2021年8月、Facebook CEOのマーク・ザッカーバーグは、傘下のVR企業Oculusにおいて、仮想空間の会議サービスHorizon Workroomsのベータ版を提供開始することを発表した。
Horizon Workroomsは、Oculus社のVRハードウェアOculus Quest 2向けの専用ソフトだ。ユーザーはアバターとしてVR空間上のバーチャルオフィスに入り、会議に参加したり、一緒に仕事をしたりすることができる。バーチャルオフィスにはビデオ通話でも参加できて、最大50人までの接続が可能となっている。
Facebookが同サービスを発表した背景には、メタバースと呼ばれる新たなテクノロジー分野の勃興がある。2021年8月には、Facebookが「(モバイル・インターネット企業から)メタバース企業に移行する」方針を明らかにしており、Horizon Workroomsは、Facebookによるメタバース実現の一環として提供されていると見られている。
また、Microsoft CEOのサティア・ナデラが、2021年7月の決算会見で「エンタープライズ向けメタバース」に言及し、Fortniteで知られるEpic Games CEOのティム・スウィーニーは同社が「SFに出てくるメタバースのようなもの」の構築を目指していると述べるなど、大手テック企業がにわかにこの分野へ熱視線を向けていることが分かる。
メタバースとは何であり、どのようなサービスがあるのだろうか?そして、なぜ今注目されているのだろうか?
メタバースとは
メタバースという言葉は現在、幅広い意味を持つ。
オックスフォード大学出版局が運営する辞書サイト「LEXICO」によれば、メタバースは「多人数参加型の3次元仮想世界」を意味する。初出はニール・スティーヴンスンによる1992年の米国のSF小説『スノウ・クラッシュ』で、小説内に登場する仮想空間の名称として使われた。これが一般名詞化して、人々が交流する仮想現実全般を指す言葉となったというわけだ。
この定義に則るならば、メタバースはすでに存在していると言える。Epic GamesのバトルロワイヤルゲームFortniteや、ゲームをプレイ・開発できるゲーミングプラットフォームであるRoblox、Minecraftや「あつまれ どうぶつの森」のような、オンラインソーシャルゲームはその代表例だ。こうしたゲームでは、ユーザーが自身のアバターを作ってひとつの仮想空間に集まり、ゲーム内で共通のバトルやイベントに参加したり、通話やチャットでコミュニケーションを取るなどのアクティビティをおこなっている。
前述したFacebookのOculusやMicrosoftのHoloLensが提供するVR会議サービスも、これに該当するものだ。2003年に登場したオンライン・マルチメディア・プラットフォームである「セカンドライフ」や、映画『レディ・プレイヤー1』に登場する「オアシス」という仮想世界もメタバースとして理解されている。
「広義の」メタバース
ただし近年、シリコンバレーを中心にバズワードとして注目を集めているのは、より広い概念としての、いわば「広義の」メタバースだ。この立場の論者は、上記のようなゲームやサービスはあくまでもメタバースを構成する一部の要素に過ぎず、メタバースのビジョンは実現されていないとする。
ザッカーバーグ氏は、この広義のメタバースを指して「具現化されたインターネット」で「モバイルインターネットの後継」とまで言い切っており、冒頭で述べたように、近しい立場を取る他の大手テック企業もこの領域に注目していることから、ビジネス面での期待も高い。
それでは、彼らが提唱する「メタバース」とはどのような概念なのだろうか?代表的な論者の主張を見ていくことで、その輪郭を掴みにいこう。
マシュー・ボール氏の見解
メタバースに関する論考の第一人者として知られ、シリコンバレーにおけるメタバースの議論に大きな影響を与えたベンチャーキャピタリスト、マシュー・ボール氏は、メタバースを次のように定義する。
メタバースとは、大規模かつ相互運用可能なリアルタイムレンダリングされた3D仮想世界のネットワークであり、事実上無制限の数のユーザーが同期的かつ持続的に、独立して存在することを、体験できるものである。また、個々のユーザーにはアイデンティティ、経歴、資格、目的、通信、支払いなどのデータの継続性が担保される。
