メンタリストを名乗るタレントのDaiGo氏が、YouTubeでホームレス状態にある人々や生活保護受給者について「いない方が良い」などと人権を否定する発言をおこなった。動画では
僕は生活保護の人たちに、なんだろう、お金を払うために税金を納めてるんじゃないからね。生活保護の人に食わせる金があるんだったら猫を救ってほしいと僕は思うんで。
と述べた上で、以下のように発言している。
自分にとって必要のない命は、僕にとって軽いんで。だからホームレスの命はどうでもいい。どちらかというと、みんな思わない?どちらかというといない方がよくないホームレスって?言っちゃ悪いけど、本当に言っちゃ悪いこといいますけど、いない方がよくない?いない方がだってさ、みんな確かに命は大事って思ってるよ、人権もあるから、一応形上大事ですよ、でもいない方がよくない?正直、邪魔だしさ、プラスになんないしさ、臭いしさ。治安悪くなるしさ、いない方がいいじゃん。
この発言に対して、長年にわたって生活困窮者をサポートしてきた稲葉剛氏は「言語道断」とした上で「ヘイトクライムを誘発しかねないものであり、絶対に許せません」と述べている。またフォトジャーナリストの安田菜津紀氏は「優生思想に直結する発言」だと述べ、望月優大氏は「ナチスドイツの『生きるに値しない命』に直結する考え」と批判している。
同氏による発言は多くの批判を集めているが、一方で同氏は「個人的な感想に間違いもクソもないと思うんで。これは別に個人の意見じゃないですか、それに対して謝罪っていうのは別に」と述べた他、「そんなに助けてあげたいなら、 自分で身銭切って寄付でもしたらいいんじゃない?」と主張した。ただし12日には謝罪動画を公開して「今までの中で一番良くないことをした」と述べ、翌13日にも改めて謝罪をおこなっている。
同氏の発言は、どのような点が問題なのだろうか?また、ホームレス状態にある人や生活保護受給者など、社会的に脆弱な立場にある人への眼差しは、どのように変化してきたのだろうか?
ホームレス状態にある人・生活保護受給者とは誰か?
まず「ホームレス」という用語について、簡単に触れておく。過去の釜ヶ崎に関する記事でも触れたが「ホームレス」という呼び方には批判的な見解がある。
たとえば特定非営利活動法人Homedoor代表の川口加奈氏は、以下のように述べる。
「ホームレス」は本来、「住まいがない」という状態を示す用語であり、「住まいがない人」ではない。正確には「ホームレス状態の人々」「路上生活者」「野宿者」といった用語を用いるべき
適切な用語を使用することは、単に正確性の問題に留まらない。たとえば、家(ホーム)という単語は「社会的繋がり」や「コミュニティ」あるいは「家族や友人」などをイメージさせるため、ホームレスという呼称が「社会的繋がりの喪失」を想起させる危険性があるとも指摘される。そのため、物理的な住宅(ハウス)がない状態を指す「ハウスレス(Houseless)」や「住宅がない(Unhoused)」という呼び方も増えている。
また「ホームレス」の中にも、シェルターや避難所を提供されている人々もいれば、保護を受けることが出来ない路上生活者などもいる。行政による福祉政策やサポート状況などを考える上で、こうした区分は重要であるという指摘もある。(*1)
(*1)こうした点を踏まえ、本記事では基本的に「ホームレス状態にある人」という呼称を使うが、関連する福祉政策や社会問題などを総称して「ホームレス問題」と呼ぶ場合もあり、文脈により使い分ける。
ホームレス状態にある人の数
厚生労働省の調査によれば、2020年時点で日本においてホームレス状態にある人々は3,992人となっている。内訳としては、男性3,688人・女性168人・不明136人であり、都道府県別でも見ると、最も多い大阪府の1,038人に次いで、東京都の889人、神奈川県719人が続いている。
また以下の表からも分かるように、ホームレス状態にある人は毎年減少傾向にある。
全国のホームレス数(厚生労働省「ホームレスの実態に関する全国調査(概数調査)結果について」より, CC BY 4.0)
「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法(ホームレス自立支援法)」が施行された前年の2001年におこなわれた初の全国調査では、2万5,296人が確認されていたため、20年前と比較しても大きく減少していることが分かる。
しかしながら、これを単に「状況が改善している」とのみ捉えるべきではない。たとえば2018年に東京都は、インターネットカフェ・漫画喫茶などで寝泊りしながら不安定な就労に従事する「住居喪失不安定就労者」が、約4,000人いるという調査結果を明らかにしている。東京都のみで4,000人であることを考えると、全国規模では少なくない人数が、厚生労働省による調査で補足しきれていないことが推測される。
生活保護受給者の数
また今回、ホームレス状態にある人々と共に言及された生活保護受給者は、全国にどのくらいいるのだろうか?
