中国は、国連安全保障理事会の常任理事国の1つであり、2019年には国連の予算分担率でアメリカに次ぐ第2位の国となった。現在の中国は、国連の中で強い発言権や経済面での高い貢献があると言える。
この中国が近年、国連内の人事を通じて、自国に優位な方向へ各国を誘導しようと働きかけを強めている。国連には15の特別機関・組織があるが、2021年2月時点で、うち4つのトップを中国の代表が務めている。複数の国連関係機関のトップに自国の代表を据えている国は、中国以外にない。
中国の代表がトップを務めるのは、途上国の工業開発や航空・通信・農業分野に関わる国際機関だ。
2013年6月、国際連合工業開発機関(UNIDO)の代表として李勇(リー・ヨン)が選出された。2015年3月には、柳芳(リュー・ファン)が国際民間航空機関(ICAO)の事務局長に就任している。国際電気通信連合(ITU)の事務局長も、同年から中国人の趙厚麟(ザオ・ ハウリン)が務めている。2019年6月には、国連食糧農業機関(FAO)の事務局長に中国の農業農村省次官である屈冬玉(チュー・ドンユィ)が、フランスやジョージアの候補者に圧勝して選出された。
また、中国は国連人権理事会(UNHRC)の理事国にも選出され、人権面でも発言力を強めている。
なぜ中国は国連での支配力を高め、その影響力を強めようとしているのだろうか。
中華民国と中華人民共和国
国連と中国の関係について考える時、中華民国と中華人民共和国の両方について考える必要がある。以下では、中華民国時代と中華人民共和国時代について、特に拒否権に注目しながらその歴史を見ていこう。
中華民国時代(1945~1971年)
1944年、国連憲章が起草された創設段階では、主要戦勝国として代表権を持っていたのは中華民国(現在の台湾)だった。
1946年からの国共内戦や台湾遷都以降も、中華民国は代表権を維持し続けていた。中華民国時代、常任理事国として拒否権を行使したのは、冷戦状態を受けてモンゴルの国連加盟申請を阻止するための1回のみである。
国連における中国の代表権問題は、国共内戦を経た1949年10月1日、毛沢東が中華人民共和国の建国宣言をし、国共両勢力が国家としての正統性を主張したことで深刻化した。1950年代後半以降、中華人民共和国の友好国であるアルバニアなどからは中華民国の追放案が何度も提出されたが、アメリカを中心とする西側諸国はその都度否決していった。
1971年、冷戦下の中ソ対立やベトナム戦争の泥沼化を受け、東西諸国の政治的な駆け引きの結果、同年10月25日に「アルバニア決議」と呼ばれる国連総会決議が採択された。この決議により、中華民国は安保理常任理事国の座を失い、これに抗議する形で国連を脱退した。
中華人民共和国時代(1971年)
中華人民共和国は、中華民国の代表権を継承する形で、安保理常任理事国となった。上記のような加入経緯もあり、中華人民共和国の拒否権行使は総数だけで見ると、他の常任理事国よりかなり少なく、1990年代に入るまでは、1972年のバングラデシュの加盟拒否のみである。
ただし、英仏が1992年以降、拒否権を行使していないことに鑑みれば、近年の頻度は米露に次いで高い。
例えば1997年のグアテマラへの軍事監視要員派遣決議、1999年のマケドニア共和国へのPKO活動延長決議、2007年1月のミャンマーへの政治犯釈放要求決議、2008年7月のジンバブエ制裁決議、2019年のベネズエラの大統領問題、そして2011年、2012年、2014年、2016年、2017年、2019年、2020年のシリア内戦関連決議である。
このように中華人民共和国時代、特に1990年代以降になって、中国は拒否権を通じて他国への影響力を行使するようになった。
ではなぜ、中国は国連での支配力を高めているのだろうか。