・これらは、世代間不平等を是正する方法の1つとして提案される。1人1票の原則を疑うことは、異なる論点との関係において検討されることもある。
・しかし、こうしたアイデアは政治的平等や世代間対立、実現可能性などの観点から批判を集めており、そもそも選挙制度改革が世代間不平等を是正するかも分からない。
タレントのたかまつなな氏が、少子高齢化社会において高齢者の声が政治に届きやすくなる、いわゆる「シルバー民主主義」を打破するため、余命投票制度が必要だと指摘したことで批判を集めている。
同氏の提案については、たとえばライターの赤木智弘氏が以下のように述べる。
明確に「健康な人ほど有利な制度」なのですぐに「余命=健康余命」にすげ替えられて、生活習慣病患者や透析患者、障害者などが不利な方向に進んでいく。
ネットでは同氏の発言について、優生思想との親和性、法の下の平等および基本的人権の軽視などの観点から批判する声が多く集まった。
1人1票の原則は、18世紀のフランス人権宣言以降に生まれた、基本的人権に関する最も重要なコンセプトだ。性別や人種、出自や社会・経済的階層を問わず、誰もが平等の権利を持つことは、近代社会の中心的な価値観だと言える。日本国憲法では、第14条において以下のように定められている。
すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
年齢によって1票の重みを変えることは、基本的人権の価値観に反するとともに、障害者や疾患を持つ人々の票を軽視する論理に繋がる可能性がある。たとえば2018年に自民党・杉田水脈議員が、LGBTQ+ら人々について「彼ら彼女らは子どもを作らない、つまり『生産性』がない。そこに税金を投入することが果たしていいのか」などと述べたように、特定の価値観に基づいて「人間の優劣」を決定する思想に結びつく危険すらある。
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しかしながら、単に「1人1票」という制度的原則のみを守っていれば、政治的平等という理念が達成されると考えることもまた、ナイーブな考え方だ。政治的平等とは「各投票が選挙の結果に対してもつ影響力の平等、すなわち投票価値の平等」を意味しているが、1人1票が達成されていても、投票価値の平等が達成されていない状況は存在する。
たとえば女性議員の過小は、女性のニーズに応えた政策が実現されづらくなり、議員を "私たち" の政治的代表とみなす考え方を理念的に毀損していると指摘される。女性議員への1票が、何らかの理由によって過小評価されているならば、そこには政治的平等に関する課題が存在している。
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議員1人が当選する上で必要な票数が選挙区によって異なる「一票の格差」も、政治的平等を掘り崩している。「一票の格差」をめぐっては合憲と違憲判決が拮抗しているが、投票価値の平等に疑義が呈されていることは間違いない。
これらを踏まえると、余命投票制度の問題については直感的に理解できるものの、票に何らかの重み付けするというアイデアが荒唐無稽とは言えないかもしれない。果たして、余命投票制度は問題なのだろうか?