厚生労働省によれば、2021年5月の生活保護受給者は204万0,011人となっている。世帯数で見ると163万8,591世帯で、このうち高齢者世帯が55.8%を占める。下図の通り、受給者数は増加傾向となっており、1995年には約85万人だったが、2000年前後に100万人を突破して、2011年には現在の水準である200万人に達している。
年齢階級別生活保護受給者数、保護率の年次推移(厚生労働省, CC BY 4.0)
ただし人口比で見ると生活保護を受けている人の割合は減少しており、1951年は2.42%だったが、2018年には1.69%となっている。
また「働けるのに働かないで生活保護を受けている」という偏見が根強いにもかかわらず、実際には2019年における受給世帯の内訳については、高齢者世帯が55.1%・母子世帯が5%・障害者・傷病者世帯計が25.1%とほとんどを占めており、恒常的な生活困窮者が生活保護を受給していることが分かる。
その上で、国際比較をおこなうと日本の生活保護制度について、複数の研究によって以下のように指摘されている。
- 公的扶助の割合(受給人数が人口に占める割合や、公的扶助支出額がGDPに占める割合)が低い
- 捕捉率(公的扶助を受けることができる有資格者の中で実際に受けている人の割合)が低い
たとえば、GDP比で見た社会支出(社会保障給付費など)について、2019年の日本は22.3%となっておりOECD諸国を上回っているものの、これは老齢基礎年金や医療保険の割合が高いためであり、「低所得世帯への現金給付など」を含む「その他」項目だけで見ると、OECD諸国の平均0.5%を下回る、0.4%という結果になる。ちなみに「失業」や「住宅」関連の支出も、平均以下となっている。
生活保護に関する費用
またDaiGo氏は「生活保護の人たちに、金を払うために税金を納めてるんじゃない」と指摘するが、実際にはどのくらいの費用が生活保護関連の政策に投入されているのだろうか?
2019年の厚生労働省による資料によれば、生活保護費負担金(事業費ベース)は3.8兆円とされており、このうち半分は「医療扶助」にあたる。生活保護受給者は、国民健康保険や後期高齢者医療制度の被保険者から除外されるため、医療を必要とする場合はこの「医療扶助」によって全額を扶助される仕組みだ。
衣食住や日常生活のニーズを満たす扶助である「生活扶助」と「住宅扶助」をあわせると1.7兆円程度となる。この数字をどう解釈するかは議論があるだろうが、少なくとも前述したように、公的扶助支出額がGDPに占める割合は、国際的に見て低い水準であることは、確認しておきたい。
また2020年の社会保障関係費は35兆8,608億円であり、このうち年金給付費は12兆5,232億円だった。医療給付費は12兆1,546 億円、介護給付費は3兆3,838億円であり、いずれも生活保護の「生活扶助」と比べると高い金額となっている。
では、こうした基本的な事実を抑えた上で、改めてホームレス状態にある人や生活保護受給者について「いない方が良い」と発言することの問題点は、どこにあるのだろうか。
人権
まず大前提として、ホームレス状態にある人や生活保護受給者には、言うまでもなく人権が存在している。日本国憲法第11条に「基本的人権は、侵すことのできない永久の権利」と記されているように、年令や性別、属性に関係なくすべての人が人権を有しており、特定の人々を「いない方が良い」と述べることは人権の否定だとみなされる。
しかし人権の否定以前に、そもそも「ホームレス状態」自体が人権侵害であると言われる。たとえば国連は以下のように指摘する。
ホームレス状態は、尊厳や社会的包摂、そして生存権に対する深刻な攻撃である。ホームレス状態は、居住に関する権利を明白に侵害しており、生存権をはじめとして、差別を受けない権利や健康に関する権利、水と衛生、身体の安全、残酷で品位を欠く非人間的な扱いからの自由など、多くの人権を侵害している。
国連・経済社会理事会は2020年、この問題に対処するため手頃な価格の住宅や適切な支援サービスなどを加盟国に求める決議を採択した。すなわち、ホームレス状態にある人に「いない方が良い」と述べることは、すでに人権侵害にある人に対して、追加的な攻撃をしていることに他ならない。
