今月23日、東ヨーロッパに位置する国家ベラルーシが、ギリシャからリトアニアに向かっていた欧州の格安航空会社ライアンエアーの旅客機を自国の首都ミンスクにある空港に緊急着陸させた。ベラルーシ側は、パレスチナの武装組織ハマスによって「爆破予告があった」ことから緊急着陸を決定したと主張するが、ハマス側は否定している。
一方、同飛行機に乗っていたベラルーシの反体制派ジャーナリストとして知られるロマン・プロタセビッチ氏が、着陸後に身柄を拘束されたことから、国際社会はプロタセビッチ氏を拘束するため、ベラルーシ当局が強制着陸を命じたと非難している。
民間航空機を強制着陸させるという前代未聞の暴挙に出たベラルーシは、「欧州最後の独裁国家」として知られている。去年夏には、不正選挙をめぐって大規模な民主化デモも起きている同国だが、なぜ今も独裁が続いているのだろうか?そして独裁者として君臨するアレクサンドル・ルカシェンコとはどのような人物なのだろうか?
欧州最後の独裁国家ベラルーシとは
ベラルーシは、ロシアやウクライナ、ポーランドと国境を接しており、946万人ほどの人口と日本の本州より少し小さい面積を有している。
ベラルーシの位置(The Emirr, CC BY 3.0)
1919年からは、白ロシア・ソビエト社会主義共和国としてソ連の一部を担っていたが、1990年にソ連が崩壊してからはベラルーシ共和国となり、現在まで至っている。
ベラルーシ共和国(以下、ベラルーシ)が生まれてからすぐ、1994年の選挙で初代大統領に選ばれたのが、「欧州最後の独裁者」であるアレクサンドル・ルカシェンコ氏だ。
アレクサンドル・ルカシェンコとは
1954年、ベラルーシ北東部にあるコプイシという村で生まれたルカシェンコ大統領は、モギリョフ教育大を卒業した後、軍やソフホーズ(集団農場)で働いてから、1990年に最高会議(議会)議員となり、政界に進出した。当時の国家元首であったスタニスラフ・シュシケビッチ議長を鋭く批判して、1994年の大統領選挙によって当選する。
2004年には、憲法改正によって自身の再選を認めさせるとともに、野党弾圧を加速させて、独裁者としての地位を確立した。
ロシアとの蜜月関係によって独裁者としての地位を保証される指導者も多い(*1)中、ルカシェンコ大統領の立場は特殊だ。ロシアのプーチン大統領は、過去にはベラルーシを併合する意欲を見せており、ルカシェンコ大統領は反発を示してきた。
両者はガス供給をめぐっても対立を繰り返しており、一方では前向きな経済統合を協議しつつも、一方でベラルーシはロシアによる併合によって「主権と独立」が脅かされる可能性も懸念している。2020年にも、ロシアによるエネルギー供給や資金援助を受けながら、その「併合の動き」をルカシェンコ大統領が非難する事態が起こっている。
このようにルカシェンコ大統領は、国内の反体制派を封じ込めつつ、EUを牽制し、そして大国ロシアとの関係を巧みに維持しながら、独裁政権を保ってきた。
(*1)たとえばシリアのアサド大統領をはじめ、ロシアは権威主義体制を支援する傾向がある。
近年の反体制運動
しかし近年、ルカシェンコ政権は反体制運動に直面している。2020年には、ルカシェンコ大統領の6期目が決まったことで不正選挙に抗議する、史上最大規模となるデモが起こった。
20年8月、デモは10万人規模まで拡大し、対立候補のスヴェトラーナ・チハノフスカヤ氏が多くの支持を集めながらも、隣国リトアニアに亡命する事態となった。今回拘束されたプロタセビッチ氏も、2020年の抗議活動において、亡命先のポーランドから積極的に情報発信をおこなっており、「テロを扇動した」として政権から指名手配されている。
では、このように反体制派の動きが活発化しているにもかかわらず、なぜベラルーシでは未だに独裁政権が維持されているのだろうか?