2021年7月23日から開催予定の東京五輪・パラリンピックについて、中止を求める声が高まっている。
元日弁連会長の宇都宮健児氏による中止を求める署名には37万人以上が賛同(18日現在)している他、米・Washigton Post紙に掲載されたコラムでは、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長について「開催国を食い物に」する「ぼったくり男爵」と痛烈に批判された。
一方で「日本側の判断で開催を返上した場合、日本側に損害賠償の可能性が生じる」と指摘されるなど、中止による経済的負担や損失を指摘する声もある。
では一体、五輪を中止することで損をする人は誰なのだろうか?またその経済的損失は、どの程度なのだろうか?
正確な試算は困難
驚くべき事実かもしれないが、そもそも五輪開催に伴う正確な予算を算出することは困難だ。そのため正確に中止に伴う費用を算出することも難しく、政府は答弁を拒否している。
東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(組織委員会)による最新予算では、1兆6,440億円が計上されている。しかしこれは開催の「直接費用」であり、たとえば開催に伴う道路整備や施設のバリアフリー化のための費用など「間接費用」は不透明だ。
2019年に会計検査院がまとめた調査報告書では、2012年からの6年間で約1兆600億円の間接経費がかかっていると指摘された。一方、2020年には東京都が間接費用が330億円減となったことを発表するなど、正確な試算は難しいことが浮き彫りとなっている。
こうした「間接費用」の存在などから、五輪の中止に伴う経済的負担や損失を算出することは容易ではないが、はじめに予算案のみに絞って考えていく。
支出と収入
まず、1兆6,440億円の内分けは以下の通りだ。五輪の開催費用について、収支を担っているのは主に国・東京都・組織委員会の3つのアクター(組織)だ。
アクター別五輪の開催費用(筆者作成)
アクター別の経済的負担を見ると、
- 国 2,210億円
- 東京都 7,020億円
- 組織委 7,210億円
となっており、組織委員会と並んで開催都市である東京都の負担がほぼ同額であることが分かる。
では、この費用はどこから来ているのだろうか。当たり前だが、国や東京都の予算は公費であり、税金によって賄われている。
国の支出は当初1,600億円程度であったが、新型コロナウイルスに伴う対策関連費用を計上しており、その額は560億円にものぼる。前述したように「間接経費」まで含めると、予算の2,210億円以外にもすでに約7,720億円が支出されており、あわせて1兆円近い費用が投じられている。
東京都で注目すべきは、7,020億円以外にも組織委員会への追加負担として150億円を支払っていることだ。これによって、合計の負担額は7,170億円となっており、組織委員会とほぼ同額の経済的負担となった。東京都については五輪の開催経費とコロナ対策費などが膨らんでいる一方、コロナによる企業収益の悪化やインバウンド需要の低減などにより、その税収は前年度比で4,000億円まで減収している。そのため「都庁内では財政悪化の懸念が広がる」と言われるなど、都の財政状況に大きな負担が強いられている。
一方、組織委員会の負担額である7,210億円は、IOCからの負担金(850億円)や企業からのスポンサー費用(計4,060億円)、チケット売上(900億円)によって賄われている。もし五輪が中止となった場合、この費用が大きく変動する可能性が高い。
現時点での予算消化
では開催予定まで2ヶ月に迫った現時点で、予定された予算はどこまで支出済なのだろうか。この数字を押さえておくのは、もし開催中止が即時決定した場合、どこまで支出を抑えられるかを推測するためだ。
組織委員会によれば今年2月時点で、8,180億円あまりが支出されている。すなわち、全体予算1兆6,440億円の約半分が消化されている状況だ。
現時点での予算消化(筆者作成)
2月時点からは予算消化は進んでいるはずだが、もし5月時点で五輪の中止を決定した場合、1兆6,440億円の全予算を使い切らずに終えられる可能性もある。もちろん発注・契約済みの業務がほとんどであり、費用の回収は容易ではないだろうが、たとえば開催期間中のスタッフの人件費などは抑えることができるだろう。
中止による収入の変化
その上で、五輪が中止された場合の収入について見ていこう。
五輪が中止された場合の収入(筆者作成)