ただし人権については、DaiGo氏も「人権もあるから、一応形上大事」と言及している。すなわち問題は、同氏がホームレス状態にある人や生活保護受給者が有する人権の存在を理解していなかったことではなく、なぜ同氏はこうした人々の人権を軽視するのか?という点にある。
そこで以下では、DaiGo氏のような主張が決して同氏固有の認識ではなく、むしろそれが古くからある社会的偏見(スティグマ)を反映していることを見ていく。(*2)なぜならこの人権軽視の姿勢は、こうした前近代的な偏見から逃れられていないことの裏返しと言えるからだ。
長い歴史において、こうした社会的に脆弱な人々を「いない方が良い」とする偏見は長く支配的であり、それは人権概念の浸透とともに、時間を掛けて修正されてきた。今回の問題を「人権概念の欠如」というより「人権概念を軽視する通俗的な価値観」にあると考えた場合、その価値観が歴史においてどのように退けられてきたのかを理解することは、大きな意味があると言えるだろう。
(*2)ホームレス状態にある人と生活保護受給者については異なる問題として分析する必要があり、それを(歴史的な用語としての)「貧民」に関する問題の流れの中で理解することは、異論もあるだろう。こうした前提を踏まえつつも、本記事ではそれらを「社会的に脆弱な人への眼差し」として一貫した流れの中で理解することを試みる。
救貧法の誕生
貧しい人々を救済する近世以降の国家的なシステムで、最もよく知られているものは、1597年に英・イングランドで成立した最初の救貧法と1601年のエリザベス救貧法だ。これは「それまでの仕組みを根本的に変えるものではなかったが、300年以上に渡って福祉や保険料率設定システムの基盤として存続」するものとなった。
17世紀以降、権利(right)概念はイングランド特有のものではなかったし、新しい概念でもなかった。しかし救貧法は「理論的な権利を現実のものにするという、他に類を見ない徹底した試みを行った」と評される。それまでキリスト教の慈善事業の対象でしかなく、時には抑圧の対象となった貧民について、本格的に国家が介入をおこなった契機であることは間違いない。
この時期の救貧法については、自活できない貧しい人々や善良な倫理観を持っている人々については「援助に値する貧しい人々」として税金が投入された一方、怠け者や行いの悪い人々、そしてコミュニティの部外者は支援を拒否したり、厳罰が与えられたことに特徴がある。
援助に値する貧しい人々
「援助に値する貧しい人々」は無能貧民(impotent poor)と呼ばれ、年少の孤児や高齢者、精神的および身体的障害者などが該当した。反対に怠惰状態(idle)とみなされた人は、鞭打ちなどの刑罰が与えられたり、町や小教区などのコミュニティから追放された。(*2)コミュニティは、貧民の受け入れを出来る限り避けるため、正当な理由なく居住地を移動する者を浮浪者として処罰したり、仕事を求めてやってきた貧しい移民を拒否した。こうした対応は、17世紀から18世紀に見られる、行政による貧しい人々の監視や行動規制などに繋がっていく。
「援助に値する貧しい人々」とそれ以外の人々の区別は、働きたくても働けない人や宗教難民、元兵士など、そうしたカテゴリーに分類できない貧民の扱いという新たな問題も生み出した。また「援助に値する貧しい人々」を、男女ともに「弱く依存的な人」とみなすジェンダー規範的な視線も、この時代から生まれていく。
いずれにしても、それまで物乞いや隣人からの援助など私的な枠組みで成り立っていた貧しい人々への救済は、16世紀(1500年代後半)から、町や教会の小教区による地方税の徴収を原資とした「援助に値する貧しい人々」への分配という公的な制度へと変化した。
経済的困難に直面する人々について「援助に値する貧しい人々」と「怠惰な人」に区別して、前者には救済を与えつつ、後者に懲罰を与えたり自己責任とする見方は、少なくとも400年以上前から生まれていた視点だと言える。誰を救うべきか?という問題は、現在でも政策的な議論となるトピックだが、それらが資産や所得から議論されていたのではなく、規範や道徳の問題として線引きされていることも、大きな特徴だった。
