2020年12月3日、The New York Times 紙で女性初のコピーエディターを務めたベッツィー・ウェイド氏が、91歳で亡くなった。
彼女は、新聞・報道業界におけるガラスの天井を打ち破るとともに、同社の賃金・昇進をめぐるジェンダー格差是正にも貢献した。
彼女が辿った道のり、そして私たちに残したものとは——。
ジェンダーの壁に阻まれたキャリア
ウェイド氏は、1929年7月にニューヨークで生まれた。13歳の頃からジャーナリストを志し、中学・高校では校内新聞の編集に携わる。その後、コロンビア大学でジャーナリズムの修士号を取得。「クラスメイト65人のうち、女性は10人だった」と振り返っている。
1952年にはNew York Herald Tribune 紙に就職。割り当てられた仕事は「女性ページ」のレポーターだった。「女性ページ」とは、かつて米国の新聞に存在した“女性向け”セクションだ。ファッションや料理、ライフスタイルなどを取り上げるもので、多くの新聞社において「本当のニュース」とは捉えられていなかった。
入社した年の暮れ、ウェイド氏は妊娠を理由として同紙を解雇される。 ウェイド氏は「会社は産休を認めたくなかったし、私が最も経験が浅く、出世から遠い社員だったからだろう」と語っている。
出産後、1956年にThe New York Times 紙に就職。New York Herald Tribune 紙と同様に「女性ページ」でコピーエディター(記者が執筆した記事の編集や見出しづけを行う仕事)を務めた。「女性ページ」を担当する社員のオフィスは9階にあり、下の階から男性記者が訪れる機会はほとんどなかったという。
「NYT初の女性コピーエディター」へ
しかし、ウェイド氏は持ち前の能力で、ガラスの壁(ジェンダーをもとにした職種・役職の制限)と、ガラスの天井を打ち破っていく。
1958年には、推敲や校正・校閲力の高さが認められ、The New York Times 紙で女性として初めて、「女性ページ」以外のコピーエディター(記者が執筆した記事を編集する仕事)に就任。その後も、海外セクションのコピーデスクでエディターや副チーフ、チーフを歴任した。いずれも女性初の快挙だった。
社内のジェンダー格差是正へ
1970年代には社内のジェンダー格差是正にも積極的に取り組んでいる。1972年には社内の女性とともに女性集会を組織して、ジェンダー問題について学び、議論を深めた。
1974年には、同紙における男女の雇用・昇進・賃金格差是正を求める集団訴訟を起こす。ウェイド氏の他、かつて同社の9階で働いていた6名の女性社員が参加した。
結果的に、この訴訟はThe New York Times 紙側が「女性従業員の雇用増」や「昇進・機会損失への賠償」を約束する形で決着した。賃金アップは認められなかったが、新聞・報道業界におけるジェンダー格差是正への闘いの先駆けとなった。その後、ウェイド氏は国内ニュースのコピーデスクでリーダー職を務め、1978年にはニューヨークに拠点を置く報道機関の同業者組合「NewsGuild of New York」で、女性初の会長も務めた。
1987年から、2001年の退職までは、旅行欄のコラムライターとして活躍している。
「Mrs.」と「Miss.」の時代から、「Ms.」の時代へ
ウェイド氏は、1986年にThe New York Times 紙で初めて、「Ms. 」を女性の敬称として用いたエディターでもある。