国や東京都による費用負担が変わらないと仮定を置いた上で、大きく変動が予想されるのはIOC負担金とチケット売上の2つだ。まず850億円にのぼるIOC負担金は、大会が中止になった場合に払い戻しが契約によって定められている。また900億円のチケット売上は、中止となった場合は払い戻しされることが予想され、こちらも0となる。
国内外合わせて4,000億円以上のスポンサー費用が企業に返金される可能性は低く、各社が加入している保険などによってスポンサー企業側が一定度の補償を受けられると予想されている。おなじくライセンシング費用についても同様だろう。裏を返せば、スポンサー企業は全額ではないにしろ、4,000億円のうち少なくない金額の経済的損失を被ると言える。
すなわち五輪中止によって消滅する収入は、IOC負担金とチケット売上を合計した1,750億円だと予想される。IOCと東京都などの契約では、組織委員会が赤字になった場合は都が補填する契約となっているため、この費用は国や東京都によって補填される可能性がある。
ここまで予算案のみに絞って、中止による経済的負担を見てきた。国と東京都、組織委員会という3つのアクターで考えた場合、
- 中止によって、直接的な収入減に直面するのは組織委員会
- しかし、その赤字分1,750億円は国や東京都によって補填される可能性が高い
と言える。
違約金・保険
予算案以外の経済的負担を考える上で、重要な存在はIOCだ。前述したように、五輪中止が囁かれた頃から「IOCによって違約金が請求される可能性」が噂されている。
IOCは、収入の73%をテレビ放映権料から得ており、もし五輪が中止となった場合はその大半を失う。米・大手テレビ局のNBCは、2032年までに合計76億5000万ドル(約7,800億円)ものテレビ放映権料(*1)をIOCに支払う契約だが、その大半は大会が開催された時点で支払われる契約だ。そのため大会自体が中止となれば、その費用はIOCに渡ることはない。
そのためIOCにとっては、大会の開催が死活問題であり、もし開催地である東京都から中止が提案された場合、違約金を求めるのでは?という推測に繋がってくる。
しかしながら、ここ1ヶ月に渡って盛んに主張された違約金については、その条項が契約書に明示されているわけではなく、あくまで憶測に過ぎない(そのため正確には違約金ではなく損害賠償だ)。開催都市契約によれば、五輪中止はIOC側からのみ提案できる。IOCにとっては、開催都市である東京都から不本意に中止を求められれば、巨額のテレビ放映権料を失うことになるため、損害賠償が予測される根拠となっている。
では違約金(損害賠償)の請求は、どこまで現実的なのだろうか?可能性はそれほど高くもないが、0ではないとも言える。
前述のWashington Post紙の記事では「パンデミックの最中、ストレスと苦痛を被っている国での五輪開催を強制したならば、IOCの評判はどうなるだろうか」と損害賠償が請求される可能性に、疑義を呈している。パンデミックが不可抗力である以上、中止の責任を開催都市に帰した上で損害賠償請求をおこなうことは、IOCの評判を大きく傷つけるだろう。しかし、五輪が商業イベントであることが公然の秘密となった今、彼らが評判を気にするかは分からない。
毎日新聞は「法曹界の識者によると、中止の『違約金』は記されていないが、不可抗力条項がない以上、開催義務を持つ日本側から中止を申し出れば、IOCへの賠償責任が生じるという見解で共通する」と指摘している。すなわち
- IOCは大会中止によって大きな損失を被るが、それが損害賠償の形で都や国に転嫁される可能性もある
ということだ。
(*1)単純計算で1大会あたり1000億円規模となる。
保険会社
最後に、保険にも触れておく必要がある。IOCや組織委員会、そしてスポンサー企業などは大会の中止について様々な保険をかけている。そのため、大会が中止となれば「大会に関わる保険金支払いの案件として、おそらく過去最大規模のもの」になると言われる。具体的には、世界の保険会社が被る損失は2-30億ドル(約2,180-3,270億円)という試算がある。
逆に言えば、全てのアクターが大会中止によって何らかの経済的損失を被ることは確実だが、保険によって「大会主催者側の経費実費は補償」されることも確かだ。金額の多寡だけで見れば、保険会社の経済的損失は、多大なものとなるだろう。
失われる経済効果や「間接費用」の損失
ここまで、五輪の予算案1兆6,440億円のみに絞って見てきたが、中止による損失はそれだけに留まらない。中止に伴って失われる経済効果や「間接費用」の損失など、様々な費用に影響が出る。