シルバー民主主義
少子高齢化社会において「若者の声が政治に反映されない」という問題は、シルバー民主主義と呼ばれ度々話題になってきた。2017年の米大統領選挙やBrexitなどを引き合いに、高齢者の投票行動が結果を左右したと批判的に言及されることは多い。
「若者の声が政治に反映されない」とは、①有権者の中で高齢者の比率が高まっていることに加え ②若者が投票に行かないという2つの状況を指している。後者については、2021年の衆議院選挙において60歳代(71.43%)70歳代以上(61.96%)の投票率に比べて、20代(36.5%)30代(47.12%)の投票率が、いずれも大きく下回っていることから明らかだ。日本において高齢者の数が増え、かつ若者と政治の距離感が遠いと見なされる中、政治における高齢者利益の優先が懸念されている状況にある。
ただしシルバー民主主義という概念そのものについて、専門家の間でも見解が分かれている。
昭和女子大学の八代尚宏特命教授は「政治家が当面の選挙に勝つために、増える一方の高齢者の既得権を守ろうとする『シルバー民主主義』が大きな影響力をもっている」としつつも、それが高齢者の利己的な姿勢に起因するのではなく「高齢者が少数であった時代に形成された社会制度や慣行を、高齢化社会に対応して改革する動き」が進まないことに見る。また政治学者の菅原琢氏は、世論調査から「高齢者が若年層に負担を求めるような明確な傾向は確認できない」と慎重な見解を示す。
早稲田大学の遠藤晶久准教授は、実証研究にもとづいて「若者は、世代間の社会保障の受益と負担のバランスについてある程度客観的に把握し,評価しているものの、それを政治過程と結びつけるようなシルバー民主主義的な見方を必ずしもしていない」と指摘する。
加えて、この言葉が幅広く用いられることは、不必要な世代間対立を煽ったり、そもそも国全体が低成長に陥ることで、世代を問わず社会保障を負担出来ない状態にある根本的問題を隠蔽するという批判も根強い。つまり、そもそもシルバー民主主義という言葉には疑義が突きつけられており、慎重に扱うべき概念と言える。
とはいえ、少子高齢化が民主主義社会に何らかの困難をもたらしていることは間違いなく、そうした立場から「若者の声を政治に反映する」ための方法が提案されている状況は存在する。
若者優遇の選挙制度?
「若者の声を政治に反映する」ための方法の1つとして登場しているのが、若者の1票に重み付けをするアイデアだ。こうした考え方は余命投票以外にも存在し、たとえば以下のようなものが挙げられる。
- 余命投票制度
- ドメイン投票制度(*1)
- 年齢別選挙区
まずは、これら3つの制度について順に概観していく。
(*1)正確に言えば、ドメイン投票制度は少子高齢化社会への応答ではなく成人などに限定された「有権者の範囲」に関する問題だ。しかしここでは、議論を単純化するため詳細には踏み込まない。
1. 余命投票制度
今回問題となった余命投票制度は、一橋大の竹内幹准教授によって提案された。たとえば寿命を100歳とした場合、30歳であれば余命が70年、50歳であれば余命が50年、70歳であれば30年である。この余命に応じて票に重み付け(70:50:30)する考え方だ。
一見すると、これは高齢者を切り捨て、若者を優遇する考え方のようだが、有権者の生涯で見ると公平な制度となっていることもポイントとなる。たとえば、ある有権者が30歳の時は70の議席配分を持つが、50歳、70歳と年齢を経るごとに配分が少なくなっていく。つまり、ある時期の30歳と70歳を比べると若者優遇だが、同一人物の生涯で見るならば、同じ1票の価値を有していることになる。
ちなみに同制度の難点は、現状の投票制度から余命投票制度への移行期に不公正が生じることにある。なぜなら、70歳になってから余命投票制度が生じた世代は、若い頃に議席配分の優遇を受けていないため、余命投票制度が開始してから生まれた世代よりも不利になってしまうからだ。
そこで、引退世代が被る損失を現役世代が補償する「世代間契約」を締結するなど、制度的な工夫が考えられる。
2. ドメイン投票制度
伝統的に知られるのが、ポール・ドメインが提唱したドメイン投票制度だ。これは端的に言えば、0歳児も含めて選挙権を有していない子どもに対して、選挙権を付与するアイデアだ。