その上で彼は、現在見えているメタバースの片鱗(つまり、「狭義の」メタバース)はごくわずかなものにすぎないと述べる。
1982年に2020年のインターネットを想像することが難しかったように、(そして、インターネットに接続したことのない当時の人々にそれを伝えることがさらに難しいように、)メタバースをどのように説明したらよいのかはよく分かりません。
(中略)
メタバースが機能するためには、数え切れないほどの新しいテクノロジー、プロトコル、企業、イノベーション、発見が必要になります。そして、それは突然出現するものではなく、明確な「メタバース以前」と「メタバース以後」は存在しません。それとは逆に、様々な製品やサービス、機能が統合され、融合されることで、時間をかけてゆっくりと出現してくるでしょう。
彼はこのように断った上で、メタバースの核となる性質として次の7つを挙げる。
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永続性
「リセット」や「一時停止」や「終了」がなく、永久に続く。 -
同期性
リアルタイムで物事が進む。 -
参加の自由
誰もが個人の主体性を持ってメタバース上のあらゆるイベントに参加できる。 -
経済性
個人や企業が物事を創造・所有・投資・販売することができる。その「仕事」に対して報酬を得ることができる。 -
超越性
「デジタルとフィジカル」、「プライベートとパブリック」、「オープンとクローズ」など、境界を超えた体験ができる。 -
クロスプラットフォーム
一つのIDで複数のサービスを利用できる。例えば、「どうぶつの森」のアイテムをFortniteでも使うことができる。 -
分散性
独占的な企業がコンテンツや体験を提供するのではなく、個人から企業までの様々なプレイヤーが運営に参加している。
つまりこれは、現実世界とオンラインのすべての仮想世界が、常時シームレスに融合しており、その体系そのものをメタバースと呼ぶという考え方だ。そしてこのメタバースが実現された社会では、仮想・拡張現実などの技術が現在のスマートフォンのように身近なものとなり、ユーザーが意識せずともあらゆる場所で利用されているような環境が実現されるとした。
ボール氏の意見では、バーチャルリアリティはメタバースを体験するための手段に過ぎず、Fortniteのようなゲームも上記の性質を十分に満たしていない(*1)ため、メタバースを構成する要素ではあるものの、メタバースそれ自体とは見なされない。
(*1) 例えばFortniteは、「異なるIP同士のマッシュアップ」「PlayStation、モバイルアプリ、Nintendo Switchのようなクロスプラットフォームへの対応」「ゲーム以外のソーシャルな目的での利用」「コンテンツをつくったクリエイターへの報酬付与」など、メタバースの要素を多く含んでいる。しかし、「参加者数の制限」「不完全な同期性」「ゲーム内通貨の換金性のなさ」「ゲーム内アイテムの使用範囲の制限」などがあるため、完全にメタバースの性質を満たしているとは言えない。
マーク・ザッカーバーグ氏の見解
ザッカーバーグ氏が語るメタバースのビジョンも、ボール氏の意見に近い。
Meta社のウェブサイトでは、メタバースが次のように定義されている。
メタバースとは、同じ物理的空間にいない人たちと一緒に創造したり探索したりできる一連の仮想空間のことです。友達と出かけたり、仕事をしたり、遊んだり、学んだり、買い物したり、創作したり、いろいろなことができるようになります。必ずしもオンラインで過ごす時間を増やすためのものではなく、オンラインで過ごす時間をより有意義なものにするためのものです。
そして、メタバースは、「1つの企業が単独で構築できる単一の製品ではなく、インターネットと同じくメタバースはFacebookがあろうとなかろうと存在」するとして、メタバースの成功のために政府、産業界、学界の専門家と協力しながら、「サービス間で強固な相互運用性を構築し、異なる企業間のサービス体験をうまく連携させる」ことに取り組むという。
また、The Vergeのインタビューでザッカーバーグ氏は、「Facebookは、SF映画のような、究極の相互接続で絡み合った世界の構築を目指している」と述べている。
