安倍晋三元首相が街頭演説中に銃撃・殺害された事件以来、政教分離に関する議論が盛んになっている。逮捕された山上徹也容疑者が「(遺恨のある)宗教団体と元首相がつながっていると思ったから狙った」という供述をし、統一教会などと政治家とのつながりに注目が集まっているためだ。
関連記事:[追記] 統一教会との関与が示された議員・知事ら121名一覧。新岸田内閣から首相経験者、現職議員まで
政教分離に関する議論で頻繁に目にするのは、「ライシテ(laïcité)」という言葉だ。これは「脱宗教性」を意味するフランス語であり、しばしばフランスにおける政教分離の理念や制度を指す。
事件を受けて日本国内でも、「ライシテを導入すべき」といった意見が散見されるようになった。こうした意見の多くは「厳格に政教分離するべき」という文脈にある。つまり、ライシテは「フランス流の厳格な政教分離」のように理解されていることが多いようだ。
一方、「ライシテを導入すべきではない」という意見も多く見られる。この場合、ライシテによって宗教的実践がことごとく禁じられ、個人の自由や多様性が損なわれることが懸念されている。ここでもライシテは「過度に厳格で抑圧的な政教分離」だと理解されているだろう。
以上のようなライシテ理解は、どの程度妥当なのだろうか?ライシテとは一体何なのか?
実のところその本来的な意義は、厳格に政教分離をすることよりむしろ、宗教的多様性を認めることにある。加えてフランスにおいてライシテは決して一枚岩ではなく、社会的あるいは政治的な立場によって様々な解釈が提示されている。このようなライシテそのものの複数性や変遷を抑えておけば、日本の政教分離について「ライシテか否か」という二元論に陥ることなく、妥当な判断を探る一助となるだろう。
本記事では、ライシテの基本的な理念と歴史を簡単に振り返った上で、その複数の解釈を紹介することで議論を整理していく。
ライシテとは何か
フランス政府のライシテ省庁間委員会によれば、ライシテは以下の3つの要素からなる原理だ。
- ライシテは信教の自由を保障する。国民はいかなる宗教を信じるのも、あるいは信じないのも自由である。また、公的秩序を尊重する限り、各々の信条を開示し、教義を実践できる(礼拝の自由)。一方で、信者はあらゆる教義も強制されることはない。
- ライシテは法の下の平等を保障する。どんな宗教を信じているかあるいはいないかに関わらず、あらゆる国民は法的に対等に扱われる。
- ライシテは政教分離という原則をもつ。いかなる公的組織も宗教組織とは分離されていなければならない。また、国家はあらゆる宗教や信仰に対して中立を保つ。特定の宗教を特別に扱うことをせず、金銭的援助も行わない。
以上を簡単に整理すれば、ライシテにはまず「信教の自由」と「市民の平等」という理念があり、それを達成する手段として「政教分離」や「国家の中立性保持」がある。したがって厳格な政教分離だけを指すという理解は、端的に誤りである。
ライシテの歴史
しかしライシテに厳格、あるいは抑圧的というイメージがあるのは確かだ。どうしてこのようなライシテ理解が広まるのだろうか?