0歳児が現実的に投票することはできないため、その権利が保護者に付与されることになる。あくまで「保護者は、子どもの将来的利益を考慮して望ましい投票行動を取るだろう」という仮定に基づいているため、実際には、保護者が自らの支持政党・候補に投票する懸念はある。そのため、実質的には「子どもを持つ有権者に複数票を与えるアイデア」だという批判も強い。
またこのアイデアは、0歳児を含めた全ての人が投票権を有する状態を目指している。そのため、票の重み付けから生まれる考え方というよりも、有権者の拡大を目指していると言える。
ドメイン投票制度は、これまでフランスやドイツなどでも検討されてきたが、実現に至っていない。
日本でも議論
実は同制度については、日本でも2016年に国会で議題となったことがある。当時の高市早苗総務大臣は、大西健介議員による
思い切って選挙権の年齢要件をなくして、例えばゼロ歳の赤ちゃんにも選挙権を認めればいいという考え方も出てきます。ただ、ゼロ歳の赤ちゃんは当然選挙権を適正に行使できないですから、例えば母親に代理の投票を認めるということになります。
という質問に対して、
いわゆるドメイン投票制でございますか、これも若い世代の意見を政治に反映させるといった趣旨だったんだろうと思うんですが、ただ、子供のいない人には一票、子供のいる人には複数票ということになっちゃいますので、そうなりますと、憲法上の投票価値の平等の観点などから、相当これは慎重に考えなきゃならないと思います。
それからまた、常に親御さんが子供さんのことを考えて合理的に行動し、複数の投票権を行使するとは必ずしも言い切れないのではないか。つまり、親世代と子供世代の利益が相反する場合というのが起きたときに、恐らく親世代が自分のために投票するということも否定できない。さまざまな課題があると思います。
と否定的な見解を示している。
3. 年齢別選挙区
年齢別選挙区は、政策研究大学院大学の井堀利宏教授と慶應義塾大学の土居丈朗教授によって提唱されたアイデアだ。
これは世代ごとの投票率に関係なく、世代の人口比を反映して議席配分をおこなう考え方だ。たとえば、ある選挙区の定数が10人だった場合、有権者の年代に応じて議席配分をおこなう。10-30代までが20%、4-50代が30%、60代以上が50%だった場合、それぞれ2議席・3議席・5議席が割り振られ、各々の世代ごとに議員が選ばれる。
同制度は、少子高齢化社会において若者世代に配分される議席は少なくなる難点はあるものの、それでも世代ごとの関心・利益を一定度反映させられる点がメリットだ。
以上のように、若者の1票に重み付けをする、言い換えれば少子高齢化社会によって若者世代の声が反映されづらくなっている状況を問題視して、何らかの是正措置を持ち込むアイデアは決して珍しいものではない。こうしたアイデアについてイエール大の成田悠輔助教授は「民主主義の基本的な発想は残したままで、解像度や柔軟性を高めようという試み」だと評する。
余命投票制度への賛否
ここまで、シルバー民主主義を背景として「若者の声を政治に反映する」アイデアが実際に提案されていることを見てきた。とはいえアイデアが存在することと、それに賛同することは別問題だ。
そこで以下では、こうしたアイデアへの肯定的な立場と批判的な立場を見ていく。まずは肯定的な立場として「世代間不平等」という問題意識を見た後、批判的な複数の立場を概観する。
世代間不平等
シルバー民主主義という概念からも分かるように、余命投票制度などのアイデアが生まれる背景には世代間不平等への問題視がある。
一見すると余命投票制度は、1人1票の原則や基本的人権を軽視したアイデアのように見えるが、それは「一時点の平等」に注目しているからだ。むしろこうしたアイデアは、1人1票が制度的に達成されていても、世代間で見た時に、政治的平等という理念が掘り崩されている状況を問題視しているとも言える。
世代間正義論
世代間不平等は、決して引退世代への怨嗟や現役世代の不満として片付けられる問題ではなく、ある社会における公平性や納得感、いわば民主主義への信頼の問題と見なされる。
実際「将来世代のために」というフレーズは、環境問題から原子力発電、財政赤字など様々な議論で登場しており、政治的議論の主要なトピックの1つと見なされている。
