東京五輪・パラリンピックで開閉会式の演出統括のクリエーティブディレクター佐々木宏氏が、渡辺直美氏の体型・容姿を侮辱する企画案を出したことで、辞任に至った。
渡辺氏は、他人の身体的特徴を揶揄する風潮について「これをきっかけに変わっていったらいいなと思う。私もポジティブに表現していくし、みんなにもしてほしい」と述べた上で、今回の演出について「絶対断ってますし、その演出を私は批判する」としている。
女性の容姿に言及することの問題性は少しずつ理解されはじめ、それ抗う動きも現れつつある。韓国では「脱コルセット運動」やリュ・ホジョン議員に象徴されるように、女性に対する「美への圧力」に批判が集まっている。こうした「美への圧力」は、ルッキズムという概念によって問題化されることも多い。
一方、「魅力的で、健康的な外見は良いものだ」という見方は、社会における共通見解でもある。美容インフルエンサーはSNSを介して影響力を有しており、フィットネス市場はコロナ禍を経て自宅にまで広がっている。美容整形は世界中でおこなわれており、外見に対する人々の努力や欲望は広がりを見せている。
ルッキズムはその言葉が示す通り、外見や容姿にまつわる問題とされる。そして、外見上の差別は容姿の良し悪しや性別にかかわらず、様々な人々を巻き込んでいる。ボディ・ポジティブのアイコンとみなされる渡辺直美がThe Cut誌の表紙を飾ったことや、#KuToo運動の発起人である石川優実がルッキズム批判への関心を示すなど、ルッキズムは日本でも注目を集めている。
では、ルッキズムは一体何がどのように問題なのだろうか。
容姿をめぐる差別としてのルッキズム
ルッキズムのもっとも直接的な現れは、外見による優遇や差別である。あらゆる人々が身体的な魅力という基準で評価されるようになった結果、魅力的である人は利益を得て、そうでない人は差別や不利益を被る。
そして、特に外見上の差別に晒されてきたのは女性である。
女性に対する外見上の差別
ルッキズムは、身体的な魅力がないとみなされる人々に対する差別として問題視されてきた。特にメディアなどを通じて、その容姿が多くの視線に晒される職業では、ルッキズムは専門職としての能力より外見が評価される状況を招くことから、深刻な問題となっている。
アメリカでテレビキャスターとして働く女性を対象におこなわれた1998年の調査では、容姿の魅力が、妻/母であることとニュースキャスターであることの役割葛藤やワークライフバランスよりも深刻な問題とされていた。2018年におこなわれた同様の調査でも、状況は20年間ほとんど変わっていないことが報告されている。SNSなどの発達・普及などにより、外見に関する嫌がらせや中傷を受けやすくなったという研究もあるほどだ。
上記のケースだけを見ると、容姿に優れた女性たちが抱える問題ではないか、と反論する人もいるだろう。しかし、こうした状況は、彼女たちが「容姿が魅力的でなければならない」というジェンダー規範を押し付けられていることの裏返しである。
実際に英BBCでは、ラジオ番組ですらSNSの普及でルッキズムの対象となった結果、番組の司会を長年務めてきた女性パーソナリティたちが降板や番組打ち切りに直面している。そして残った中年の女性パーソナリティたちはより若々しく魅力的な外見を保つことを要求されている。
男性とルッキズム
こうしたルッキズムの問題は、女性だけに関わる問題ではない。2013年のThe New York Times紙に、男性性研究者のマイケル・キンメルがコラムで
美しさに基づく差別は、醜いものに対する差別と同じ性差別の原理に根ざしています。どちらも男性のまなざしの力、つまり男性の美に対する評価がカテゴリーの特徴であるという事実に基づいています。
と書いているように、美に対する評価は男性の基準に依拠している。加えて、男性もまた外見に対する評価から自由ではない。特にゲイおよびバイセクシュアルの男性は、自身のイメージを評価する際に理想的な外見イメージの影響を強く受けている。