(*2)ただしマージョリー・マッキントッシュは、両者の区別は単に貧困や慈善のイデオロギー的構造によって決められるのではなく、時に貧しい人々への個人的な同情によって決定されたことなどを明らかにしている。
人口増と新救貧法
17世紀後半から18世紀にかけて、人口の急増や都市への流入、農業中心の経済から工業化・機械化された経済への移行が進んだことで、貧困の問題はますます国家的な議論になっていく。
例えばイングランドの人口は、1500年は260万人と推計されていたが、1650年には560万人と2倍以上に達したと見られている。1801年には833万人にまで増加して、ウェールズを合わせると887万人にのぼった。人口の増加による失業率の増加や貧民の増大が進んだことで、従来の救貧法では問題に対処できなくなったのだ。
その結果、1834年に救貧法が改正されて、いわゆる新救貧法が誕生した。新救貧法の下で、貧しい人々を収容した救貧院以外での救貧活動が廃止され、全国レベルでの画一的な救貧政策が実施された。これらはいずれも、貧民の増大にともなって増加した福祉費用の削減を目指しており、その背景には国家的な危機感があった。
理論的背景の1つには、トマス・ロバート・マルサスの『人口論』があった。マルサスは、食料生産の増加スピードに比べて人口の増加スピードは早いため、人口抑制をしなければ社会は再び貧困に陥ると主張した。その上で「基本的に救貧法は貧者に人口増加のインセンティブを不用意に与えるものだから、彼らを貧困にとどめておく効果がある」と述べて、救貧法の漸進的な廃止を主張していく。
こうした主張からも分かるように、新救貧法においては、増大する貧民の存在が国家にとっての「リスク」であるという厳しい見方が反映されている。それまで施行されていた救貧法は「怠惰な貧困層が仕事を探すことを思い留まらせるとみなされ、1800年頃の貿易不況は、制度改革への圧力を高める」こととなり、こうした見方は強くなった。
劣等処遇
新救貧法の特徴の1つに「劣等処遇(less eligibility)」がある。これは救貧院が「怠惰な貧困層が仕事を探すことをやめる」インセンティブにならないように、その環境を院外よりも悪化させる考え方だった。救貧法の様子は、チャールズ・ディケンズの著書『オリヴァー・ツイスト』など文学作品にも描かれ、その劣悪な環境が広く知られるようになった。救貧院は、フランスの悪名高い牢獄の名前から「救貧法バスティーユ」 と呼ばれるほど、貧民から恐れられていた。
こうした考え方もまた、貧民を怠惰な存在とする見解が引き続き反映されている。ただし16世紀とは異なり、もはや国家的な問題となっている貧民について、コミュニティから追い出すことで対処することは不可能となり、その対策を出来る限り合理化することが至上命題となっていた。
「救貧行政の合理化」や、貧しい人々に対して勤勉・先見の明・慈愛心など「道徳心の向上」を求める見方は、現在とも無関係ではない。たとえば生活保護の不正受給を厳しく問題化する声(実際には不正受給は、2015年で「件数ベースで2%程度、金額ベースで0.4%程度」だと言われる)や、生活保護受給者へのバッシングは定期的に話題となるが、こうした考え方は、何も昨日今日に生まれたわけではなく、16世紀から続いてきたことが分かる。
言うならば、前近代における貧困問題は「怠惰な人の炙り出し」と「彼らへの道徳的介入」によって形作られてきたと言える。
社会問題の誕生
しかし19世紀後半から20世紀にかけて、近代がはじまると共にそれまでの貧困観が塗り替えられていく。「貧困問題を個人の責任においてではなく、社会が予防し、解決しなければならない問題、すなわち社会問題としてとらえ、社会的対策の必要性を訴える」流れが生まれたのだ。
その代表的なものは、同時期に行われた複数の社会調査だ。たとえばシーボーム・ラウントリーは、1901年に発表した『貧困:街の生活の研究』において、貧困は低賃金による直接的な結果だと主張して「貧困は自分の状況に責任がある」という、それまでの一般的な見解とは異なる見方を提示した。
シーボーム・ラウントリー(Unknown author, Public domain)
またチャールズ・ブースは、ロンドンの貧困マップを作成するなど大規模な調査をおこない、「貧困に苦しむ人々に対する責任を公的機関が負うべき」とした他、老齢年金の導入を主張して現在の福祉政策につながる見解を示した。
