2015年と2019年の流行語大賞で、「上級国民」という言葉がノミネートされた。それ以降、5ちゃんねるのようなインターネット掲示板やTwitterなどのSNSにとどまらず、新聞などのマスメディアでも継続的に取り上げられており、この言葉は注目を集めている。
インターネット上で広がりを見せ、近年では広く定着した言葉だが、そもそもこの言葉はいつ生まれて、どのように使われてきたのだろうか?また、この言葉が使われる背景にはどのような問題があるのだろうか?
大正時代に生まれた言葉
実は「上級国民」という言葉は、インターネットスラングとして発生したのではなく、もともとは大正デモクラシーや戦後の憲法改正に関わった憲法学者の佐々木惣一が用いた憲法学説上の用語だとされる。
1916年1月1日、佐々木は大阪朝日新聞で論文「立憲非立憲」を発表した。この中で、国民の政治参加について論じる文章がある。
もともと、政治に参加できる国民は「門地や職業に依て限られて居た」。つまり、家柄や職業による政治参加の制限があった。この限られた範囲に属する国民を、彼は便宜上「上級国民」と呼んだ。そして、こうした制限が解放されていくことで「一般の国民の参加を認むるに至った」と彼は見ている。
佐々木は「一般の国民が其の意志を政治に参加せしむるに於いて始めて立憲主義を生ずるのである」と、政治参加の資格を上級国民だけに制限するのではなく、一般の国民に広く開くことが立憲主義を生じさせるとしている。簡単に言えば、上級国民だけが政治に参加できる状況を批判しているのだ。
上級国民は、立憲主義における政治参加を論じる言葉であると同時に、家柄や職業と結びついた概念である。歴史に鑑みても、政治参加は地主・資産家などの男性=上級国民に制限されていたとわかる。実際、第1回衆議院議員選挙の有権者は総人口の1.24%に過ぎなかった。
明治維新の1889年の衆議院議員選挙法では、投票資格者が「満25歳以上、直接国税15円以上を納める男子」と制限されていた。その後、1925年に納税の要件がなくなり、満25歳のすべての男子まで拡張された。そして、1945年の公職選挙法でようやく女性の参政権が認められ、満20歳以上のすべての国民に投票権が認められた。
男性普通選挙すら成立しない時代に佐々木惣一の論文が発表されたことに鑑みれば、上級国民という言葉がいかに限られた対象を想定しているかがわかる。
現在の「上級国民」の用法
では、上級国民という言葉は、今日どのように使われているのだろうか。この言葉は、基本的に否定的な文脈で用いられ、ネット炎上が起きた際の批判コメントなどに散見される。
『上級国民/下級国民』の作者で作家の橘玲によれば、この言葉の明確な定義は決まっていない。だが、彼自身はイギリスの社会学者マイク・サヴィジの議論を引きながら、イギリス社会の最上層に位置する「エリート」と最下層の「プレカリアート」を、それぞれ上級国民と下級国民と呼んでいる。
他方で、朝日新聞社によるインターネット百科事典「コトバンク」では「一般の人の理解を超えた言動を行う政治家、専門家や官僚などを揶揄する表現」とされているが、上で見た佐々木惣一の定義とはズレている。用語の誕生当初は、具体的な特権や地位を指してものが、現代になるにつれて政治家や官僚、専門家などを揶揄する言葉となっているようだ。
しかしより細かく見ると、2015年前後で上級国民の用法にはわずかな変化も見られる。