政府は6日、安倍晋三元首相の国葬に総額16億6,000万円程度の費用がかかることを明らかにした。先月末には、今年度予算の一般予備費から2億4,900万円を支出するとしていたが、警備費や各国要人の接遇費などが14億円にのぼることを踏まえ、大幅な増額となった。
安倍元首相の国葬は、9月27日に日本武道館で実施される予定だが、反対論の強まりを受けて、岸田首相が閉会中審査に出席して、実施理由などを説明している。
国葬とはそもそも何であり、現時点でどのようなことが明らかになっているのだろうか。
1. 国葬とは?
国葬とは、国家に功労のあった人物の国費によって賄われる葬儀を指す。
天皇あるいは上皇の国葬は、皇室典範第25条によって「大喪の礼」と定められているが、政治家や一般人の国葬について法的根拠はなく(後述)、今回の国葬も閣議決定によって「葬儀のため必要な経費は国費で支弁すること」が決定されている。
2. これまで国葬が実施された人は?
国葬については、大きく戦前と戦後に分けられる。
戦前
戦前については、1926年(大正15年)の国葬令によって「国家ニ偉勲アル者」(国家にとって大きな功績があった者)の国葬が定められた他、それ以前も岩倉具視(1883年実施)や伊藤博文(1909年実施)、山縣有朋(1922年実施)らの国葬が実施されてきた。明治期の国葬は、旧山口藩主・毛利元徳や旧鹿児島藩主・島津忠義など旧薩摩・長州藩の関係者が多くを占めていたことも、時代を反映しているだろう。
ちなみに1878年(明治11年)におこなわれた大久保利通の葬儀も、国葬に準ずる規模であり、「大久保の『功績』を、天皇の『特旨』をもって行われる国家儀礼で揺るぎないもの」とする狙いがあった。
また日露戦争で帝国ロシアのバルチック艦隊を破って元帥海軍大将となった東郷平八郎(1934年実施)や、連合艦隊司令長官として真珠湾攻撃を指揮した山本五十六(1943年実施)、大山巌(1916年実施)のような軍人も、国威発揚や国民の統一を狙いとして国葬の対象となった。
いずれにしても、戦前は国葬令という法的根拠にもとづいて23名(*1)が国葬の対象となり、政治的メッセージの意味合いが色濃く見られた。
(*1)準国葬も含めれば、25名となる。
戦後
戦後は国葬令の廃止によって数は大幅に減っており、対象となったのは僅か2名だ。
首相経験者では1967年(昭和42年)に吉田茂元首相の国葬がおこなわれたのみであり、それ以外は1989年(平成元年)に昭和天皇の「大喪の礼」が実施されている。
すなわち安倍元首相の国葬がおこなわれれば、吉田茂以来となる政治家の国葬として位置づけられる。
3. 合同葬らとの違いは?
戦後、吉田茂以外の首相経験者は、国民葬、自民党葬あるいは内閣・自由民主党合同葬によって葬儀がおこなわれた。いずれも国葬との違いは、国による関与の度合いや予算の負担具合だ。
国民葬
1975年、佐藤栄作元首相の葬儀は国民葬でおこなわれた。これは内閣と自民党、そして国民有志が主催するもので、国費も含めて主催者がそれぞれ費用を負担している。
また当初は、安倍元首相についても「財界などの国民有志も主催者に加わる『国民葬』の実施を軸に検討」されていた経緯がある。
自民党葬と内閣・自由民主党合同葬
近年の首相経験者は、ほとんどが自民党葬もしくは内閣・自民党合同葬が慣例化してきた。特に1980年の大平正芳元首相からは、内閣・自民党合同葬が大半となってきた。
ただし例外もあり、ロッキード事件で有罪判決となった田中角栄元首相の葬儀(1993年)は、内閣が関与しない自民党と田中家による合同葬儀だった他、同事件によって総辞職に追い込まれた竹下登元首相も、竹下家と地元・島根県掛合町、そして自民党島根県連による合同葬となっている。
合同葬であっても国費は注入されるため(*)、実質的にそれぞれの区別は「国による関与の度合い」と言える。ただし「故人の『実績』だけでなく『時の運』も内閣による公葬実施の条件となる」と指摘されるように、時の政権の支持率(盤石性)や、故人の政権との関係性などによって葬儀のあり方が決まる側面もある。
つまり、どのように「国による関与の度合い」が決定するかに明確な線引きはなく、歴代の葬儀についても曖昧な論理の中で決定してきた。
(*)たとえば中曽根元首相の合同葬には、9,600万円の国費が計上された。この際も、コロナ禍での支出に批判の声が挙がっていた。
4. 法的根拠は?
