ここまで、近年起こった4つの事例から上級国民への批判を見てきた。これらの批判は、各職業分野で権威を持つ人々が、社会的に関心の高い出来事について、その責任を回避したり優遇されたりしたことに向けられている。
では、実際に上級国民と名指された人たちは、何らかの責任を回避したり優遇を受けられたのだろうか?
上級国民は優遇されているのか?
今回の4つの事例について言えば、現時点で優遇を示す明確な証拠はなく、またある程度の責任追求はなされている。
東京オリンピック・パラリンピックのエンブレム問題では、業務運営上の管理監督が不十分だったとして、大会組織委員会の武藤敏郎事務総長らが報酬の一部を自主返納し、また槇秀俊マーケティグ局長は戒告処分となった。ただし、事前参加要請文に署名し、佐野研二郎の作品を選出し、当の「一般国民」発言をした永井一正は特に処分を受けていない。
東池袋自動車暴走死傷事故に関しては、警察は刑事訴訟規則に定められた逮捕要件から、マスコミは報道上のルールから、それぞれ上記のような扱いをしたとして、批判にはあたらないとしている。なお2021年1月現在、刑事裁判と民事裁判がそれぞれおこなわれており、飯塚被告が訴訟を免れたわけではない。
黒川検事長の賭け麻雀事件については、東京地検は彼を不起訴処分としていたが、東京第六検察審査会の起訴相当との議決を受け、再捜査の運びとなった。
石原伸晃元幹事長については、同じ会派として会食に参加していた坂本哲志地方創生担当相と共に野党から更迭が要求されたが、菅義偉首相はこれを否定した。医療崩壊の定義や病床数をめぐる議論もあいまいな中、この件のみで更迭を要求することは無理筋だろう。しかし、既往症があり、かつ症状も出ていても、入院できない患者が存在する以上、自宅療養から入院に至るための公平な基準が示される必要がある。
このように、上級国民と名指された彼らに責任の回避や優遇があったとは、必ずしも一概には言い難い。しかし、こうした批判が問題への関心を集めたのも事実だ。また、東池袋の事件を受けて、高齢者による自動車運転免許の自主返納や、改正道交法による高齢ドライバー対策が進むなど、こうした批判の余波で生まれた変化もある。
上級国民批判は、その実態はおくとしても、問題の追及に影響力を持つことは事実である。
では、このような批判に「上級国民」という言葉が使われる背景には何があるのだろうか。