現地時間の2020年9月15日、Appleはシンガポール政府との健康イニシアチブに関するパートナーシップ締結を発表した。この健康イニシアチブでは、医師や公衆衛生の専門家との協力で作成されたLumiHealthというアプリを用いて、Apple WatchとiPhoneを通じたゲーム感覚のヘルスケアを国民に提供する。加えて、参加した国民はアプリ内のゲームを通じて、2年間のプログラムで合計最大380シンガポールドル(約3万円)相当の報酬を得られる。さらに、今回のパートナーシップは新型コロナウィルスの感染モニタリングにも利用される予定となっている。
シンガポール政府がテック企業と健康に関する協力体制をとるのは、今回が初めてではない。2019年にはApple Watchと競合するFitbit社と、国民数十万人にフィットネストラッカーを提供する協定を結んでいた。リー・シェンロン政権下で2014年から推進されてきた、「スマート・ネーション」と呼ばれるテクノロジーによる社会課題への政策的取り組みの一環に、シンガポール政府は国民の健康を位置づけているのである。
「世界中で私たちがCOVID-19の課題に取り組んでいる時でさえ、私たちは未来への投資を続けなければなりません。そして、私たち自身の健康への投資に勝るものはありません」と、ヘン・スイキャット副首相はパートナーシップ締結時の声明で述べているが、政府やテック企業はなぜ市民の健康にこれほど高い関心を抱いているのだろうか。
各国の医療システム
2019年におこなわれたランセットの経年調査によると、世界的に見て国家による保健サービスは1990年代から比べて向上したものの、カバレッジの程度は国ごとのバラツキが大きく、ほとんどの国で1990〜2010年と比較して2010〜2019年の保健サービス向上の進捗率が低下した。また、非伝染性疾患が潜在的な健康増進において重要にもかかわらず、非伝染性疾患の負担の増加とそれに伴う人々の健康ニーズに、多くの医療システムが対応していないことが示唆された。
こうした保健サービスの向上鈍化と非伝染性疾患のニーズへの非対応、という継続的かつ長期的に重要な問題を、世界各国のヘルスケア体制は抱えている。
財政難とコロナ禍による医療危機
では、上記のようなヘルスケア体制の課題の現状は、具体的にどのようなものなのだろうか。
各国のヘルスケア体制は財政難に陥っているが、これに関してランセットの調査時と最も状況的に異なるのはコロナ禍である。例えばアメリカでは、もともと都市や州の財政が悪化していた中でパンデミックを迎えたため、健康保険への加入ができなかったり医療費の支払いが困難な患者のセーフティネットを担う地域病院が閉鎖や予算削減に追い込まれている。こうした公共の公衆衛生機関の財政難の原因として、かねてからの税収低下があるとされている。また、薬剤費の負担も上昇している。
こうした状況はフランスやスペインなどの先進諸国だけでなく、医療体制が不十分なインドなどの国々でも深刻な問題となっている。
また、保険制度によっては、国民が医療を受ける際に大きな経済負担が求められるリスクがある。アメリカの場合、トランプ政権下で健康保険未加入者の数は増加しており、パンデミックに伴う失業で今後さらに保険未加入者が増えると予想されている。このため、政府が新型コロナウィルス対策資金を投下したにもかかわらず、治療を受けると高額な医療費を患者自身が負担するリスクがあるなど、市民が健康と家計を天秤にかけるような事態が発生しうる。
このように、政府にとってヘルスケア体制を維持するためのコストは逼迫したものとなっている。そして、こうしたコストを最適化して削減したい、というニーズを満たすソリューションをテック企業が提案しているのである。