ブースによるロンドンの貧困マップ(一部)。赤は裕福な地域で、黒が貧困地域。(Charles Booth, Public domain)
経済学者のジョン・アトキンソン・ホブソンは、「非常に貧しい」階級において、貧困の原因の68%は「雇用問題」に起因しており、酒や放蕩が原因となっているのはわずか13%だと述べて、以下のように手厳しく指摘する。
貧困においては、貧しい人々の状態を「彼ら自身のせい」と表現することで、「上手くやっている人」の責任感を軽くしている。貧困を無能の証拠として表現することで、富裕層のプライドは高まり、悲惨な状況に対する富裕層の良心の呵責は和らぐ。加えて、労働者の利益のために行われる大規模な労働運動や政治的デモに対して「これは問題に取り組む方法として間違っている」と理由付けながら、厳しい抑圧的態度を取ることで、自らの物質的利益を守ることも出来る。
念のため確認しておくが、現在にも通じる指摘をおこなうホブソンの著書は、今から130年前に書かれたものだ。
政策の修正
こうした貧困観の変化については、政府も意識していた。1905年から09年にかけて、救貧法の実施状況や改正案などについて調査をおこない、救貧法および失業救済に関する王立委員会が設けられた。同委員会のうち、ビアトリス・ウェッブらのグループは『マイノリティ報告書』を公開している。現在でも同報告書は、
貧しい人々の境遇は自己責任だという考え方や、道徳的に劣った人々が救済を求めることがないよう、貧しい人々には飢餓を僅かに超える食事しか与えられるべきではないという考え方を根本的に否定した。(略)ウェッブらは、貧困の構造的要因を強調することで、その解決策は市民が助けを求める全ての分野で、国家による普遍的なサービスが必要だと主張した。
と評価されている。当時の自由党政権によって、同報告書が直接的に政策へと反映されることはなかったが、こうした見解が積み重なっていくことで、これまでの「怠惰な労働者による自己責任」や「道徳的堕落」という、貧しい人々への偏見が少しずつ修正されることになる。
1908年には老齢年金法が成立して、道徳的に欠陥のない高齢者に年金が支給されるなど、現在につながる政策も生み出され始めた。またドイツでも、ビスマルクによって医療保険法(1883年)から年金保険法(1889年)が整備されるなど、いわゆる社会保障制度が整備され始める。
こうした流れは、ヨーロッパにおける思想的変化を反映している。英国では経済学者レオナルド・ホブハウスらによって「自由放任」の限界が指摘され、経済格差や貧困、教育の欠如によって個人が「自由」に能力を発揮できない状況を問題視して、ニューリベラリズム(社会自由主義)が誕生した。こうした自由放任主義からリベラルへの思想転換は、戦後の福祉国家へと繋がっていくとされ、以下のように指摘される。
個人と社会の間には相互義務がある。ここから国家の役割として、「十分な市民としての能力にとって必要なものについて、自分たち自身の努力で手に入れられるような条件を保証する」ことが導かれる。つまり、すべての条件を平等にするのではなく、「自由な発展のための機会」を平等に保証するということである。具体的には、就労の機会、最低限の賃金、公教育、老齢で働けなくなった人への最低年金などが挙げられた。
19世紀以降、貧困について個人の道徳的責任に帰すような考え方は大きく転換を迫られ、むしろ貧困をはじめとした「社会問題」は、国家による適切な介入や福祉政策の失敗として理解されるようになる。
福祉国家と生存権の誕生
戦後、欧米諸国は「ゆりかごから墓場まで」と呼ばれる全国民を対象とした社会保障政策と完全雇用を目指す政策を推し進めた。英国で1941年に公刊されたベヴァリッジ報告書では、以下の5つの「悪」と戦う国家像が提示されたが、これが現在の国家観や健康保険・失業保険・年金などの社会保障制度の構築につながっていく。
- 窮乏(want)
- 疾病(disease)
- 無知(ignorance)
- 不潔(squalor)
- 怠惰(idleness)
前述したビアトリス・ウェッブらが言及した「最低限度の生活」、いわゆるナショナルミニマムを実現するため、英国では1948年に関連法案が成立して、日本では1961年に現在の国民皆保険制度が開始された。
