女性の権利が議論される中で、マンスプレイニングという行為が問題視されるようになってきた。
例えば2020年に、高齢男性が子連れの女性に「母親ならポテトサラダくらいつくったらどうだ」と発言する現場を目撃した、というTwitterのツイートに端を発し、この発言の是非についていわゆる「ポテサラ論争」が巻き起こった。この出来事は、家事や料理に無理解な男性によるマンスプレイニングとして、数多くの批判的な投稿がなされた。
マンスプレイニングは政治に関わる場面でも問題化している。2021年7月21日、コーツIOC副会長が、オーストラリアのクイーンズランド州首相であり同国のオリンピック委員会会長も務めるアナスタシア・パラシェ氏に対するマンスプレイニングで批判を浴びた。同国の都市ブリスベンは2032年の五輪開催地だが、コロナ禍を受けて東京五輪の開会式を欠席したパラシェ首相に対し、コーツ副会長が開会式の重要性を説いたことが問題視された形だ。
このように、男性から女性に向けた、無理解に基づいていたり上から目線だったりする発言は批判の対象となりつつある。
では、マンスプレイニングとはいつから、どのような意味で使われており、どのような点で問題なのだろうか。本記事では、マンスプレイニングの定義やこの言葉が生まれた背景、そしてこの言葉がどのような問題を表しているのかについてみていこう。
マンスプレイニングの定義
マンスプレイニング(Mansplaining)は、男性(Man)と説明すること(Explaining)を掛け合わせた造語だ。だが、単に男性が何事かを説明するという状況は様々な場面で見られ、その行為や状況自体が問題視されることはないだろう。
では、マンスプレイニングという造語の中で、男性と説明することはどのような点で結び合わさり、定義されているのだろうか。
オックスフォード英語辞典によると
男性が何かを必要以上に、威圧的に、または慇懃無礼に説明すること。特に(典型的には女性に対して)見下した態度や男尊女卑をあらわにすると思われるやり方で説明すること。
とされている。また、メリアム=ウェブスター英語辞典では、
男性が女性に何かを説明するときに、そのトピックについて知識がないことを前提にして、見下したような言い方をすること。
とされている。両辞典の定義では、男性から主に女性に対して、説明という形をとって差別的な態度を示すことに焦点が当てられている。つまり、性別と知識の有無が結びつけられ、説明する側/される側という関係性と説明という行為を通じて、差別的なメッセージが発されることが問題なのだ。
なお、メリアム=ウェブスター英語辞典によると、マンスプレイニングのように、-splainingがつく言葉は、必ずしも他の社会的マイノリティに関して広くは使われていない。例えば、白人が有色人種に対して人種差別を説明したり、ストレートの人が同性愛者に偏見に対処する方法を説明したりするといった事象には、こうした-splainingがつくような造語は、必ずしもポピュラーではない。
インターセクショナリティに鑑みれば、差別はさまざまな社会カテゴリーをめぐる状況の複雑な絡み合いの中で起こっており、上にあげたような事象も実際に起こっている。マンスプレイニングは、新しい造語として人口に膾炙するのが他の事象を指す言葉より早かったと言える。
マンスプレイニングはいつから使われているのか?
では、マンスプレイニングという語はいつから使われているのだろうか。
『説教したがる男たち』起源説の誤り
マンスプレイニングの起源には、広く流布している誤解がある。その誤解とは、2008年4月13日、著作家のレベッカ・ソルニットがLos Angeles Times紙のサイトに寄稿したエッセイ「Men who explain things」をマンスプレイニングの起源とみなすものだ。