こうした曖昧さから分かるように、国葬に関する法的根拠は存在しない。1947年の日本国憲法施行に伴って国葬令が廃止されたことで、現在に至るまで葬儀のあり方を明確に定めた法律は無くなったからだ。
そこで今回の国葬実施では、
- 内閣府設置法によって「国の儀式を内閣が行うこと」が認められているため
- 国の儀式である国葬についても、内閣による閣議決定でおこなえる
という論理が採用されている。「国の儀式」が必ずしも「国葬」を指すわけではないものの、それを「国の儀式」と捉えることも出来るからだ。この考え方は、1967年におこなわれた吉田茂の国葬と同じ論理であり、その際も法的根拠の不在について議論された。
閣議決定にもとづいて国葬をおこなうことには、賛否両論がある。
たとえば内閣府設置法によって「国の儀式」を内閣が実施できるとしても、国葬そのものの法的根拠が必要だという批判がある。これは、財務省設置法によって国税庁の所掌が「国税に関する事務」と定められていても、課税には税法が必要となることと同じ理屈だ。
一方、あらゆる行政の事項について法的根拠が必要となるわけではないことも事実だ。一般的に、国民の権利が制限・侵害される可能性がある場合には法律が必須であり、そうでない場合は必須ではないとされる(侵害留保説)。行政の全プロセスに法的根拠が求められては非効率・非現実的であり、国葬実施が国民の権利侵害に繋がっているとは言いづらいことを考えても、法的根拠の不在が必ずしも常に問題となるわけではない。
また、国葬実施が「可能」であっても「妥当」であるかは別だ、という指摘もある。国葬実施には「国の意思」が必要だという過去の答弁を踏まえて、国民の意志を図るには国会での議論が必要だという主張だ。同様の考え方としては、国家が支出・課税をおこなう場合、国会での議決が求められるという「財政民主主義」の立場から、16億円の予算が閣議決定により決定したことを問題視することも可能だ。(*)
(*)ただし予算のうち予備費については、自然災害や景気悪化などの不測の事態に備えて、政府による柔軟な対応を目的として使徒が定められていない。国葬が予備費の使い道として適切であるかは別として、政府が閣議で決める事自体は適切な運用だ。
5. なぜ安倍元首相を国葬に?
では、国葬そのものが稀有なケースであり、法的根拠が乏しいにもかかわらず、なぜ安倍元首相の国葬は決定されたのだろうか?岸田政権からは、大きく3つの理由が主張されている。
銃撃事件を受けて
まず、安倍元首相の銃撃事件直後に挙げられたのは、同事件を「民主主義へのテロ」とみなして、それに屈しないという姿勢を示すという論理だった。たとえば岸田首相は、7月14日の記者会見で以下のように述べている。
国葬儀を執り行うことで、安倍元総理を追悼するとともに、我が国は、暴力に屈せず民主主義を断固として守り抜くという決意を示してまいります。あわせて、活力にあふれた日本を受け継ぎ、未来を切り拓いていくという気持ちを世界に示していきたいと考えています。
確認しておくべきは、7月前半時点では旧統一教会と自民党の関係について、現在ほどの批判が集まっていなかったことだ。特に事件直後には、選挙直前という時期に政治的なメッセージを見出しつつ、「日本で起きた重大テロの衝撃は大きく、民主主義の根幹を揺るがす事態」と報じられることも多かった。
しかし事件の背景が明らかになるに連れ、本事件が「広く恐怖又は不安を抱かせることによりその目的を達成することを意図して行われる政治上その他の主義主張に基づく暴力主義的破壊活動」と定義されるテロに該当するのか、あるいは「民主主義への挑戦」と呼称することの疑義なども指摘されはじめた。
そのため「民主主義を断固として守り抜くという決意」のため国葬を実施するという論理には、一定度の留保が付けられることも事実だろう。
安倍元首相の功績
次に挙げられるのは、安倍元首相の功績だ。同じ日の記者会見で、岸田首相は次のようにも述べている。