思想的には、新自由主義(ネオリベラリズム)の台頭によって、福祉国家への攻撃が強まった時期もあるが、イデオロギー論争ではなく実際の財政支出に目を向けると、福祉国家はほとんど「無傷なまま」だった。確かに、公営住宅の削減など政策の一部が変更された面はあるものの、それは福祉国家の衰退ではなく「再編」として位置づけられている。
福祉国家の再編における代表的な変化は、「Welfare to Work(福祉から就労へ)」と呼ばれる。これは、失業者を「福祉」によって支援するだけでなく、職業訓練や就労支援などによって「就労」、すなわち労働市場に戻していく政策を指し、この言葉から「福祉国家」ではなく「ワークフェア国家」が誕生したとも言われる。
いずれにしても、戦後から現在にかけて「福祉国家」、あるいは再編の結果としての「ワークフェア国家」が有力なままであることは、前述したGDP比で見た社会支出(社会保障給付費など)の増大からも明らかだ。たとえば、社会保障費が相対的に少ないと言われる米国についても、この比率は1980年の12.9%から2019年には18.7%にまで増加している。OECD全体で見ると14.5%から20.0%となっており、日本に至っては、10.0%から22.3%(ただし2017年)と倍増している。繰り返しになるが、この増大分は年金や医療費の増加も含んでいるため、生活保護関連の支出の増大とは別である。
少なくともOECD諸国においては、戦後にGDPが大きく成長したことにより財政収入が伸びを見せ、その結果として高齢化などに伴う社会支出の増大を吸収してきた。反対に、こうしたセーフティーネットが整備されたことで、安定的な経済成長が実現できたとも言われる。
このように、戦後から現在にかけて失業者や貧困層の減少こそが国家の役割として認識され、それは様々な政策的・思想的な挑戦を受けることで福祉国家の再編という変化を生み出したが、根本的には福祉国家の流れは不可逆なものであった。
生存権や社会的包摂
ではなぜ近代以降、福祉国家が世界的に受け入れられてきたのだろうか。全ての議論を扱うことは出来ないが、3つのポイントに絞って簡単に見ていく。
1つは、人権や生存権などの普遍的価値が国際的に強く認識されたことだ。生存権は、日本国憲法第25条第1項において
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
と規定されており、1948年の世界人権宣言の前文では
(前略)人権の無視及び軽侮が、人類の良心を踏みにじった野蛮行為をもたらし、言論及び信仰の自由が受けられ、恐怖及び欠乏のない世界の到来が、一般の人々の最高の願望として宣言されたので、(中略)国際連合総会は、(中略)すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準として、この世界人権宣言を公布する。
と規定されている。人権思想自体は17世紀から存在していたが、第二次世界大戦によって人権や尊厳が徹底的に蹂躙されたことで、戦後の国際社会は、その反省と人権の普遍的価値を再認識からから出発している。
福祉国家の理論的支柱は、ジョン・メイナード・ケインズら経済学者によって確立されたが、思想的にはトマス・ハンフリー・マーシャルによる社会的権利の議論が影響を与えている。貧しい人々や障害者、社会的に脆弱な人を含めた全ての市民が、この社会的権利を有しているというマーシャルの指摘は、人権を実現するためには福祉国家というシステムが欠かせないことを示していた。
もう1つは「自律した個人」像に修正が加えられたことである。リベラリズムは長い間、自由や平等を実践する市民として「自律した個人」というモデルを想定していた。つまり、人間は自らの自由意志に基づいて行動をして、自分が何を求めているか?が分かっているおり、その自由を誰もが平等に行使できる社会が望ましい、という考え方だ。
しかし実際には「自律した個人」という想定は、現実的には殆どありえない。障害者や介護が必要な人に限らず、誰もが幼年期や老年期を経験して、病気になれば周囲からのサポートが必要になる。誰もが何らかの「ケア」を受けるからこそ、「自律した個人」という前提そのものに無理があるのだ。こうした洞察はフェミニズムなどから投げかけられたが、誰もが「ケア」を受ける社会において、より良い福祉政策が不可欠であることは言うまでもない。
