今月5日、岸田内閣が正式に発足して新たに20人の閣僚が決定した。中でも、新たに設けられた経済安全保障担当大臣には、当選3回で40代の小林鷹之議員が任命されたことで注目を集めている。
経済安全保障については、公安調査庁が「経済安全保障の確保に向けて」というパンフレットを公開し、岸田首相も自民党総裁選において「経済安全保障推進法」の策定を表明するなど、近年急速に注目を集めている概念だ。
そもそも経済安全保障とは何であり、なぜ注目を集めているのだろうか?
経済安全保障とはなにか?
経済安全保障とは「国家が経済的な手段を用いて政治的目標を達成すること」であり、たとえば「自国の優位性を確保するために機微な技術・データ・製品等の獲得」をおこなうことが挙げられる。この政治的目標とは、安全保障の目標である「自国の主権・独立を維持して、国民の生命・身体・財産の安全を守ること」とも言い換えられるだろう。
一般的に「安全保障」といえば、他国からの攻撃を防いだり、攻撃を受けた場合の迅速な対処など、軍事的な防衛力や外交政策に関連する問題だ。しかし経済安全保障は、技術やデータ、人材などの民間企業も大きく関わる経済分野に関連する領域の問題だと言える。新たに任命された小林経済安全保障相も「経済と安全保障は、一体になりつつある」ことを強調している。
「人間の安全保障」との関係
経済安全保障という言葉は、大きく2つの方向性から使用されるため注意が必要だ。1つは「人間の安全保障(Human Security)」に関連する概念であり、もう1つが現在のような意味合いで使われる、経済と関連した安全保障という概念だ。
「人間の安全保障」とは、1994年に国連によって示された「人間開発報告書」で注目された概念で、以下のように定義される。
人間の安全保障とは,人間一人ひとりに着目し,生存・生活・尊厳に対する広範かつ深刻な脅威から人々を守り,それぞれの持つ豊かな可能性を実現するために,保護と能力強化を通じて持続可能な個人の自立と社会づくりを促す考え方
いわば貧困や紛争、災害、感染症、そして人権侵害などのグローバルな課題から、人間の生命や身体、財産、人権などを守ることを意味している。この「人間の安全保障」には、経済・食料・健康、環境、治安、社会、政治という7つの側面が含まれており、そのうち経済的側面を経済安全保障(Economic security)と呼ぶことがある。
すなわち「人間の安全保障」の文脈における経済安全保障とは、年金などの社会保障や雇用、社会的セーフティネットへのアクセスなどを通じて、貧困や諸権利の侵害などから人々を守ることを指しており、コロナ禍でも改めて注目を集めた考え方だった。
現在的な意味での経済安全保障
ただし今日的な意味での経済安全保障は、同じ「Economic security」という言葉が使われるものの、その内実は異なっている。
現在の経済安全保障という用語は、主に2018年頃から続く米中経済対立を念頭に置いていることが多い(*1)。たとえば米中経済・安全保障検討委員会(USCC)による年次報告書でも、その意味合いで経済安全保障が語られている。同委員会は、米中の国家安全保障と貿易リスクなどを調査するため2000年に設置されたが、ここ数年の米中経済対立やウイグル問題などを受けて、特に注目を集めている。
2020年報告書によれば、経済安全保障をめぐる動きが以下のように総括されている。
中国共産党(CCP)は現在、世界各国が中国の世界観に同意し、市場や資本、資源、人材を自国に供給し、自らが頂点に立つという新たなグローバル秩序を構想している。
新型コロナウイルス(COVID-19)のパンデミックを通じて、その注目はますます高まったが、同国の野望は、決して新たなものでも秘密裏のものでもない。CCPは何十年もの間、産業政策や関連文書、指導者による発言、軍事指令などを通じて、その野望を明確化してきた。しかし習近平国家主席の下でCCPは、国内外において自国の利益を積極的に主張するようになった。
従来、鉄鋼・アルミニウム・輸送などのレガシー分野で経済的優位性を追求してきたが、現在目指しているのは、バイオテクノロジー・半導体・人工知能・クリーンエネルギーなど、世界の最新・最先端の産業を支配することだ。中国による産業政策の焦点は変化しているものの、政府の戦略および目的は、引き続き重商主義的・強権的な手段によるものだ。すなわち、制限を課された国内市場にアクセスする外国企業には、国内の競争相手への技術移転を強制しつつ、国有企業や国内のトップ企業には惜しみない補助金を与え、サイバー技術を用いた窃盗などの不正手段を用いて貴重な知的財産や大量のデータを入手することだ。
この報告書から、経済安全保障における論点は、最先端のテクノロジーや産業をめぐる競争だけではなく、第三国への投資や国内外の法制度、半導体やクリーンエネルギー、サイバーセキュリティなど多岐に渡っていることが分かる。
各国が注視
このように経済安全保障といえば米中対立に注目が集まりがちだが、それだけには留まらない。たとえば先日、EUが発表したインド太平洋戦略でも経済安全保障について数多くの言及があった。そこでは、EUがより多くの自由貿易協定を締結するだけでなく、多様なサプライチェーンを構築しつつ、強権的な技術移転などの不公正な慣行に対するルール強化、日本・韓国・台湾などのパートナーと協力して(半導体関連などの)サプライチェーンについて戦略的依存関係への対応を進める必要性などが指摘されている。
