安倍晋三元首相が銃撃を受けた事件の映像が、テレビやSNSを中心に、繰り返し報道されている。
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こうした報道をめぐって、一般の視聴者から多くの疑問・抗議が呈され、専門家からもメンタルに悪影響を与えかねないとして警鐘を鳴らす声が上がった。
一部のメディアでは、一般の視聴者にできる自己防衛手段として、惨事報道との関わり方に関する注意点なども紹介されている。しかし一方で、まずは報道をおこなうメディア側にこそ、惨事情報の扱いに慎重さを求められることは間違いない。
報道機関は、今回のような暴力を伴う惨事情報について、どのように扱うべきなのだろうか?今回の安倍元首相襲撃事件の報道に見られた問題点を概観した上で、暴力を伴う惨事報道のあり方や注意点について検討していく。
本事件の報道における問題点
まずは、今回の安倍元首相襲撃事件を扱うマスコミ報道に対して、指摘されている問題点を見ていこう。
未成年へのインタビュー
まず問題視されている事柄は、NHKによって事件を目撃した未成年者2名へのインタビューがおこなわれ、身元情報(容姿や制服など)を伏せるといった映像処理なしにテレビ上で放映されたことだ。
人命に関わる重大な事件の目撃者には、過大なストレスがかかる。未成年ということもあり、これらのインタビュイーは早期に適切なケアを受けることが求められる状況にあった。しかし、そうした対応がおこなわれず、インタビュー映像が配慮なしに全国放送のテレビ上で放映されたことは、これらの人物をリスクにさらす危険な行動であったと言える。
事前の警告なしでの事件映像の放映
また銃撃音という凄惨な音が入る事件映像が、事前の警告なしに放映されたことも問題となった。特にNHKについては記者が現地取材をおこなっており、事件映像をいち早く入手していたことから、早いタイミングから映像を繰り返し放映していた。
ジャーナリストの津田大介氏は自身のYouTubeチャンネルにおいて、「かなり大きな銃声の生音が入った映像が、(中略)事前の断りなしで報道している場面もあった」とした上で、こういった惨事報道のあり方は「PTSDなどを誘発しかねない」と指摘した。
事件映像の繰り返しの放映
そして、こういった凄惨な事件の映像が何度も繰り返し放映されたことが、最も大きな問題だ。
テレビやソーシャルメディア上では、銃声の場面やSPが加害者を取り押さえる場面が何度も放映されている。情報を伝えることは重要だが、こういった暴力的な場面を繰り返し視聴することは、ストレス反応を高めることが知られている。
そういった事情に最大限に配慮して、同じ場面を繰り返し流さない配慮が必要とされたが、多くのテレビ報道ではこれらの映像が繰り返し流されていた。
報道機関に求められる姿勢
こうした問題点を受けて、一部メディアは視聴者がメンタルヘルスを自己防衛する方法を紹介(*1)している。
本事件に限らず、新型コロナウイルスによるパンデミックやウクライナ侵攻、著名人による極端な選択など、心理的負担が大きいニュースが続いていることから、視聴者にとって惨事報道から身を守ることの重要性は増している。
惨事報道との距離のとり方については、たとえば以下のような点が推奨されている。
- 惨事報道の刺激は、必要最小限にすること。
- 同じ内容の惨事報道を繰り返し見ないこと。
- 衝撃的な映像の視聴を避けること。
- 「ながら見」を控えること。
- トラウマの体験者や精神疾患を抱える人は、惨事報道に特に注意すること。
一方、惨事報道をおこなうメディア側にこそ、こうした情報の扱いに慎重さを求められることは間違いない。
(*1)例えば、日本トラウマティック・ストレス学会が作成した資料を紹介する毎日新聞やBusiness Insiderの記事がある。BuzzFeed Japan Medicalは、子どものこころ専門医の山口有紗氏にインタビューをおこなっており、評論家の荻上チキ氏は惨事報道のケアに役立つ情報として、自身が関わるサイトの「心理的危機対応ツール」を紹介している。
報道による心理的影響
報道と視聴者の心理的影響の関係を分析した2014年の研究では、テレビで放映された災害報道の視聴と様々な心理的影響との関係を明らかにしており、特に心的外傷後ストレス障害(PTSD)との関係が示唆されている。
また日本においても、東日本大震災後にテレビを長時間視聴することの悪影響について示唆した研究もあり、報道による心理的影響が存在する可能性は高いと言える。
では報道機関は、本事件のような惨事情報について、どのように扱うべきなのだろうか?以下では、海外での乱射事件やテロ事件の際に参照される、報道の留意点をまとめたガイドラインを紹介する。
本事件は銃が用いられた事件ではあるものの、乱射がおこなわれたわけではなく、テロに該当する事件であるかも議論が分かれている。しかし暴力を伴う一般的な惨事報道においても、参考となる内容だ。
乱射事件報道の留意点
自殺防止に取り組むNPOであるSAVEと、複数のメディア業界の専門家が作成した「Recommendations For Reporting on Mass Shootings」は、乱射事件報道の留意点をまとめたレポートだ。
同レポートは、こうした惨事報道において遵守すべき方針として、下記の情報を紹介する。
- 暴力事件の報道は、他者の精神状態や行動に影響を与えうることを把握する
- 被害者を支え、将来の事件を防止するために報道する