たとえば日本の財政赤字については「借金の返済には将来世代の税収等が充てられることになるため、将来世代へ負担を先送りしています」と述べられる。また原子力発電によって発生する高レベル放射性廃棄物については
高レベル放射性廃棄物は、世代間倫理の重要性を示す事例としてしばしば取り上げられてきた。この廃棄物は10万年以上もの長期にわたって危険であり続け、画期的な技術革新がない限り、そのリスクは廃棄物の発生者ではない将来世代に残される。これが世代間の不公正であることは明らかだろう。
と指摘される。
こうした考え方は、K.S.シュレーダー=フレチェットからハンス・ヨナスまで多くの専門家によって世代間正義論として理論化されてきた。世代間正義論においては、
現在に生きる我々は、直接の関係をもたない将来世代の人々の福祉について何らかの配慮をする責務があるかどうか、あるとすればそれはなぜか、あるいはどこまでの遠い将来世代にまで及ぶものなのか、といった問題
などが検討される。将来世代への配慮を正当化する根拠として「正義」概念を用いるか、あるいは現役世代の「責任」概念を用いるかなどで議論の方向性は分かれるものの、多くの論者が将来世代のために一定の配慮が必要であることに同意している。
年金制度にみる世代間不平等
しかし、世代間正義は容易には達成されない。たとえば、シルバー民主主義とあわせて話題になるのが年金問題だ。年金制度は、
「世代間の助け合い」(intergenerational solidarity)と「世代間の公平」(intergenerational equity)という2つの原則をいかにして調和させるか
という考え方に基づいている。引退世代を現役世代や将来世代が支えつつ(世代間の助け合い)、少子高齢化社会において現役世代や将来世代の負担が重くならないようにすること(世代間の公平)が、目指すべき制度のあり方だ。
にもかかわらず、少子高齢化の加速によって両者の調和はますます難しくなっている。学習院大学の鈴木亘教授によれば、社会保障における保険料と受給額の差について、1940年生まれ(82歳)は3,460万円、1950年生まれ(72歳)は770万円の黒字だが、1970年生まれ(52歳)は1,050万円、1990年生まれ(32歳)は2,240万円の赤字となる。つまり世代によって年金の受給バランスは崩れており、世代間の格差は広がっている状況にある。
また、将来の成長を促進しつつ若い世代や将来世代に便益を及ぼす「政府投資」と、引退世代のみに便益が及ぶ「公的年金」について、少子高齢化が進むことで、政治が公的年金を重視する傾向が強まるという研究もある。多くの先進国では、人口動態の変化によって年金制度の改革が急務となっているが、引退世代の有権者が増えることで政治力が強まり、改革が困難になると予想されているのだ。
世代間不平等を是正する3つの方向性
将来世代のために一定の配慮をおこない、世代間不平等を是正するためには、いくつかの方向性がある。
1つ目は、高齢者から若者への所得移転など、何らかの経済的な是正措置をおこなうことだ。これは社会保障制度や税制などを通じて、既存制度の枠組みで既におこなわれていることだ。
たとえば年金制度のような社会保障制度は、現役世代から高齢世代への所得再分配機能を持っているが、そうした制度を改善することで再分配を調整することが出来る。ただし「贈与税の非課税制度や、相続時精算課税制度など、現役世代への資産移転を促す政策は税制面においても様々実施されているが、今のところ目に見える成果にはつながっていない」とも指摘されている。
2つ目は、若者の投票率を上げることで、若者の声を反映させた政策を実現することが考えられる。インターネット投票の実現を求める声や選挙権年齢の引き下げ、主権者教育の充実などは、こうしたアイデアに含まれる。投票を義務化することで、若者の参加を促す方法もあるだろう。
そして、本記事で見てきたように若者の票に何らかの重み付けをする方向性だ。将来世代の政治的影響力を拡大するため投票に注目する意味では、2つ目に類似したアプローチだが、票の重み付けに踏み込んでいる点で、より強烈な方向性だと言える。
こうした方向性から分かることは、余命投票制度はあくまで世代間不平等を是正する手段の1つに過ぎず、それ以外の方向性も存在するということだ。