具体的には、現在のモバイルインターネットの問題点として、オンラインでのコミュニケーションが「小さく光る長方形」を介した「スクリーン上の格子状の顔」を見ながらの「非人間的な」やり取りに限られていることを引き合いに出し、メタバースの実現を通じて人々が「より自然なかたち」でインターネットに関われるようになると主張した。
その上で、メタバース上での新たなデジタル経済の構築や、他の多くの企業・開発者との協業が展開されるだろうという見通しも語っている。
サティア・ナデラ氏の見解
Microsoft CEOのサティア・ナデラ氏は、2022年1月に大手ゲーム会社 Activision Blizzard を約700億ドルで買収した際に、メタバースについて次のようにコメントしている。
メタバースのあり方について私たちのビジョンを考えるとき、単一の中央集権的なメタバースは存在しないでしょうし、存在すべきではないと考えています。我々は多くのメタバースプラットフォームをサポートする必要があり、コンテンツ、コマース、アプリケーションの強固なエコシステムが求められています。
メタバースとは、強力なコンテンツ・フランチャイズに支えられたコミュニティと個人のアイデンティティの集合体であり、あらゆるデバイスでアクセス可能なものであると私たちは考えています。
実際にMicrosoftは、2014年に買収した「Minecraft」を自社以外のハードにも開放するなど、単なるゲームというよりはそれ自体を価値あるプラットフォームとして扱ってきており、この姿勢には一貫性がある。
ナデラ氏は将来的なさらなる「仮想世界と物理世界の融合」にも言及しており、やはり複数の「メタバースプラットフォーム」と現実世界がシームレスに統合されたものを「メタバース」と呼称していることがわかる。
ティム・スウィーニー氏の見解
Epic Games CEOのティム・スウィーニー氏は、メタバースについて次のように表現する。
メタバースの定義は難しいが、それが何でないかはわかる。メタバースは、いろいろなタイトルが並ぶだけのアプリストアではない。メタバースでは、あなたやあなたの友人、あなたのアバターが、社会的につながったまま、色々な場所に行って、さまざまな体験をすることができる。
また、将来的にはFortniteがRobloxやMinecraftのような別のプラットフォームとシームレスに繋がるようになるとの見解も示し、オープンな世界の構築を目指すとした。
その一方で、仮想世界間を繋ぐための共通の基準や取り決めが策定されるには、少なくとも10年はかかるだろうとも述べている。
8つの論点・ハードル
ここまで見てきたように、近年のバズワードとしての「メタバース」とは、単一のサービスや技術を指すのではなく、より広い概念を表す言葉として扱われることが多い。しかし、このような「広大なメタバースのビジョン」を実現するまでのハードルは非常に高く、「数十年にわたるインフラ整備と数十億ドルの投資が必要」との指摘もある。
この点についてもボール氏は具体的な論点をまとめており、メタバースの本格的な発展に向けては以下の8つが検討されるべき主要なテーマとなっているという。
ハードウェア
ひとつめの主要なトピックは、メタバースを開発したり、メタバースにアクセスするためのハードウェアだ。
スマートフォンやスマートウォッチ、VRヘッドセット、ARグラス、ゲーム機などのデバイスはこの分野において年々進歩しており、ユーザーの没入感や感覚の拡張に貢献しているが、普及までのハードルは依然として高い。
この点についてはザッカーバーグ氏も「スーパーコンピュータを厚さ5ミリほどのメガネのフレームに収める」ことが必要であると認めている。
ネットワーク
メタバースにおいてはネットワークもこれまで以上に重要になる。バーチャル・シミュレーションの複雑さが増すにつれ、必要となるデータ通信量が飛躍的に増加するからだ。
特に、メタバースの主要な構成要素であるリアルタイム性を担保するためには遅延がほとんど許されない。例えば、アバターがバトルに参加するとき、動きが遅延したり、固まってしまうと、途端にリアリティがなくなり、ユーザーが幻滅してしまうという事態も起こりうる。
つまり、何百万人もの人々が自在に仮想世界にアクセスして生活するというメタバースの可能性を最大限に引き出すためには、超高速・低遅延のインターネットが必要だ。しかし、その技術的なハードルは高い。現在の4G回線の帯域幅では、メタバースには対応できず、5Gや6Gの回線が必要になるとされている。