⏩ 製品の来歴・行き先を「追跡」できること
⏩ 1990年代以降、狂牛病などの食品問題により注目
⏩ 安全面以外にウイグルの強制労働や兵器の追跡などからも重要視
⏩ スターバックスはマイクロソフトともにコーヒー豆の情報確認ツールを開発
アパレルや食品業界をはじめ、生活に関わる製品がどのようなプロセスで作られたかを把握しようとする動きが盛んになっている。
扱われる製品の生産過程を把握することは、製品それ自体や生産者に対する消費者の信頼に関わる。日本では、中国・韓国産のアサリが熊本県産と偽って表示され、市場に出回っていたことが2022年に報じられた。
また、サプライチェーンにおいて、人権侵害や気候変動を助長するような慣行が明らかになった場合、関与が疑われた企業には批判の声があがる。たとえば、中国発の世界的な低価格ファッションブランド SHEIN(シーイン)は、児童労働や強制労働の噂などから非難されてきた。
こうした潮流の中で、大手企業は製造プロセスを “クリーン” にする動きを展開している。2023年6月、COACH(コーチ)と Kate Spade(ケイト・スペード)の親会社である Tapestry、大手ファッションブランド H&M、スポーツウェアメーカーの Adidas(アディダス)などは、「森林破壊のない皮革サプライチェーンの構築」を目指す旨の誓約書に署名した。
多くの企業は、製品がどこからやって来たのかを把握する能力 “トレーサビリティ” を失っていると言われる。トレーサビリティとは何を意味しており、なぜ重要なのだろうか。
トレーサビリティとは何か
トレーサビリティ(Traceability)とは、追跡(Trace)と可能(Ability)を組み合わせた言葉で、日本語では「追跡可能性」と訳される。概して言えば、ある製品がどこからやって来て、どこへ行ったのかを把握できることを意味しており(*1)、その確保は企業の社会的責任(CSR)の1つと考えられている。
たとえば、農林水産省は食品のトレーサビリティについて「生産、加工および流通の特定の一つまたは複数の段階を通じて、食品の移動を把握できること」と定義している。
トレーサビリティが注目されるようになった背景には、1990年代から相次いだ食品に関わる事件が関連している。1990年代から2000年代初頭にかけて発生した、牛海綿状脳症 (BSE)いわゆる狂牛病問題や、1999年に起きた、ベルギー産鶏肉・鶏卵から高濃度のダイオキシンが検出された問題などだ。
このように、トレーサビリティは食品の安全管理という文脈から注目を浴びた言葉だが、本記事冒頭で触れたファッションアイテムのほか、自動車や新型コロナのワクチン、銃を含めた兵器などの文脈においても言及されることがある。
たとえば、国連の銃器議定書(The Firearms Protocol)は、銃器、部品、弾薬などの製造者から購入者までを体系的に「追跡すること」(tracing)の重要性を訴えている。これは、犯罪組織やテロ集団が使用する銃器の供給源を特定するのに役立つためだ。
また、米国のバイデン政権は2022年、オンラインで購入し自宅で銃器を組み立てられるキットにシリアル番号を付与することと、購入者の身元調査を義務付けた。このタイプの銃は、従来シリアル番号が付与されておらず、身元調査なしで購入できるために購入者と入手元の追跡ができないことから、「ゴーストガン」と呼ばれ問題視されていた。
こうした製品の来歴から行き先までを追跡する能力は、なぜ重要なのだろうか。
(*1)トレーサビリティには「チェーン・トレーサビリティ」と「内部トレーサビリティ」の2種類がある。前者は、一般的に用いられる意味で、本文で指摘したような原材料の調達から生産、加工、小売といった流れを把握できることを指す。一方で後者は、ある1つの企業や工場の内部に注目する。たとえば、ある工場で、どこから受け入れた部品を使って何を製造し、どこのメーカーに出荷したのかを把握できることを指す場合、内部トレーサビリティに分類される。以下、本記事でトレーサビリティと言うときには、一般に使用されるチェーン・トレーサビリティを指すものとする。
なぜ重要なのか
トレーサビリティが重要な理由は、消費者の健康や安全性に関わるという点のほかに、以下3つの視点から理解することができる。
- 政治的理由
- 経済的理由
- 倫理的理由
1. 政治的理由
1つ目の視点は、政治的な理由だ。対中国や対ロシアへの制裁を強化する米国をはじめとする国々にとって、製品の生産元がどこにあるかを追跡することは不可欠と言える。
たとえば、米国に入ってくる製品が、新疆ウイグル自治区で作られたということを確認するためにトレーサビリティが重視されている。米国で2021年末に成立し、2022年6月に発効したウイグル強制労働防止法(UFLPA)は、新疆ウイグル自治区で生産された綿花やトマトなどの製品を「強制労働でつくられた」とみなし、米国への輸入を差し止めるものだ。
ただ、トレーサビリティは常に自らに都合よく機能するとは限らない。前述した兵器のトレーサビリティが、ロシアと日米の関係を詳らかにしたケースはその好例だ。2022年、英国の軍事・防衛シンクタンクである王立統合サービス研究所(RUSI)などは、米国や日本で生産された部品がロシアの兵器に使われていることを明らかにした。彼らが確認した450個の部品のうち、318個は米国で製造され、34個は日本で製造されていたという。
このように、トレーサビリティは、政治的な文脈において重大な機能を果たしており、時には都合の悪い事実を明らかにすることもある。
2. 経済的理由
2つ目の視点は、経済的な理由だ。トレーサビリティに関わる市場は成長が予測されているほか、問題発生時の対処においてもトレーサビリティは経済的な側面から重要な役割を担う。