1人1票への疑義
世代間不平等の是正には複数の方向性があるという留保が付きつつも、票の重み付けをするアイデアが、強烈なインパクトを持っていることは間違いない。しかしそのインパクトに比して、票に何らかの重み付けをするというアイデアは、決して荒唐無稽なものではない。
たとえば東京大学の瀧川裕英教授は「各人が持つ票数を同じにすべきである」という同数票テーゼ、「各人が持つ票数を別にしてよい」という非同数票テーゼについて、非同数票テーゼの支持者は多くないとしつつも、同数票テーゼに再考を迫る論点が複数あると指摘する。未成年・受刑者・外国人には何らかの理由で1票が与えられておらず、それらは未成年者の能力的限界や、ある政治的決定から受ける影響が少ないことを理由に正当化されているからだ。
つまり、私たちは1人1票を当然の前提として同数票テーゼを支持しているように見えるが、実は有権者の範囲を限定することで非同数票テーゼも支持しているのだ。
また一票の格差からも、1人1票に対する異なる見解が浮かんでくる。2021年時点で東京13区(48万2,445人)と鳥取1区(23万1,313人)は、議員を当選させるために2.086倍もの「格差」が存在し、東京13区の1票は鳥取1区と比べて、半分以下の重みしかない。
この事実が1人1票の理念を毀損させていることは明らかだが、同時に地方の人口減に伴って、過疎地域から選出される議員が減ることを危惧する声もある。1人1票を徹底するならば、人口比と選出される議員の数を厳密に比例させれば良いが、そのことは「地方のニーズが国政に届かない」懸念が生じることを意味する(*2)。つまり、1人1票に見られる政治的平等は核心的な価値を持っているが、一方でそれが全ての論点ではないということだ。実際に最高裁は2018年に
憲法は、投票価値の平等を要求しているものの、投票価値の平等は、選挙制度の仕組みを決定する唯一、絶対の基準となるものではなく、国会が正当に考慮することができる他の政策的目的ないし理由との関連において調和的に実現されるべき
と指摘している。
特定の属性に議席を割り当てるクオータ制についても、選出された議員に投票された1票が重くなっていることから、結果的に1人1票とは(ある程度)対立する論理だと言える。
以上のように、世代間不平等を是正する手段の1つとして票の重み付けは正当化される。1人1票の原則から外れることは、憲法や基本的人権の尊重から逸脱するように思えるが、それは異なる論点との衝突の中で検討されるケースもある。
(*2)ただしこの考え方は、国会議員を「選挙区の代表」ではなく「全国民の代表」とする憲法43条の理念に反する。一票の格差と代表制については粕谷裕子「『一票の格差』をめぐる規範理論と実証分析」(『年報政治学』2015年)を参照。
余命投票制度らの問題点
ここまで、世代間不平等を是正するために票に重み付けをするアイデアについて、肯定的な視点から見てきた。しかし当然ながら、こうしたアイデアには支持者が少ないだけでなく、いくつかの問題も孕んでいる。
政治的平等
最初に挙げられるのは、言うまでもなく政治的平等の問題だ。
まずドメイン投票制度であれば、追加票を付与された保護者が子どもと同じ投票行動を取るかは不明であり、もしその投票先が異なるのであれば、明確に1人1票の原則に反している。将来世代と現役世代の投票行動については、似たような結果になるという示唆もあれば、若者が党派性を高めているという調査もある。追加票を付与された現役世代が、将来世代の利益を考慮して行動することは容易ではなく、現実的には両者の投票先が一致する可能性は低いだろう。
そして余命投票制度についても、生涯における1票の価値が同一であっても、人により生涯の長さが異なる問題が残されている。たとえば女性の平均寿命は男性よりも長く(女性は87.74歳、男性は81.64歳)、高学歴層がより長生きすると言われる。つまり余命投票制度の寿命について、人間が生きられる限界の寿命とされる「限界寿命」に設定した場合は「平均寿命」が長い女性にとって有利となる。(*3)
(*3)たとえば限界寿命を125歳とした場合、90歳まで生きた人は35(=125-90)の投票が「行使できなかった」票となるが、50歳まで生きた人は75(=125-50)が「行使できなかった」票となり、寿命が長い有権者ほど有利となる。