ちなみに、生活保護受給者など社会からの支援を受ける個人に対して、その道徳的責任を問う声は現在でも少なくないが、それは自らが過去にケアの対象であり、今後もそうであるという重要な事実を見落としているとも言える。
そして最後に、貧困に限らず社会的包摂に関する捉え方が多様化したことである。前述したラウントリーは、貧困線(poverty line)という概念によって、一定の所得を下回ると生活が困難になることを示した。現在、世界的な基準は1日1.90ドルとなっているが、国によって基準は異なる。たとえば米国では2020年における65歳未満の1人あたりの貧困線を年収1万2,760ドル(1日あたり約35ドル)としている。日本では、2018年の貧困線(等価可処分所得の中央値の半分)は127万円となっており、この貧困線に満たない世帯員の割合(相対的貧困率)は15.4%にのぼる。
しかしながら最近では、所得や資産だけでは貧困の実態を適切に捉えることが難しいという指摘から、貧困やナショナルミニマムについては、人間関係や社会参加など複合的な指標を参照することが重要だと指摘されている。(*3)
貧困や社会的排除の状態にある人々が、経済的・社会的・文化的な生活を送るためには、単に所得の多い/少ないだけでなく、その所得を使ってどのような自由が実現できるか?が問題になるし、健康や社会的リスクなど直面する可能性も考える必要がある。たとえば、現在の日本においてスマートフォンが使えなければ多くの社会的サービスを受けることが出来ないが、生活できるギリギリの所得しかなければ、その購入だけでなく社会的サービスへのアクセス自体も不可能となってしまう。
現状の福祉国家が、こうした全てのニーズに答えられているわけではないが、属性や価値観などが多様化する中で、「最低限度の生活」とはなにか?が改めて問い直されていることも事実だ。
いずれにしても、こうした問題意識から「福祉国家」は現在の価値観に適合的であるだけでなく、それを再編しながら市民のニーズに答えていくことも社会にとって重要な課題だと見なされている。言い換えれば、いまや貧困や福祉、社会保障に関する問題は「個人の責任」の範疇ではないどころか、むしろ市民のニーズに対して、社会がどのように答えていくかという根源的な問題意識にまで至っていると言える。
(*3)たとえば経済学者アマルティア・センによる「ケイパビリティ」というアプローチなど。
人権の軽視と歴史的経緯への無理解
こうした歴史を概観すると、DaiGo氏の見解が決して特異なものではなく、400年以上に渡る歴史において何度も繰り返されてきた古いステレオタイプや偏見に起因していることが分かる。
ホームレス状態にある人々や生活保護受給者の人権を否定する発言が、貧しい人々への偏見から直接的にもたらされたものかは分からない。しかし少なくとも同氏の認識は、貧困問題を「個人の責任」とした時代のままとは言わないが、少なくとも近代以降の議論や理念を十分に踏まえていないものだと言える。
同氏の発言は、人権を否定するばかりではなく、人類が長い時間をかけて構築してきた福祉政策やセーフティーネットに対する理解を後退させる危惧もある。人権を否定する発言の根底には、こうした歴史的経緯への無理解があるかもしれないし、現在でも、ホームレス状態にある人や生活保護受給者への否定的言説が消えないことを考えると、この問題は決して同氏個人に還元されるものではないだろう。
最後に、こうした視点から本問題を捉えることの意義について、異なる方向からの批判との対比から見ていこう。
誰もがなる可能性がある・想像力
生活保護受給者やホームレス状態にある人々の問題について、しばしば見られる主張が「自分がなる可能性もある」という主張だ。これは「想像力を持とう」という主張と同類だと言えるが、これについては2つの視点から注意深く検討する必要がある。
1つは、この論理に立ってしまうと、想像力が働かない領域や人々について限界が露呈してしまう点である。もう1つは、自分がなり得ない属性あるいは立場の人々であっても、人権や福祉国家の理念にもとづいて包摂していくことが、近代以降の人類が獲得してきた重要な洞察だと言える点だ。
