東京オリンピック・パラリンピックに前後して、日本でダイバーシティ&インクルージョン(D&I)という標語を目にする機会が増えてきた。2025年に開催予定の大阪万博を運営する日本国際博覧会協会では、女性理事の割合が4割を超えるなど、ダイバーシティ推進を前面に押し出している。
政府も、ダイバーシティの推進に積極的だ。経済産業省は「ダイバーシティ経営の推進」の名のもとに、性別、年齢、人種や国籍、障がいの有無、性的指向、宗教・信条、価値観などの多様性を活かす企業の取り組みを推奨している。また、厚生労働省では「職場におけるダイバーシティ推進事業」として、性的マイノリティに関する企業の取組事例等を調査・紹介している。総務省行政評価局では、2019年に「諸外国におけるダイバーシティの視点からの行政評価の取組に関する調査研究」報告書を発表しており、政府施策へのダイバーシティの取り入れやその政策評価について、海外の動向を参照している。
しかし、日本の現状は必ずしもダイバーシティに開かれているとは言い難い。例えば、2021年の自民党総裁選に初めて複数人の女性議員が立候補したものの、依然として女性の政界進出やリーダー不在が問題視されている。政界に限らず、科学技術分野への女性の進出も遅れており、高等教育や職業キャリアにおける問題が指摘されている。
外国人に目を向けても、技能実習制度をめぐる諸問題や入国管理局での収容中の死亡問題、強制送還の手続きをめぐる違憲判決、コロナ禍での留学生の入国制限継続など、問題は山積している。
性別に限らず、人種/エスニシティや宗教、障害の有無、あるいは出自による貧困や差別による困難を抱えた人々へのサポートは、ダイバーシティに開かれた社会を実現する上で重要な課題と言える。
アファーマティブ・アクションは、こうした差別や不利益を受ける人々の状況を打開すべく現れた施策だ。日本では、積極的格差是正措置と訳されており、例えば内閣府男女共同参画局によって、ポジティブ・アクション(積極的改善措置)の名のもとに推進されている。また、女性活躍推進法を受けて、厚生労働省も女性社員の活躍推進のためのポジティブ・アクションを推進している。
他方で、アファーマティブ・アクションには政策的有効性をめぐって批判も展開されている。
本記事では、アファーマティブ・アクションの定義と歴史、そしていくつかの施策をふまえつつ、展開されている批判を概観しながら政策的な課題を見ていくこととしたい。
アファーマティブ・アクションの定義
アファーマティブ・アクションの定義について、以下では辞書的な語の定義、哲学思想的な概念の定義、そして法的な定義について見ていこう。
辞書的な定義
例えばオックスフォード英語辞典によると、アファーマティブ・アクションとは
(資源や雇用の配分において)不利益を被っている、あるいは差別を受けているとみなされている集団に属する個人を優遇する慣行または政策
とされている。また、メリアム=ウェブスター英語辞典では、
マイノリティグループのメンバーや女性の雇用や教育の機会を改善するための積極的な取り組み
となっている。前者はより広義かつ抽象的に、後者はより限定的かつ具体的に定義しているが、どちらも差別による不利益の改善に向けた取り組みを指している。なお、アファーマティブ・アクションは主に北米圏で用いられる語であり、例えばイギリスやヨーロッパではPositive discrimination(「肯定的な差別」「改善目的の差別」)という語が同様の意味で用いられる。
哲学的な定義
哲学思想的な文脈でも、アファーマティブ・アクションは議論されている。スタンフォード大学哲学百科事典(SEP)には
アファーマティブ・アクションとは、歴史的に排除されてきた雇用、教育、文化などの分野で、女性やマイノリティの代表性を高めるための積極的な措置を意味する。その際、人種、性別、民族による優先的な選択を伴う場合、アファーマティブ・アクションは激しい論争を引き起こす。
と定義されている。代表性(representation)という言葉が用いられているが、ここでは歴史的に排除されてきた分野における量的な存在感を高めることを含意している。例えば女性議員の議席数のように、当該分野の中で数が増えることで女性やマイノリティの立場やニーズなどを表明する人々が増え、結果的に差別や不利益が減じていくという考え方だ。
ただし、代表性そのものをめぐる課題は議論を呼んでいる。例えばジェンダー政治学では、女性やマイノリティなどの待遇改善やアカウンタビリティのような質的な代表性に、量的な代表性がつながるのかどうかや、そもそも代表性はどのように同定できるのかなどが議論されている。
またSEPの定義にもあるように、どのような人をどう優先するかの選択が伴う場合、アファーマティブ・アクションは論争的な問題となりうる。
法的な定義
法的な観点では、コーネル大学ロースクールが母体となっているLegal Information Institute(LII)がアファーマティブ・アクションの定義を示している。LIIでは、
応募者間の不法な差別を排除し、過去の差別の結果を是正し、将来的にそのような差別を防止するよう設計された一連の手続き。応募者は、教育プログラムへの入学を希望していたり、専門職への就職を希望していたりする。現代アメリカの法律では、一般的に、少なくとも人種、信条、肌の色、出身国に基づく差別に対する救済措置を課している。
と記載されている。少なくともアメリカにおいて、アファーマティブ・アクションの法的対象が、主に教育や就業といった領域であることがうかがえる。そして、その制度上の射程は過去の差別だけでなく、未来における差別の防止にまで向けられている。
このように、アファーマティブ・アクションという概念は広い領域分野で共有されており、哲学的な理論レベルと法制度的な施策レベルの両面で議論・実践がなされている。
アファーマティブ・アクションの歴史
では、アファーマティブ・アクションはどのような経緯で広まり、実践されてきたのだろうか。以下ではアメリカでのアファーマティブ・アクションの歴史を概観しよう。
アファーマティブ・アクションの起源:解放奴隷への補償と労働法
アファーマティブ・アクションのコンセプトの元とされているのは、1865年、ウィリアム・シャーマン将軍による特別野戦命令第15号の一部として提起された「40エーカーとラバ1頭」と呼ばれる、南北戦争後の解放奴隷に対する補償だ。
これは奴隷労働を余儀なくされてきたアフリカ系アメリカ人への補償の約束であり、アファーマティブ・アクションという言葉こそ使われていないが、人種/エスニック・マイノリティへの差別や不利益の改善を目的とした点にその先進性がある。だが、強い政治的反発を受け、この補償は実現されなかった。