世代間対立
またシルバー民主主義に向けられる「世代間対立を煽る」という批判は、余命投票制度などのアイデアに顕著だろう。
2015年の研究では、ドメイン投票制度を模した実験において、追加票を付与された有権者Aと付与されなかったBがいた場合、Bは追加票の存在によって将来世代に "配慮しない" 投票行動を取ったことが確認されている。つまり追加票の存在によって、自らの将来的な利益が奪われることを危惧して、より利己的な行動をとる可能性があるのだ。「世代別選挙区制は、有権者のさまざまな属性のうち世代に焦点を当てる。すると、有権者たちは世代間の対立に注意を向けて、互いに自分たちの利益を守ろうとし始めるかもしれない」のだ。
また世代間正義を改善するための投票改革案を提示した後、若者の政治的権利に対する意識には変化があったものの、中高年については変化がなかったことを示す研究もある。余命投票制度などのアイデアは、世代間対立を悪化させなくとも、現役世代や引退世代の政治意識を変化させるには至らないかもしれない。
「利己的で豊かな高齢者」像
世代間対立とも関係するが、こうしたアイデアが想起させる「利己的で豊かな高齢者」という見方にも慎重になる必要がある。
まずシルバー民主主義論が暗黙の了解としているのは、利己的な高齢者が自らの利益のために、政治家に働きかけ、あるいは政治家が政治的影響力の強い高齢者の意向を忖度をして、高齢者有利の政策を実現しているというイメージだ。
たしかに「現在、社会保障給付を受けている高齢者やこれから受け取る高齢者予備軍は、他の世代に多くの負担を課してでも自らの老後の生活資金を確保する方が重要と考えている」側面はあり、投票に際して福祉政策を重視していることも事実だ。こうした点から、高齢者の「利己的」像が生まれていると言える。
しかしそのことは、現役世代が景気(雇用)や子育て政策を重視することと質的な違いはなく、世代による特定の政策への関心・重視を必ずしも「利己的」と評することは出来ない。代表制民主主義が、ある地域や属性の代表によって、それぞれの利害を調整する制度ならば、むしろ高齢者が自らが求める政策を要望することは、制度的理念そのものだと言える。
また内閣府の調査において「個人の利益よりも国民全体の利益を大切にすべきだ」と考える人は、18-29歳での割合(39.5%)よりも60歳以上で高く(60歳代45.5%、70歳以上46.2%)、こうしたデータからも「高齢者が若者よりも利己的だ」という単純化した結論を導くことは難しい。
そして「豊かな」高齢者像については「世帯主が60~69歳の世帯及び70歳以上の世帯では、他の年齢階級に比べて大きな純貯蓄を有している」ことや「二人以上の世帯の貯蓄現在高について、世帯主の年齢が65歳以上の世帯と全世帯の中央値を比較すると、前者は1,555万円と、後者の1,061万円の約1.5倍となっている」ことから、他の世代に比べて豊かな世代であることは間違いない。
ただ同時に、65歳以上の生活保護受給者は105万人にのぼり、下落傾向だった同年齢の相対的貧困率についても、2012年から少しずつ上昇傾向にある。こうした点から、将来世代の負担改善のためには、高齢者ではなく世代を問わず富裕層による負担が望ましいという指摘もある。また自民党・細野豪志議員は「多額の資産を持つ、もしくは所得を得ることのできる高齢者に一定の負担をお願いするべき」と述べる。
「利己的で豊かな高齢者」像への批判は、必ずしも票に重み付けをするアイデアの理論的限界を示すものではないが、こうしたアイデアを社会実装していく上で弊害となる。
世代のみに注目する問題
そして世代間不平等を是正するために票に重み付けをするアイデアは、なぜ世代という属性のみに着目するかを説明できない。
「特定の属性の声が政治に反映されない」問題については、前述したように女性議員の過小や過疎地域の声が届きづらいことも指摘される。そこでクオータ制や一票の格差をめぐる議論が出てくるが、若者の1票に重み付けをするアイデアは、こうした議論と対立する可能性もある。全てのマイノリティ集団は、自らの声が適切に届かないことを問題視する可能性があるため、マイノリティ集団間での利害調停が不可欠になるだろう。
選挙が世代間不平等を是正?
