毎年3月8日は国際女性デーとして祝われている。Googleのトップ画像からお気づきの方も多いだろう。
ロシアや中央アジア、東欧圏などでは公式の祝日とされており、また中国などでは女性のみの祝日となっている。公式の祝日ではない国々でも、市民によるパレードや企業のキャンペーンなどで記念日として広く認知されている。
2021年の国際女性デーについて、国連は「リーダーシップを発揮する女性:COVID-19の世界で平等な未来を実現する」というテーマを掲げ、#IWD2021と#InternationalWomensDayというハッシュタグでソーシャルメディアでの発信を進めている。
国際的に重要視されている国際女性デーは、なぜ生まれてきたのだろうか。
ルーツは社会主義
国際女性デーの始まりは、社会主義系の女性運動と密接な関わりがある。
ルーツの1つとされているのが、1909年から1911年までアメリカ社会党(SPA)によって実施された、女性の日(National Woman’s Day)だ。ウクライナ系アメリカ人で、縫製工場の労働者からSPAの女性全国委員会の委員長となった、テレサ・マルキエルが女性の日を定めたのだ。ただし、当時は2月の最終日曜日が女性の日とされていた。
国際女性デーがより国際的に認知されたのは、1910年に社会主義者の国際組織である第二インターナショナルがコペンハーゲンで開催した、第2回国際社会主義女性会議だった。この会議の中で、労働者の祭典であるメーデーをモデルに女性参政権を主張する国際的な協調行動を狙ったアイディアとして、国際女性デーは提起された。この時、提案の主体となったドイツの代表団には、女性解放運動家として知られ、東ドイツの紙幣にもなったクララ・ツェトキンも参加していた。ただし、この時は具体的な日付は決められなかった。
パリコミューンの40周年記念にあたる1911年3月18日、ヨーロッパで初めて国際女性デーが開催された。
なぜ3月8日なのか
初めて3月8日に国際女性デーが祝われたのは、1914年のドイツであり、これはこの年の3月8日が日曜日だったからとされている。3月8日が選ばれた理由には、1857年におこなわれたニューヨークの縫製労働者の女性による抗議活動に基づく説もあった。しかし、国際女性デーをソビエト連邦の歴史から切り離し、より国際的に位置づけるためのイデオロギー闘争ではないかという異論もある。
この3月8日はグレゴリオ暦上での日付だが、当時ロシアで用いられていたユリウス暦では13日ほど遅くなるため、奇しくもロシア革命(2月革命)の時期と重なることとなった。革命の指導者の一人であるレフ・トロツキーも
「2月23日(3月8日)は国際女性の日であり、会議や行動が予見されていた。しかし、私たちは、この「女性の日」が革命の幕開けになるとは想像していませんでした」
と、ペトログラード(現在のサンクトペテルブルク)での大規模なデモがロシア革命のきっかけになったことを、驚きをもって認めている。こうしたロシア革命との関わりから、ソ連をはじめとする共産圏で国際女性デーは祝日となったわけだ。