アフガニスタンの反政府組織タリバンは17日、報道担当幹部のザビフラ・ムジャヒド氏が記者会見をおこない「イスラム法の範疇で、女性の権利を保証する」と発言した。タリバンをめぐっては、過去10年にわたって同国での勢力拡大にともなって女性の権利侵害が懸念されてきた。今回の権力掌握によって、その懸念が現実のものとなりつつある。
一体なぜタリバンは、女性の権利を脅かす可能性があると見られているのだろうか?また、どのような権利侵害が考えられるのだろうか?
なぜ女性の権利は脅かされているのか?
アフガニスタンにおける女性の権利については、米・同時多発テロおよび有志連合による侵攻(アフガニスタン戦争の開始)が起こった2001年の前後で分けて理解することが出来る。
1996年から2001年までのアフガニスタンは、タリバンによって統治されており、その間は「イスラム法の厳格な解釈によって女性は就労できず、少女は通学を認められていなかった。時として残酷な方法で法が執行されることもあった」とされる。そして2001年以降は、米国などが支援する政権の樹立によって状況が大きく変化した。
ただし「イスラム法=女性の権利侵害」や「有志連合による侵攻=女性の権利解放」と図式的に理解することも注意する必要がある。その理由については後述するが、その点を留意しながら、アフガニスタンにおける女性の権利について簡単に見ていこう。
タリバン以前
タリバン以前、アフガニスタンにおける女性の権利拡大で最も知られた存在は、ソラヤ・タルズィー王妃だ。
ソラヤ・タルズィー女王(Unknown author, Public Domain)
1899年に生まれの王妃は、近代化と世俗化に取り組んだ父の影響を受けて、夫であるアマーヌッラー・ハーン国王とともに、同国における女性の権利獲得のために大きな功績を残した。
ハーン国王は、一夫多妻制や未成年者との結婚を禁じて、首都カブール以外の地方でも、少女のために学校を設立するなど、西欧流の統治を実践していた。ソラヤ王妃も、イスラム圏の伝統的なベール(ヒジャーブ)を着用せず、自ら夫とともに積極的な政治活動に参加した。王妃は、少女のための小学校を建設した他、女性向け病院の設立、女性誌『Ershad-I-Niswan(Guidance for Women)』の刊行、女性の権利保護のための団体の設立など、積極的に活動をおこなった。