2年前、The New York Times紙は「経済安全保障を国家安全保障と同一視することは、外国政府との関係を悪化させ、貿易慣行などの問題を複雑な政治的紛争に発展させるリスクを伴う」と述べて、トランプ政権による経済安全保障に警鐘を鳴らした。しかし今や、経済と安全保障が一体化していることに異を唱える政府や専門家は殆どいないだろう。
(*1)ただし1995年のクリントン政権においても、今日的な意味での経済安全保障に言及がある。そこでは「私たちの経済的利益と安全保障上の利益は、ますます切り離せないものになっている」と述べられ、現在と変わらない認識が持たれていることが分かる。加えて、1960年代まで米国企業が大半の製造業で主導的役割を担っていたが、1994年までにその影響力は世界経済の約5分の1に低下し、ヨーロッパとアジアの産業が激しい競争相手となっているという危機感も示されている。
日本における対策
日本も、こうした国際的な動きに乗り遅れまいと対策を進めている。代表的な動きとしては、2020年4月に国家安全保障局の中に「経済班」が設置されたことだ。同局は、国家安全保障に関する緊急事態に対処する国家安全保障会議を補佐するための組織で、国家安全保障と経済問題の一体化を象徴する出来事として受け取られた。
「経済班」は「民間の先端技術を軍事力に生かす中国の軍民融合政策をにらみ、経済と外交・安全保障が絡む問題の司令塔となる」ことが目指されており、サイバーセキュリティや知的財産の管理以外にも、コロナ対策を受けた入国管理の水際対策なども担っている。こうしたコロナ対策の強化なども受けて、厚生労働省などの専門知識を持つ職員を増やすため、2021年からは「経済班」が30人にまで増員されている。
日本における経済安全保障の重要性を早くから指摘していたのが、自民党・甘利明幹事長だ。同幹事長は、2019年に「経済政策・外交政策・貿易政策は世界の中で絡み合って進んでいる。米国が国家経済会議(NEC)の強化を図っているように、経済・外交・貿易については密接な情報交換が必要だ」と発言し、2020年には経済安保の法整備を求めるなど、組織や法制度の重要性を訴えてきた。
岸田政権で経済安全保障担当相が任命されたことに、甘利幹事長の強い影響を見る向きも多く、同氏の影響力が増している現政権下で、経済安全保障の役割はますます強くなる可能性が高い。
以上のように、経済安全保障は日本を含めた国際社会でますます注目を集めているが、その背景には何があるのだろうか?
「経済安全保障は、国家安全保障である」
この変化を理解する上でポイントとなるのは「経済安全保障は国家安全保障の一部ではなく、そのものである」という認識だ。
前述したように経済安全保障という概念は、2018年以降の米中経済対立から注目が高まりはじめた。その象徴的な出来事が、2018年にトランプ政権によって「経済安全保障は、国家安全保障である」と宣言されたことだ。
同政権下で国家通商会議委員長を務めたカリフォルニア大学アーバイン校のピーター・ナヴァロ教授は、ロナルド・レーガンが大統領を務めていた冷戦時代は、陸・海・空、そして宇宙空間における軍事的支配こそが米国の優位性だったと述べる。一方いまでは、米国の経済が「永続的に繁栄してこそ、世界で最も先進的な軍事力を維持するために必要な成長、資源、技術革新が得られる」ため、経済安全保障が国家安全保障に直結するという。
こうした見解は、トランプ大統領による以前からの主張と整合的だ。2017年の国家安全保障戦略では、以下のような発言もあった。
防衛産業の基盤を健全化することは、米国の国力と国家安全保障におけるイノベーションにとって重要な要素である。緊急事態に対応した軍の増強は、必要な部品やシステムを生産する能力、強固で安全なサプライチェーン、そして熟練した米国の労働力にかかっている。しかしながら過去20年間にわたる米国の製造業の衰退は、これらの能力に悪影響を及ぼし、米国の製造業者が国家安全保障上の要求を満たす能力を損なっていく懸念がある。
今日、一部の製品は国内における単一の供給元に頼っており、他の製品は海外のサプライチェーンに頼っていることから、軍用の特殊部品を国内で生産できない可能性に直面している。米国の製造業の基盤が弱まるにつれ、工業用溶接からサイバーセキュリティ、航空宇宙のハイテク技術に至るまで、重要な労働力のスキルも低下している。国内製造業の活性化、強固な防衛産業基盤、そしてレジリエンスの高いサプライチェーンを支援することは、国家的な優先事項となっている。
加えて、こうした見解はバイデン政権になっても引き継がれた。トランプ政権のアメリカ・ファーストという標語は、バイデン政権において半導体やバッテリー、レアアース、医薬品などのサプライチェーンの回復および製造業の国内回帰として具現化されているからだ。
これらは米国経済および中間層(国内労働者)の強化という経済政策としての意味合いだけでなく、国家安全保障の一貫した政策として理解されるだろう。
3つの分類
このように国家安全保障そのものとして位置付けられている経済安全保障は、大きく3つの視点から分類することが出来る。(*2)
(*2)この分類は、東京大学の鈴木一人教授が提示する「経済安全保障の3つの手段」に近しいものの、自国・他国・国際協調という3つの視点で整理している意味で、違いがある。
自国のリスク管理
最初に、経済安全保障の観点から自国のリスクを最小化するという視点がある。
これは自民党総裁選において、医療や産業にとって不可欠な物資の国内生産や、高度化するサイバー攻撃への防御体制構築による「最悪の事態を考えてリスクを最小化する政治姿勢」を訴えた高市早苗候補も重視する視点だ。経済安全保障において真っ先に思い浮かぶような論点であり、コロナ禍において各国が注目した問題でもある。