憲政史上最長の8年8か月にわたり、卓越したリーダーシップと実行力をもって、厳しい内外情勢に直面する我が国のために内閣総理大臣の重責を担ったこと、東日本大震災からの復興、日本経済の再生、日米関係を基軸とした外交の展開等の大きな実績を様々な分野で残されたことなど、その御功績は誠にすばらしいものであります。
また8月31日の記者会見でも「民主主義の根幹たる国政選挙を6回にわたり勝ち抜き、国民の信任を得て、憲政史上最長の8年8か月にわたり重責を務められたこと」を最初の理由に挙げている。国政選挙を6回にわたって勝ち抜いたことが、国家への功績そのものかは不明だが(*2)、憲政史上最長の政権を築いたことが国葬実施の大きな理由になっていることは間違いない。
(*2)少なくとも「国政選挙で勝利したこと」が功績なのではなく、「功績があったから勝利した」と捉える方が妥当ではあるだろう。
弔問外交の効果
最後に、国葬の効果が挙げられる。すでに9月末におこなわれる国葬には、米・ハリス副大統領やオバマ元大統領、カナダのトルドー首相、インドのモディ首相が出席する見込みだ。
国葬にあわせた外交は「弔問外交」とも呼ばれており、岸田首相は各国要人と個別に会談をおこなうことで「安倍元総理が培われた外交的遺産を我が国としてしっかりと受け継ぎ、発展させるという意思を内外に示す」と述べており、林外相も各国との関係強化を強調する。
ただし、その効果には疑問の声もある。たとえばフランスのマクロン大統領やドイツのメルケル前首相は参加見送りが明らかになっており、アメリカのバイデン大統領やトランプ前大統領なども参加しない予定だ。具体的な議題や協議の場が設けられるわけではないため「実質的にはあまり成果を生まない」という指摘もあり、得られる成果は不透明な状況となっている。
内向きの論理?
上記3つが、国葬実施の "公的な理由" であるのに対して、より「内向きの論理」が存在する可能性もある。上智福岡中高の前田修輔教諭は、
公費によって首相経験者をその死の直後に顕彰することは、時の政権がその系譜を肯定して政権の正当性を主張することにもつながる行為であり、また同様に、「偉大な政治家」の死は、遺された政治家にとっても政治的な意味合いを持つことがある
と指摘する。たとえば国葬令が存在した戦前であっても、憲政史上最長の政権(当時)であった桂太郎や、現役の首相でありながら暗殺された原敬は、いずれも国葬となっていない。つまり国葬実施は、時代ごとの恣意的な論理によって決定してきたと言える。
「民主主義へのテロ」の犠牲となった原敬および安倍政権以前に憲政史上最長の政権を実現した桂太郎の国葬が実施されなかった先例、あるいは合同葬でも「弔問外交」がおこなわれてきた経緯を考えても、国葬実施の必然性に疑義が生じるのは、やむを得ないことかもしれない。
6. 費用(16.6億円)の内訳は?
不透明ながら効果も期待されている国葬だが、その費用の内訳も確認しておこう。
当初予算(2億4,900万円)
まず当初予算として公表されていた2億4,900万円のうち、会場設営費などが2億1,000万円で、日本武道館・バスなどの借り上げ料が約3,000万円とされていた。
この金額は、中曽根元総理の内閣・自由民主党合同葬から約5,700万円増となっているが、松野官房長官は「昨今の状況を踏まえて、万全の警備体制を敷く必要があること、さらに参列者として最大で6,000人程度の規模が見込まれること」を理由として挙げる。
追加予算(14億1,000万円)
そして、新たに発表された予算が14億1,000万円となるが、これは大きく警備費(8億円)と接遇費(6億円)に分けられる。
警備費については、道府県警察の部隊活動費や派遣費用などが5億円、車両などの装備資機材や、待機所の借り上げ費用などが3億円となっている。接遇費については、各国要人の滞在にともなう車両費用や受け入れ体制などが5億円、在外高官職員の一時帰国費用が1億円だ。
7. 反対理由は?
