2020年11月、熊本県の農家で働いていたベトナム人技能実習生レー・ティ・トゥイ・リンが、死産した双子の遺体を自宅に放置したとして、2021年7月20日に死体遺棄罪での有罪判決(執行猶予付き)が出された。
裁判では、勤務先や実習の監理団体による強制帰国を恐れて、彼女が妊娠を周囲に打ち明けられず、自宅でひとり子どもを死産した経緯が語られた。
事件以前の2019年3月、法務省・厚生労働省・外国人技能実習機構は連名で「妊娠等を理由とした技能実習生に対する不利益取扱いについて」という注意喚起を、実習実施者や監理団体に向けて公表している。この注意喚起は、男女雇用機会均等法や外国人技能実習法を根拠に、婚姻・妊娠・出産等を理由として解雇その他不利益な取扱いや私生活の自由の不当な制限を禁止している。
にもかかわらず、なぜこのような事態が起きたのだろうか。この記事では、技能実習制度の現状をふまえつつ、日本における外国人の医療アクセスの観点から問題の背景を解説していく。
技能実習制度の問題
そもそも、技能実習制度とはどのような制度なのか。
技能実習制度の基本理念
技能実習制度は「1960年代後半頃から海外の現地法人などの社員教育として行われていた研修制度が評価され、これを原型として1993年に制度化」された。外国人技能実習機構によると、もともとこの制度は
我が国で培われた技能、技術又は知識の開発途上地域等への移転を図り、当該開発途上地域等の経済発展を担う「人づくり」に寄与することを目的として創設された制度
とされている。要するに、発展途上国・地域の経済発展に向けた国際協力の一環として、技能・技術・知識の伝達を図る、というのがこの制度の目的だ。
長きにわたって、技能実習制度は、出入国管理及び難民認定法(以下、入管法)を法的根拠としてきた。そしてその在留資格も、学ぶ活動としての「研修」から労働者としての意味合いを帯びた「技能実習」へと変化してきた。
技能実習制度の経緯
入管法では、技能実習制度以前の1981年から、国際人材協力機構が推進する外国人研修制度の運用に向けて、「研修」という在留資格が設けられていた。その後、「技能実習」の実態に合わせるため、1993年に「特定活動」の一類型として技能実習制度とその在留資格が設定された。
その後、労働関係法令の不適用による賃金・時間外労働等のトラブル多発に対処するため、2010年に入管法が改正され、「特定活動」から独立する形で「技能実習」という在留資格が設定された。
2017年11月からは技能実習法が施行され、技能実習の適正な実施や技能実習生の保護の観点から、監理団体や実習実施者への規制が設けられた。その第1章第3条には、国際協力という制度の趣旨・目的に反して、国内の人手不足を補う安価な労働力の確保等に使われることのないよう、
- 技能等の適正な修得、習熟又は熟達のために整備され、かつ、技能実習生が技能実習に専念できるようにその保護を図る体制が確立された環境で行わなければならない
- 労働力の需給の調整の手段として行われてはならない
と基本理念が明記されている。
人権問題を抱えた制度
しかし、上記の基本理念や規制にもかかわらず、技能実習制度は人権侵害を招いているとして、国内外から批判を浴びている。
アメリカ国務省が発表した2021年版の『人身売買報告書2021 Trafficking in Persons Report』では、
日本内外の人身売買業者は、政府が運営する技能実習生制度(TITP)を悪用して外国人労働者を搾取し続けていた。技能実習生制度を利用して日本で働く外国人労働者が強制労働を強いられているとの報告が後を絶たないにもかかわらず、当局は今回もTITPにおける人身売買事例や被害者を1件も積極的に確認しなかった。TITPでは、政府の派遣国との協力覚書は、外国の送り出し機関が過剰な料金を請求することを防止する効果がなく、これがTITP参加者の借金による強制の主な要因となっており、政府は送り出し機関や雇用主に虐待的な労働慣行や強制労働犯罪の責任を負わせていない。