- (加害者の家族も含め、)事件の関係者は、その事件に深く影響され、トラウマを抱えていることを忘れないようにする。インタビュー時には細心の注意を払う。
- 精神疾患に対する誤解や偏見を深めるような報道は避ける。精神疾患の診断が必ずしも暴力と因果関係があるわけではないことや、精神疾患を抱えながら生活している人の多くは非暴力的であることを明示する
- 事件を単純化したり、センセーショナルに報道することを避ける。暴力行為には複雑かつ複数の動機があることを説明する。
- 被害者を非難しない
- 他の人が加害者に共感したり、感化されたりする可能性があるため、加害者についての報道は最小限に留める
- 加害者の写真を過度に拡散しない(ただし加害者が確保されていない場合を除く)
- 加害者の写真と被害者の写真を並べることを避ける
- 映像の使用は繊細かつ慎重におこなう。逆に犯行現場の生々しい映像は使用しない
テロ報道の留意点
また、世界最大の地域安全保障機構であるOSCE(欧州安全保障協力機構)は、テロ報道のジャーナリスト向けガイドラインを公開している。前述したように本事件が、テロの定義(*2)に該当するかは明らかではないが、社会的インパクトの大きい事件を報道する際の留意点として参考となる。
同ガイドラインは、テロ報道の原則として、次の方針を紹介している。
- テロリズムに関する報道は、バランスのとれたものでなければならない。加害者が属するイデオロギーについて説明する場合は、細心の注意を払う。
- 現地の報告と、事件の分析はそれぞれ別のタイミングでおこなう。
- 正確な情報を伝える。
- 犯罪の認定にあたっては、捜査関係機関の公式情報のみを使用する。
- 事件の程度を示すために画像や映像を公開する場合は、被害者や一般市民の保護と、公衆の利益とのバランスに配慮する。
- 目撃者に攻撃の動機の解釈や分析をさせてはならない。
- ヘイトスピーチなどの拡散があった場合、メディアはソーシャルメディアなどを使ってそれらを抑圧すべき。
(*2)たとえば「広く恐怖又は不安を抱かせることによりその目的を達成することを意図して行われる政治上その他の主義主張に基づく暴力主義的破壊活動」を指すことがあり、本事件に政治的あるいはその他の主義主張があったかは明らかではない。
危機におけるコミュニケーション
報道のあり方とは少し異なるものの、米国の薬物乱用・精神衛生管理庁が公的機関のスタッフ向けに公開しているリスク・コミュニケーションのガイドラインも参考になる。それによれば、
健全で思慮深いリスク・コミュニケーションは、例外的な疾病の発生やバイオテロなどの重大危機に際して、無力感を覚え、恐怖に駆られ、損害を受ける国民の反応を防ぐことができる
とした上で、以下の事項などを推奨する。
- 危機的な状況下において国民の適切な反応を促すため、最初のメッセージで伝えるべき重要な情報は何か?
- 事件の発生前・発生中・発生後に伝えるべきメッセージは何か?
- 報道機関の責任とは何か、また報道機関がその責任を果たすためにどのようなサポートが可能か?
いずれも、ここまで見たような映像・画像の公開における公共の利益とのバランス、センセーショナルな報道の抑制、他者の精神状態や行動への影響に対する自覚などの基本的なポイントについて、報道機関が自覚的になる必要があることを強調するようなメッセージだ。
その上で、
- すでに情報が出回っているソーシャルメディアの状況も含め、情報発信の環境を把握する。一般的な人々の反応を把握し、それに応じて情報発信を調整する。不安なのか、安心感を求めているのか?楽観的で、警告が必要なのか?怒りに満ちているため、落ち着かせる必要があるのか?
- たとえば「危機」や「生命を脅かす」、「極めて」などの言葉を用いていないか、他の抑制された言葉で代替できないか、などを確認する。
といった点も指摘する。公的機関からのメッセージおよび報道などが人々の感情を増幅させることに注意し、適切な介入・調整をおこなうことの重要性を強調している。
報道の役目は「人々を説得することではなく、人々に(何が起こっているのか)を知らせるため、可能な限り多くの事実を提示すること」であるため、過度な調整も問題を孕む可能性があるものの、扇動的な映像や見出し、報道については注意を払う必要があることは間違いない。
適切な報道に向けて
本誌で以前紹介したように、極端な選択をめぐっては、WHO が定めたガイドラインの遵守が実践されるようになるなど、報道のあり方に進歩が見られるようにもなっている。
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一方、今回指摘が相次いだように、暴力を伴う惨事情報に関する報道については、依然として大きな課題が残っていることが明らかとなった。こうした報道に関わるメディア関係者は、情報を伝えることの重要性と同時に、事件関係者や視聴者の保護という観点から適切な配慮をおこなうことが強く求められる。
一般ユーザーもSNSによる発信時には要注意
そして、これはいわゆるインフルエンサーを含む著名人や、一般のソーシャルメディアユーザーにも求められる姿勢だ。
現代社会においては、ソーシャルメディアのユーザーは、一人ひとりが情報の発信者であり、ひいてはメディア(報道機関)と同等以上の影響力を持ちうることもある。情報の受信者として自身の体調やメンタルヘルスを守ると同時に、情報を発信する者として他者を不適切に傷つけていないかという観点でも、ソーシャルメディアとの付き合い方には注意が必要だろう。