人間の想像力には限界があり(もちろん、座学や実践を通じてそれを補うことは重要だろう)、現時点でそれが及ばない領域も存在する。そのことは、想像力の重要性を否定するものはないが、そこだけに頼る危険性も小さくない。
頑張っている(生産性)
また、DaiGo氏が当初反省の中で述べた「頑張ってる人もいる」という主張についても注意が必要だ。この問題については、1回目の謝罪動画を批判した稲葉剛氏らが、以下のように指摘している。
他者を評価する基準を「頑張っている」(と自分から見える)かどうかに変えただけであり、他者の生きる権利について自分が判定できると考える傲岸さは変わりません
生産性や経済的価値、あるいは道徳心や精神的側面などから、マイノリティを「評価」する立場は後をたたない。たとえば「LGBTには生産性がないため、LGBT支援に税金を投入するべきではない」という持論を展開した杉田水脈衆議院議員の主張や、少子化問題の文脈から、同性愛者の法的保護が進めば足立区が滅んでしまうという趣旨の発言をした東京都足立区の白石正輝区議の主張などは記憶に新しい。
こうした立場は、人権概念に照らし合わせて不適切であるだけでなく、本記事に見てきたように、「援助に値する貧しい人々」と「怠惰な人」に区別したり、貧しい人々に対して勤勉・先見の明・慈愛心など「道徳心の向上」を求める前近代的な見方ともオーバーラップする。
以上のように、DaiGo氏の発言について問題の所在を明らかにすることは重要であるが、同時にその批判の論理についても、慎重に検討される必要がある。
今回の発言については、他でもない人権概念から問題化される必要がある。同時に、その重要性は「援助に値する貧しい人々」と「怠惰な人」の区別をおこなってきた16世紀から、「個人の責任」という従来の見方が刷新された19世紀後半、そして「福祉国家」の理念が誕生した現在までの、歴史的経緯を通じて理解することが出来るだろう。社会的に脆弱な立場にある人への眼差しは、長い時間をかけながら修正され、そのことがより良い理念的な社会をつくる上での重要な洞察となった。同氏の発言の問題点を考えるためには、その事実を抑えておく必要があるだろう。
(補足)身近な命の方が重い?
補足として、本筋からは少し外れるがDaiGo氏による反論と関係する問題について、確認しておくことが1つある。それは「社会全体ではないが、個人としては命の優劣がある」という主張についてだ。これは批判を受けたDaiGo氏による反論として述べられたもので、「生活保護などの制度自体を批判するものではなく、自身にとって身近な存在の方が大事だ」という主張とみられる。
たしかに身近な人の命(A)と、地理的あるいは関係性などが遠い人の命(B)の間には、道徳的な差があるのではないか?という議論自体は存在する。
たとえばグローバル・ジャスティス(Global Justice)という研究分野では、先進国の人々は開発途上国の人々に寄付をしたり、政策的な援助をおこなう倫理的な義務がどこまであるのか?などが議論されている。(*4)
あるいは新型コロナウイルスなどによるパンデミックに関連して、人工呼吸器などの医療資源が限られている時、誰の治療や予防が優先されるのか?という「命の選別」に関する議論もある。(*5)
しかし重要なことは、こうした議論はいずれもAとBの命についてどちらを優先して助けるべきか?あるいはBを救う義務はどこまであるのか?を議論している。決して、Bの命について「いない方が良い」という議論ではなく、むしろ議論の方向としては真逆である。
こうした議論は、優生思想や人権の軽視に繋がることがないよう、世界中の研究者によって慎重に、しかし確実に議論が進んできた分野である。もちろんそれらが、より良い人権概念の構築と実現を目指した、前向きな議論であることは言うまでもない。
(*4)日本語で読める文献として、トマス・ポッゲ(立岩真也監訳)『なぜ遠くの貧しい人への義務があるのか―世界的貧困と人権』(生活書院、2010年)やピーター・シンガー(樫 則章監訳)『グローバリゼーションの倫理学』(昭和堂、2005年)などがある。
(*5)日本語文献として、たとえば広瀬巌『パンデミックの倫理学 緊急時対応の倫理原則と新型コロナウイルス感染症』(勁草書房、2021年)などがある。