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なぜ、オ‌ン‌ラ‌イ‌ン‌上‌の‌誹‌謗‌中‌傷‌に対する科料は、わずか9,000円か?木村花さんの裁判で

公開日 2021年06月08日 17:25,

更新日 2023年09月19日 16:42,

有料記事 / 社会問題・人権

フジテレビの番組『テラスハウス』に出演し、昨年5月に自ら命を絶ったプロレスラー、木村花さんの事件に関連する裁判の判決が、今年の3月、4月、5月に立て続けに下された。

3月と4月の判決では、生前の木村さんをオンラインで中傷したとして、大阪府の20代男性と福井県の30代男性がそれぞれ侮辱罪で略式起訴され、東京簡裁によって2人に科料9000円の略式命令出された。5月の判決は、木村さんが亡くなった後にTwitterで中傷の投稿をしたとして、母の響子さんが長野県の男性に対して損害賠償を求めたもので、東京地裁が男性に約129万円の支払いを命じた

後者の判決については、一般的な慰謝料の相場を上回る金額の支払いが命じられていることから、事案の重大性を裁判所が認めたという評価がされている。しかし、いずれの事件でも被害者が受ける精神的苦痛の大きさに対して処罰が軽い指摘する声もある。

木村さんの事件に端を発して、オンラインの誹謗中傷に関連する法整備も進みだした。まず、今年4月21日には「改正プロバイダ責任制限法」が参議院本会議で可決・成立した。この改正ではソーシャルメディアでの誹謗中傷による被害を防ぐため、投稿した人物に関する情報開示を以前より速やかに進める新たな裁判手続き創設される。また、政府も侮辱罪の厳罰化も含めて法改正の検討作業を進めている

この一連の法改正は、オンラインでの誹謗中傷が社会問題となっていることもあって、注目度も高い。

今までの法制度では具体的に何が問題視されてきており、今回の法改正では何が変わるのだろうか?また、さらなる法整備を進める上での課題は何だろうか?

これまでの課題

オンライン上での誹謗中傷の捜査を巡っては、以前より2つの限界が指摘されている。それは、中傷を投稿した発信者の特定が困難であること、そして、発信者が特定されて提訴されたとしても事案に応じた適切な刑罰や処置が望みにくいことだ。

このことは木村さんの事件を通しても浮き彫りになっている。以下で具体的に確認していこう。

発信者の特定が困難

中傷を受けた被害者が、悪質な投稿をした発信者に民事または刑事上の責任を問うためには、発信者の特定が必要だ。しかし、現行の手続きでは発信者特定までのハードルが高い。

その理由としてまず挙げられるのは、一般的に発信者特定のためには2回の手続きを経る必要があることだ。

2回の手続きの内訳は、①ソーシャルメディアなどのコンテンツ事業者への開示請求と、②通信事業者への開示請求に分かれる。発信者の特定のためには、発信者の氏名や住所を割り出すことが必要だが、オンライン上の発信者は匿名であるか、ハンドルネームを使っていることが多く、簡単にはそれが実現できない。

そのため、まずは①コンテンツ事業者に発信者のIPアドレスやタイムスタンプなどの通信記録の開示を求め、それをもとに②通信事業者に対して、発信者の契約者情報の開示を請求することが必要になる。



現行法の手続きの流れ(総務省, CC BY 4.0

しかし、この過程にも様々な困難がある。

上記の開示請求手続きは民事上の請求権として規定されており、事業者側が応じる義務はない。そのため、請求が拒まれれば、裁判を起こす必要がある。

また、投稿時に用いられたIPアドレスが判明したとしても、それが個人の特定につながらないこともある。例えば公共施設のフリーWi-FIなどの不特定多数の人が利用できる回線が利用された場合や、プロバイダの契約者と投稿者が異なる場合には、発信者を割り出すことは困難だ。

さらに、上記の開示手続きには1年程度の時間がかかる場合もあるため、悪質な投稿をした発信者が時効を迎えて起訴できなくなってしまうこともある。詳しくは後述するが、ソーシャルメディア上の誹謗中傷では、発信者が刑事事件で起訴される際に侮辱罪が適用されることが多い。しかし、侮辱罪の時効は1年しかなく、罪に問われる可能性がある人物も逃げ切りやすい構造がある。

実際に、木村さんの事件でも悪質な投稿をした発信者は多くいるが、提訴された人物は少ない。警察の捜査にもかかわらず、提訴に至ったのは前述した大阪府の20代男性と福井県の30代男性、長野県の男性の3名だけだ。しかも、大阪府の男性は、木村さんの死後に自ら名乗り出て遺族に謝罪する意思を表明したために身柄が判明したという経緯があり、実質的に遺族からの請求や捜査によって起訴された人物は2名のみとなっている。

処罰が軽い

被害者は、このような高いハードルを超えて、初めて発信者を特定、提訴することができるようになる。しかし、提訴に至ったとしてもその先の道のりがまた長い。

まず、刑事事件であれば発信者を有罪にできるか、被害者が受ける精神的苦痛の大きさに対する適切な処罰が望めるかという問題がある。特に後者の処罰の軽重については、木村さんの事件で2人の男性に科せられた罰金が9,000円のみであったことから、これを問題視する指摘が多い。

木村さんの事件で、なぜ事案の重大性に対して軽いと受け取られる刑罰しか適用されなかったかという点については、法定刑の中で最も処罰が軽い侮辱罪が適用されたことが関係している。

一般的に誹謗中傷は、内容に応じて次の犯罪に該当する可能性がある。

侮辱罪(刑法231条
成立条件:事実を摘示せずに、公然と人を侮辱した場合
法定刑:30日未満の拘留、または1万円未満の科料

名誉毀損罪(刑法230条
成立条件:公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した場合
法定刑:3年以下の懲役もしくは禁錮、または50万円以下の罰金

