自分自身からの逃避(3)活性化(4)道徳主義の誘惑(5)共同体の必需品だ。