では、国葬に反対する声にはどのような理由があるのだろうか。ここまで見てきたように、大きくは
- 法的根拠の曖昧さ
- 安倍元首相の功績への疑義
- 予算規模
の3つに分けられる。
1つ目は、すでに見てきた通りだが、専門家からも法的根拠に関する疑義は挙がっている。2つ目については「岸田内閣のメンバーが功績があると主観的に言っているだけ」だとして、客観的な審査や基準がないことを問題視する声がある。3つ目については、当初は2億4,900万円としていた費用が、16億6,000万円程度まで膨れ上がったことを批判する声がある。
また、テレビ朝日の世論調査によれば上記3つに加えて「政府が喪に服すことを強制するべきでない」という反対理由もある。
岸田首相は「国民に弔意を強制するものではない」と明言しているが、2020年におこなわれた中曽根康弘元首相の内閣・自民党合同葬儀をめぐっては、文部科学省が国立大学や都道府県教育委員会などに弔意表明に関する通知を出していたことが議論となった。(*)
(*)吉田茂の国葬に際しては、学校が午後休になった他、1分間の黙祷なども要請されたため、相対的には政府による弔意の要請は減少しているかもしれない。
8. 賛否の割合は?
では、国葬に関して国民はどのような考えを持っているのだろうか。
たとえば NNN/読売新聞(9月2日から4日)の世論調査によれば、国葬実施について
評価する 38%
評価しない 56%
となっており、JNNの世論調査でも国葬について
賛成 38%
反対 51%
となっている。NHK(国葬実施を「評価する」36%、「評価しない」50%)や時事通信(国葬実施に「賛成」30.5%、「反対」47.3%)の調査でも、「反対」や「評価しない」が「賛成」らを上回る結果となっている。
拮抗から反対優勢へ
ただし、こうした賛否は最初から一貫していたわけではない。
たとえばNHKが7月におこなった調査では、岸田首相による国葬実施の方針を「評価する」が49%、「評価しない」が38%となっている。また同じく7月の産経新聞社とFNNの調査では、国葬について「よかった」と「どちらかと言えばよかった」が計50.1%、「よくなかった」と「どちらかと言えばよくなかった」が計46.9%だった。
つまり安倍元首相の銃撃事件直後、国葬に関する世論は拮抗もしくは僅かに賛成優勢という状況だった。
加えて野党側も、決して強い反対の立場を取っていたわけではなかった。
たとえば立憲民主党の泉代表は「厳粛に行うものであり、静かに見守りたい」と述べており、国民民主党の玉木代表も「国の内外から広く哀悼の意が寄せられており、国葬とすることについては理解できる」と賛同。日本維新の会も「反対ではないが、大々的に国葬を行えば経費もかかるので、その批判が遺族に向かわないことを願う」と述べるに留まった。
9. なぜ反対の声が増えた?
当初、拮抗していた賛否が反対に傾いたのは、上記で述べた反対理由が強まったからというよりも、旧統一教会と自民党との関与が明らかになることで、政府に対する総体的な不信感が強まったからだと推測される。なぜなら、法的根拠や功績の疑義、弔意の強制などは、いずれも国葬への反対理由ではあるものの、それは反対が「増加する」理由にはならないからだ。
このことは、岸田首相が支持率下落について「旧統一教会の問題、国葬儀の問題などがあり、その中で、政治の信頼が揺らぎつつある」ことが原因と明言していることからも示唆される。両者は不可分の問題であり、旧統一教会関係の問題が露呈するに従って、政権が早期に決断した国葬への疑義も強まったと解釈することが出来る。
反対論の高まりを受けて8日、岸田首相は国会の閉会中審査に出席することで、改めて国葬の実施理由などを説明した。前述した安倍元首相の業績や国外からの弔意、民主主義へのメッセージという理由が繰り返されたが、現時点で国民の賛否に影響が生じるかは分からない。