信用毀損罪および業務妨害罪(刑法233条
成立条件:虚偽の風説の流布や偽計を用いて、人の信用を毀損または業務を妨害した場合
法定刑:3年以下の懲役、または50万円以下の罰金

脅迫罪(刑法222条
成立条件:生命、身体、自由、名誉、財産に対して害を加える旨を告知した場合
法定刑:2年以下の懲役、または30万円以下の罰金

強要罪(刑法223条
成立条件:脅迫または暴行を用いて、人に義務のないことをおこわせたり、権利の行使を妨害した場合
法定刑:3年以下の懲役

侮辱罪の要件

このうち、侮辱罪については誹謗中傷の内容に具体性が伴わずとも成立する。しかし、侮辱罪よりも刑罰が重いそれ以外の犯罪については、具体的な事実を示して貶める(名誉毀損罪)、害を加える旨を告知する(脅迫罪)などの一定の要件を求められる。そのため、侮辱罪より適用のハードルが高い。

木村さんに対しての書き込みは、大阪府の男性の場合は「性格悪いし、生きてる価値あるのかね」「ねえねえ。いつ死ぬの?」、福井県の男性の場合は「死ねや、くそが」「きもい」「かす」というもので、具体性に欠けていたため、名誉毀損罪ではなく侮辱罪が適用されたとみられる

このように、オンラインの誹謗中傷では、適用される罪状の種類によって、被害者が受ける精神的苦痛の大きさに対する適切な処罰が与えられにくいという問題がある。

また、刑事事件ではなく、民事事件として提訴するのであれば、損害賠償請求訴訟で勝訴できるか、勝訴したとしても発信者に賠償金を支払う能力があるのかという問題がある。

木村花さんのケースでは、母・響子さんが、花さんが亡くなった後にTwitterで中傷を投稿して遺族の「敬愛追慕の情」を侵害したとして長野県の男性に対して損害賠償を求めた。

一般に、「敬愛追慕の情」の侵害有無を争う裁判では「多くの事例では高くても慰謝料は10万円程度」とされる。その点、この事例では東京地裁が男性に約129万円(うち慰謝料50万円)の支払いを命じており、事案の重大性が裁判所に認められた形だ。しかし、男性は一度も裁判に出席せず、連絡もなかったことから、賠償金を支払う意思や能力があるのかは不明で、今後の動きは手探りとなってしまっている

プロバイダ責任制限法の改正

このような課題を踏まえて、オンラインの誹謗中傷に関連する法整備が進み始めている。その成果の一つが今年4月21日に参議院本会議で可決・成立した「改正プロバイダ責任制限法」だ。

情報開示の迅速化

この改正ではソーシャルメディアでの誹謗中傷による被害を防ぐため、投稿した人物に関する情報開示を以前より速やかに進める新たな裁判手続きが創設される。

前に述べたように、オンライン上での誹謗中傷の捜査における一つの限界が、発信者の特定が困難であることだった。特に、改正前の法律ではコンテンツ事業者と通信事業者のそれぞれに対して2回の開示請求訴訟を起こす必要があることが難点とされたが、改正後は被害者の申し立てによって裁判所がコンテンツ事業者と通信事業者に同時に開示命令を出せる新8条)ことになった。

また、情報の開示を命じる前に投稿者の通信記録などが削除されないよう、あらかじめ接続業者に対して発信者情報の消去禁止を命じる申立て(新16条)も同時にできるようになる。


現行法の手続きと新たな裁判手続きの比較(総務省, CC BY 4.0

この新たな裁判手続きは「非訟手続」と呼ばれる。訴訟手続きに比べて手続きが簡易であり、以前は1年ほどかかっていた開示手続きが迅速化される見通しだ。施行は22年中が見込まれる。

裁判手続きの費用や時間面での負担がかかる、コンテンツ事業者の協力が必要となるなど、依然として残る課題もあるが、被害者の救済に前進していることは評価できるだろう。

さらなる法改正に向けた課題

一方で、誹謗中傷への規制を踏まえた法改正の検討作業は遅れている。木村さんの死を受け、法務省は昨年6月から法定刑の見直しに向けた検討に着手した。しかし、現時点では過去の処分や科刑などの調査にとどまり、法改正の前段ともなる法制審議会への諮問のめどすら立っていない

時間がかかる背景には、誹謗中傷行為の厳罰化が表現の自由を抑圧する恐れへの懸念があると指摘される。日本では検討が遅れている誹謗中傷行為への対策だが、海外では具体的な法整備や規制が進んでいる国もある。

世界各国でインターネット上の誹謗中傷が問題となる中、各国ではどのような議論が交わされているのだろうか。

ドイツ

ドイツは比較的早い時期に、ソーシャルメディア上の有害なコンテンツへの対策としてコンテンツ事業者への対策義務化を法制化した国の一つで、先例として賛否を含めて大きな注目を浴びた

その法律が、「ソーシャルネットワークにおける法執行を改善するための法律」(以下、「ネットワーク執行法」)だ。ソーシャルネットワーク上のヘイトスピーチやフェイクニュースの急増を背景として、2017年に制定・施行された。

この法律は、ドイツ国内で登録ユーザーが200万人以上のプラットフォーム事業者に対して、次の対応を義務付けるものだ。

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✍🏻 著者
シニア・エディター
早稲田大学政治経済学部卒業後、株式会社マイナースタジオの立ち上げに参画し、同社を売却。その後、The HEADLINEの立ち上げに従事。関心領域はテックと倫理、政治思想、東南アジアの政治経済。
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