と、技能実習生への搾取や人権侵害が指摘されている。また、NPO法人POSSE代表の今野晴貴も、パスポートの取り上げや強制貯金、移動の自由の制限といった強制労働につながる行為と、これに対する取り締まりが不十分な現状を指摘している。
技能実習生の失踪
こうした人権侵害とも批判される技能実習制度の現状がある中、技能実習生の失踪が問題となっている。
出入国在留管理庁(以下、入管)による調査では、失踪した技能実習生は平成26年から平成30年にかけて4,847人から9,052人と増加している。技能実習生の数が増加していることに鑑みても、毎年全体の1.7~2.2%が失踪している。こうした事態を受け、入管は失踪者の多い監理団体や実習実施者への調査に加え、2021年8月以降、特に失踪者を多く出しているベトナムの4つの送り出し機関から受入停止に踏み切った。
だが、依然として技能実習生の現状把握は不十分だ。会計検査院による報告では、平成31年4月から令和元年9月までの間に発生した行方不明事案3,639件のうち2割以上は、事案発生から6ヶ月経っても実地検査が実施されておらず、さらにこのうち73.7%は受入先からの賃金台帳など客観的資料の入手すらなされていなかった。
技能実習生の妊娠・出産・育児の扱い
では、こうした状況の中、技能実習生の妊娠・出産・育児はどのように扱われているのか。
ライターの望月優大によると、技能実習制度下において、そもそも実習生の妊娠・出産・育児は想定されておらず、立場の弱い実習生は相談すらできない現状に置かれている。出身国の送り出し機関が恋愛や妊娠を禁止する契約を結んでいる場合や、監理団体や実習先が強制帰国させてきた状況もあり、実習生には妊娠が発覚すれば即帰国させられるという共通認識があるとされている。
冒頭で紹介したケースでも、彼女は実習先や監理団体に妊娠について相談できず、また2019年の注意喚起も知らなかった、と保釈後の会見でコメントしている。この発言からは、実習生側の妊娠に対する共通認識もさることながら、実習生に向けた注意喚起の周知徹底が、監理団体や実習実施者によってなされていない現状がうかがわれる。制度的非対称がある中で、こうした情報面でも実習生は弱い立場に置かれている。
だが、仮に情報が周知徹底されたとしても、実際に出産・育児に至るまでにさまざまな困難が待ち受けている。
さまざまな困難
ベトナム人技能実習生が出産に至ったケースでは、健康保険や医療費の観点から在留資格の重要性が指摘されている。出産する女性にとって、出産育児一時金や産休手当、医療費負担軽減には、在留資格に伴う健康保険の維持が必要となる。もし在留資格が維持できず無保険状態となれば、これらの高額な出産費用は全て自己負担となる。また、親だけでなく生まれてくる子どもにとっても在留資格は重要だ。例えば未熟児の新生児室利用などの医療費は、当該の子ども自身の健康保険の適用範囲となる。このため、子ども自身にも住民登録可能な在留資格が求められる。
だが、日本は出生地主義を採用していないため、外国人同士の親から生まれた子どもは、日本で生まれたというだけでは日本国籍取得もできない。このため、「実習生同士の間に産まれた赤ちゃんには家族滞在の在留資格が出ず、住民登録できない短期滞在の在留資格しか出ないのが当時の通例」とされている。上記のケースでは入管との交渉の結果、「恐らく初めて特定活動の在留資格が出たケースとなった」とされている。入管法における「技能実習」という在留資格に家族帯同が認められていない、つまり妊娠・出産・育児が制度上想定されていないがゆえの弊害だ。
また、産休・育休の取得には各種手続きが求められるため、これに対する監理団体や実習実施者による支援が必要となる。それでもなお、育休には「雇用期間が1年以上であり、子どもが1歳6か月に達する日までに労働契約が満了することが明らかでない者」という条件があり、これに該当しない場合は育休適用外となる。
現在の技能実習制度下での妊娠・出産には数々の制度的ハードルがあり、技能実習生が独力で対応する困難は想像に難くない。