相次ぐ週刊誌報道が社会を揺るがしていることを受けて、そのあり方について、おそらく多くの人が思いを馳せている。
作家・古市憲寿さんが
少し前なら一編集者の不倫や軽犯罪といったスキャンダルなど誰も興味を持たなかったが、このところ事態が変わった。(略)僕の知るところでは、文藝春秋社内の不倫や軽犯罪などのスキャンダルを積極的に集めているグループが社外にいる。タイミングを見て、どこかで発表やリークするつもりなのだろう。
と書いていたが、そうした事態も不思議ではないほど、週刊誌がヘイトを集めているように見える。
こうした問題が顕在化したきっかけは、松本人志氏の事件やサッカー日本代表・伊東純也選手をめぐる報道に限らない。昨年5月、市川猿之助氏による両親の自殺幇助事件が起こったが、これも週刊誌・女性セブンによる報道が1つの引き金となった。その報道は、性加害の告発という重要な意味を持っていたこともことも事実だが、週刊誌が文字通り「人の命を奪う」結末をもたらした。
しかし週刊誌側もまた、こうした事態に戸惑っているようにも思える。
先月31日、週刊新潮が「1部屋300億円! 麻布台ヒルズ超高級マンションを購入した大富豪の名前は?」という記事を配信したところ、自宅公開はプライバシーの侵害だと批判を浴び、オンライン版から削除される事態となった。週刊誌側も、どこまでが許容されるラインで、どこからがアウトなラインかを測りかねているようだ。
重要なことだが、司法が扱えなかったり、社会的に見逃されてきた問題を告発する場があることは、非難されるどころか、むしろ大きな意義を持っている局面もある。性加害とスキャンダルは別物であり、性加害の告発が適切な説明責任を導き出すこともあるのだ。
時には意義ある報道もおこなっているにもかかわらず、なぜ週刊誌には強い逆風が吹いているのだろうか?なぜ人々は、そのあり方に疑問を呈しているのだろうか?
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先日、出版関係者から聞いて、驚いたエピソードがある。