選挙が必ずしも世代間不平等を是正するかも分からない、という問題もある。
世代間不平等の是正のため選挙に注目するアイデアは、投票によって若者の政治的影響力が大きくなれば、政治が変化し、制度改革が進むという仮定を置いている。これは言い換えれば「有権者が世代間不平等の存在を理解しており、それが投票などの結果生じていると考えている」という前提に立っている。
しかし前述した遠藤准教授の研究を参照するならば、こうした見方は事実ではない可能性もある。
実際、若者が与党・自民党を支持しているという指摘は繰り返されており、彼らの政治的影響力が大きくなったからと言って、現状の社会保障制度を改革するような投票行動を取るかは分からない。
実現可能性
最後に挙げられるのは、実現可能性だ。ここまで見たように、世代間不平等という問題は多くの人が認めるものであっても、余命投票制度などの大胆な選挙制度改革は実現可能性が低い。1人1票が絶対的なものではないという理論的な示唆があったとしても、多くの有権者にとっては受け入れ難いものだろう。結局のところ「こういう制度案は現実に導入される見込みがほとんどない」のだ。
少子高齢化という問題が喫緊の課題である限り、その解決策は早急に模索する必要がある。その意味で、大胆な選挙制度改革は、現実味の薄い議論だと言わざるを得ない。
結論
余命投票制度などのアイデアは、シルバー民主主義への解決策として提案されることが多い。
しかし問題の所在は「若者の声が政治に反映されない」ことではなく、その結果であるかはさておき、世代間不平等にある。つまり、問題の解決策を必ずしも選挙制度改革に求める必要はなく、オーソドックスな所得移転(再分配、社会保障の制度改革など)によって是正を目指す方向性もある。
たとえば八代特命教授は、以下のように述べている。
年金給付の抑制や、医療保険の患者負担率に関する高齢者の優遇措置の見直しに対して、単に「高齢者いじめ」とする批判は的外れである。むしろ、それらは高齢者自身のため、社会保障制度を持続させるために不可欠な改革である。このことが理解されれば、世代間の対立を協調に変えることができる。
現役世代もいずれ引退世代となり、その際は自身が年金を受給する立場になることを考えれば、こうした問題を世代間の利害対立として捉えることは望ましくない。すでに多くの指摘があるが、大きな社会的問題について、高齢者をはじめとする特定の属性をスケープゴートにすることの問題点は、たとえば高齢者を人種やジェンダーに置き換えてみれば容易に想像がつく。余命投票制度の提案者が、そうした「意図」をもっていなかったとしても、それがもたらす「効果」を想像することは重要だ。
言い換えれば、シルバー民主主義という扇動的な言葉を用い、余命投票制度という物議を醸すアイデアなどを唯一の解決策として捉える必要はなく、適切な問題設定と現状の制度内で可能な解決策によって、世代間不平等を是正していくことが建設的だと言える。
もう少し突っ込んで言うならば、余命投票制度をはじめとする選挙制度改革に期待をする見方は、選挙に過度な期待を寄せているのかもしれない。
選挙という社会的意思決定の仕組みには「投票権者が一定の共同体構成員に限定されている点、また、一人一票が原則である点は、適切な関係者の利益・意向を適切に反映するという観点からは、限界がある」とも言われる。選挙で勝利した政党の政策全てに賛同するわけではないことや、少数派の意見が無視されやすいことを考えても、選挙が完璧な制度ではないことは明らかだ。その意味でも、選挙に期待しすぎるのではなく、より包括的なプロセスによって世代間不平等を是正していくことは望ましい。(*4)
とはいえ少子高齢化がもたらす社会的課題は、何十年も前から認識されていた。社会保障制度の改革が先送りされ続けていることを考えれば、漸進的な改革も容易ではないことは明らかだ。
(*4)たとえばコリン・クラウチのように、格差拡大の原因について、選挙をはじめとする政治制度が抱える構造的問題というより、政治制度の価値が相対的に低くなり、有権者の影響力が弱まっていることに求める論者もいる。