11月20日に開幕したサッカーワールドカップ(以下、W杯)カタール大会では、日本代表が強豪ドイツとスペインを下して、決勝トーナメントに進出した。
一方、その同大会には、さまざまな「闇」の部分が指摘されてもいる。例えばスタジアムなどの建設に携わる移民労働者が不当な扱いを受けているという懸念や、あるいはカタール国内でLGBTQや女性の人権が守られていないという批判だ。
BBCは開会式の模様を中継せず、また番組司会で元選手のギャリー・リネカーがカタールを批判するコメントを放送するなど、ヨーロッパを中心に開催地の負の側面を指摘する声は高まっている。
確かに、W杯カタール大会の開催をめぐっては多くの問題が存在している。しかしこれらは、同国が開催地に立候補した当初から指摘され続けてきたことだ。
ではそもそも、なぜこのペルシャ湾岸の小さな国で、サッカーの世界大会が開かれることになったのか?
背景には、スポーツとりわけサッカーに焦点を当てたカタールの国家戦略と、同国の資金力を背景にした招致戦略があった。また今大会については、中東情勢の変化によって開催を危ぶまれた時期を乗り越えたという経緯も見逃せない。
なぜカタールがW杯を開催できたのかについて、主に政治的な観点から、いくつかの文脈を紐解いてみよう。
カタールとはどのような国か?
まず、カタールについて基本的な情報を整理しておこう。同国はペルシャ湾岸に位置し、サウジアラビア、バーレーン、アラブ首長国連邦(UAE)、イランに囲まれている。
カタール(Google Map)
1916年にイギリスの保護下に入り、1968年にイギリスがスエズ運河以東からの軍事的撤退を宣言すると、1971年に独立国となった。19世紀以来、サーニー家による世襲君主制をとっており、人口は280万人だが、そのうち9割を移民労働者が占めている。
カタールは1939年に石油、1971年に天然ガスが発見されるなど、世界有数の資源保有国だ。しかし1995年にハマド・ビン・ハリーファ氏が首長となって以降、同国は化石燃料に頼らないソフトパワー戦略を推進している。
例えば、1996年には国際報道機関アルジャジーラが設立された。同メディアは報道の信頼性を評価され、カタールに国際的な発信力を与えると同時に、国家イメージを向上させた。2000年代以降はスポーツにも力を入れ、2006年のアジア競技大会、2018年のクラブ・ワールドカップ(サッカー)の開催地を務めた。今回のW杯開催もこうした国家戦略の延長線上にある。
なぜW杯招致を目指したのか?
W杯の開催は、カタールにどのような利益をもたらすのだろうか?
インフラ建設や観光客による経済的効果をもたらすだけでなく、世界的なスポーツイベントの開催は、カタールの国家ブランディングに資するもの、つまりスポーツを利用したソフトパワー戦略の一環として理解される。
中東におけるスポーツ立国の成功例には、隣国UAEのドバイが挙げられる。カタールもそれに倣い、特にサッカーを通した国家ブランディングを進め、W杯招致へと結実した。