現地時間2021年3月16日、ジョージア州アトランタのスパやマッサージパーラーが銃撃され、アジア系6名を含む8人が死亡する事件が起こった。
本事件は、ヘイトクライムの象徴的な事件として米国内だけでなく、韓国やカナダなどでも大きく報じられた。また、この事件の直後、ハーバード大学のカウンセリング部門のホームページでアジア系学生に対する差別的な書き込みがなされたことが批判を招いた。
2020年のコロナ禍以降、アジア人やアジア系への差別が強まっている状況がある。例えば米国では2019年から2020年にかけて、ヘイトクライム全体では7%の減少が見られるにもかかわらず、アジア系を標的とした犯罪は150%増加しており、特にニューヨークでは著しい上昇を見せた。
こうした欧米でのアジア人差別の現状に対し、BTSや大坂なおみ、マニー・パッキャオなどが声明を発表するなど、事態は大きな注目を集めている。
特に中国人や中華系への差別については、中国・武漢市での症例確認を皮切りに感染拡大が起こったこともさることながら、経済競争や人権問題、環境問題など歴史的文脈の中で起こっている。
では、欧米におけるアジア人・アジア系への差別はどのような歴史をたどってきたのだろうか?今回は特に、現在中国と対立を深めており、また国内の人種差別問題が大きな注目を集めている米国の歴史について取り上げてみよう。
初期の移民
アジア人が米国に現れる時期は、送り出し国によって異なっている。
例えばフィリピン人は、米国がイギリスから独立する以前の16世紀ごろから、のちに米国領となるエリアにいたとされている。また、当時「東インド人」と呼ばれていた人々も、17世紀にバージニア州に上陸しており、18世紀末〜19世紀初頭にはインド系移民がいたと言われている。
また、米国領となる以前の18世紀末から、ハワイには東アジア系の人々が船員や砂糖農場の労働者として流入していた。このため、ハワイが米国に併合された1898年にはすでに数千人のアジア人がいたとされる。その後、沖縄の人々が1900年からハワイへの移民を開始している。余談だが、ジョン万次郎やジョセフ・ヒコの名でも知られる浜田彦蔵が米国に滞在していたのも、この前後の時期だ。
こうした初期の流入はあったものの、当時はまだ送り出し国によって経緯も時期も異なっており、また必ずしも人口動態として大規模なものとは言えなかった。
ゴールドラッシュと大陸横断鉄道
米国史において、本格的にアジア人が登場したのは160年以上前、19世紀のゴールドラッシュと大陸横断鉄道建設にさかのぼる。カリフォルニア州をはじめとする西海岸諸州に中国系移民が流入し、危険な低賃金労働である鉱業や鉄道建設を担っていった。
差別問題が顕在化し始めたのも、この時期だった。1854年、白人労働者のジョージ・ホールが中国系移民の鉱山労働者リア・シンを殺害する事件が起こり、中国人の証言により有罪となった。しかし、黒人やインド人、そしてムラート(混血)の証言同様に、中国人の証言は認められるべきではないとする判決が、カリフォルニア州最高裁判所から出された。
このピープルvsホール裁判によって、アジア系に対する人種差別が法的に強化されることとなった。
チャイナタウンでの虐殺
1871年、中国人コミュニティが白人を殺しているという噂を信じた白人とヒスパニック系の暴徒約500人が、ロサンゼルスのチャイナタウンで中国系移民19人(市内の中国人人口の約10%)を虐殺する事件が起こった。加害者のうちほとんどは何の罰も受けておらず、また8名が有罪判決を受けたにもかかわらず控訴審で判決が覆された。
中国系移民への虐殺はその後も起こっており、1885年にはワイオミング州ロックスプリングで鉱業労働者の殺害・暴行・家屋への放火がなされたが、やはり有罪判決は出なかった。